―七月―
第13話
今年の梅雨は長引くらしい。相変わらず外はジメジメとしていてよく雨が降っている。梅雨が明けたら竹とんぼを飛ばそうと約束したのに、未だにその約束は果たされていない。
アマキはカウンターからチラリとテーブルへ視線を向けた。シロがつまらなさそうにテーブルの上に身体を倒し、伸ばした手の先で竹とんぼをクルクルと回している。
「ねー、アマキ」
「んー?」
「暇」
「だねぇ。梅雨、なかなか明けないし。竹とんぼはもうちょっと我慢かな」
手元に視線を戻しながらアマキは返事をする。するとシロは不満そうに「そうじゃなくて」と立ち上がり、カウンターへ近づいてきた。
「アマキ、今日はずっと一人で何かしてるから楽しくない」
「あー、そっちか」
苦笑しながら顔を上げると、すぐ近くにふて腐れたようなシロの顔があった。アマキは思わず「近ッ」と身を引く。しかし彼女は気にした様子もなく、さらに身を乗り出してアマキの手元を覗き込んできた。
「数学だ。勉強?」
「そう、月曜から期末始まるんだよね。シロの学校もそろそろなんじゃない?」
中学でも高校でも試験の時期は同じはずだ。しかし、シロはそうだとも違うとも言わない。ただじっとノートを覗き込んでいる。
「シロも勉強する? あ、よかったら見てあげようか」
中学のレベルであれば教えられるかもしれない。そう思ったのだが、シロはそっと手を伸ばしてノートを指差した。
「これ間違ってる」
「え、どこ」
「ここ。使う公式が違う。これは――」
言いながらシロはアマキのシャーペンを手に取ると、ノートを手元に引き寄せて「こうする」と解答を書き始めた。
「あと、これはここに代入して――」
シロは簡単に説明を加えながらアマキが悩んでいた部分をいとも容易く解いていく。
「ほら、できた」
「……ウソでしょ?」
「ウソじゃない。これが答え」
「いや、そうじゃなくて。え、だってこれ高校の数学だよ?」
アマキは呆然とシロを見つめる。彼女は不思議そうに「それが?」と首を傾げた。
「いやいや。あれ? 待って。そういえば――」
アマキは口元に手を当て、あることに気がついた。その幼く見える容姿からシロのことを中学生だと決めつけていたが彼女自身から年齢を聞いたことはなかった。もしかすると万が一にも彼女は見た目より年上なのではないか。そんな疑惑がアマキの中に浮上する。
「なに、アマキ。なんか変な顔してる」
「あー、えっと。あのね、シロ。いきなりで失礼かとも思うんだけど、何歳なのか聞いてもいい?」
シロは怪訝そうに眉を寄せながら「十六」と答えた。
「十六歳……。高一?」
「あ、そういう意味か。だったら違う。今年で十七。高二」
「……マジ?」
「マジ」
「……マジかー」
アマキは呟きながら呆然とシロを見つめた。
「まさか同い年だったとは」
シロは「何歳だと思ってたの?」と首を傾げる。
「いや、てっきり中学生かと」
するとシロは不満そうに表情を歪めた。
「あー、ごめんって。ほら、シロってば小さくて可愛いからさ。てっきり年下なのかなぁと。あ、でもすごいね! シロ、数学得意なんだ? びっくりしたよ。これ、けっこう難しいと思うんだけど」
なんとか話題を変えようとアマキは声のトーンを上げながら教科書に視線を向ける。シロはそれでも不満そうな顔のまま「別に」とカウンターに頬杖をついた。
「学校の試験は出題の内容が教科書の範囲内にあるってわかってるから、そこを覚えればいいだけだし」
「いやいや、それが難しいんでしょうが」
「そうなの?」
シロは心底不思議そうな顔でアマキを見てきた。アマキは「そうなの」と息を吐く。
「じゃあ、シロは苦手教科はないわけ?」
「体育」
彼女は即答した。アマキは「あー、まあ、それは仕方ないんじゃない?」とノートを手元に引き寄せてシロが書いてくれた問題の解き方を眺める。
「仕方ない?」
「仕方ないでしょ。運動神経ってのは簡単に鍛えられるもんじゃないし」
そのとき、なぜかフフッと笑い声が聞こえた。不思議に思って顔を上げると、シロは「やっぱりアマキは変だよ」と笑っていた。アマキは思わず眉を寄せる。
「いや、前もそれ言ってたけどシロも相当だからね?」
それでも彼女は笑うのをやめない。アマキは「まあ、いいか」と息を吐いて微笑むと「じゃ、せっかくだから」とシロを手招きした。
「教えてよ、シロ。数学、わたしほんとに苦手でさ」
「しょうがないなぁ」
言いながらシロは嬉しそうにテーブルまで戻ると椅子を持って戻ってくる。
「わたしが教えるからには百点を目指そう」
「いや、ムリ。わたしの目標は赤点回避だから。そのつもりでよろしく」
そう言うと、隣に座りかけたシロがピタリと動きを止めた。そして哀れみの目を向けてくる。
「……アマキ、もうちょっと目標を高く持とう?」
返す言葉もなく、アマキは苦笑して「お願いします。先生」と姿勢を正したのだった。
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