第12話

「あのサングラスは色を見ないようにってことだったんですね?」

「うん。色の濃いサングラスをしていればいくら色が変化しても同じ色にしか見えないだろ? 目への刺激も少ないだろうと思って、外に出るときはだいたいかけさせてるんだ」

「そうだったんですか」


 そういえばアマキは祭りの日以外、この店の中でしかシロと会ったことはない。外で彼女がどんな恰好をしているのか考えたこともなかった。

 そう思ってから、ふと不思議に思う。


「シロ、わたしに会うときはまったくサングラスしてませんでしたけど。というか、目を逸らされたこともなかったと思いますが」


 ここでシロと話している間、彼女の態度に違和感を覚えたことはなかった。そう伝えるとマサノリは「それはそうだろうね」と優しく微笑んだ。


「君の色は白なんだってさ」

「白……?」

「うん。四月に初めて君と会った日、すごく嬉しそうに話してくれたよ。真っ白な子に会ったって。何を言っても真っ白のままで、すごく綺麗で驚いたって」


 言われてアマキは「あ……」と思い出す。そうだったのか。彼女があのとき言った『シロ』という言葉は自己紹介をしたわけではなく、アマキの色を言っていたのだ。


「あー……」


 とんだ勘違いに気づき、アマキは額に手を当てた。それをマサノリは不思議そうに見ている。


「どうしたんだい?」

「ああ、いえ。なんでも」


 アマキは苦笑しながら「でも」と続ける。


「別にベースが白い人なんて他にもいるんじゃないですか?」

「そうだろうね。でも、君は色が変わらないんだって言ってたよ。ずっと綺麗な白のまま。見ていると落ち着くって」

「へえ……」


 なんだか恥ずかしくなってきてアマキは顔を俯かせる。マサノリはそんなアマキの様子に気づかないのか「君と会う日はすごく楽しそうでね」と続ける。


「それまでは休日に外へ出ることなんてほとんどなかったのに、最近は自分から出掛けるようになって。まあ、行き先はこの店なんだけど」


 顔を上げるとマサノリは嬉しそうに笑みを浮かべていた。アマキも一緒になって微笑む。


「じゃあ、なんで来ないんだろ。わたしが怒ってるとでも思ってるんですかね」


 アマキは言いながら竹とんぼに視線を向ける。


「わたしもお祭りとかあんまり行く方じゃなくて、むしろ疲れるだけだから行きたくない派だったんですけど」

「え、そうなの?」

「そうなんです」


 アマキは苦笑した。


「でも、シロと行った先月のお祭りは楽しかったですよ。シロって、わりといつもクールじゃないですか。ここで話してても淡々としてるし。だけどあの日はすごく楽しそうだったんです。そんな楽しそうな彼女を見てると、わたしも楽しかったっていうか」


 だから、とアマキはマサノリへ視線を戻した。


「わたしたちの普通のゴールデンウィークは成功だったって伝えてもらえますか?」

「普通のゴールデンウィーク?」


 マサノリは首を傾げる。


「えっと、どういう意味だろう?」

「伝えてもらえればわかると思います。それから、明日もわたしは店番してるって」


 するとマサノリはなぜか軽く声をあげて笑った。


「え、笑うとこでした? いま」


 戸惑いながらアマキは首を傾げる。マサノリは「いや、ごめん」と笑みを浮かべたまま言った。


「なるほどなぁと思って」

「なにが……?」

「君はあの子のことを知ってもブレないんだね」


 意味が分からず、アマキは眉を寄せた。マサノリは首を横に振ると「気にしないで」と微笑んだ。


「いや、気になるんですけど」

「とにかく伝えておくよ。コーヒー、ごちそうさま」


 言って彼は立ち上がった。


「あ、これ。渡してあげてもらえますか?」


 アマキは立ち上がると竹とんぼを差し出す。しかし彼は笑みを浮かべて「もう少し預かっておいてもらえないかな」と言った。


「でも……」

「本人が取りに来ると思うから」


 マサノリの言葉にアマキは「ああ」と笑った。そして竹とんぼへ視線を向ける。


「……そうですね。じゃ、預かっときます」

「うん」


 彼は頷くと「じゃあ、また」と軽く手を挙げて出口へと向かった。カランとドアベルが鳴り響く。その音を聞きながらアマキは「あ……」と動きを止めた。そしてドアの方へ視線を向ける。


「シロの本名、聞くの忘れた」


 呟いてからため息を吐く。


「まあ、いいか」


 本人に聞けば済むことだ。アマキは竹とんぼをカウンターに置くとコーヒーカップを片付ける。


 ――人の色が見える、か。


 それはつまり、シロが見ている世界はアマキが見ている世界とは違うということ。


「どんな世界なのかな」


 流しでカップを洗いながら呟く。そして、これも本人に聞けばいいことかと思う。きっと明日は来るのだろうから。

 そして翌日。いつものようにぼんやりと店番をしているとカランッとドアベルが響き渡った。本棚と本棚に挟まれた細い通路から聞こえる靴音。そしてガサガサと擦れる紙袋の音。

 アマキはカウンターに頬杖をつきながら来訪者が近づいてくるのを待った。しかし、あと少しで姿が見えるというところで靴音はピタリと止まってしまった。静かに待っていても、来訪者はそこから動こうとしない。


「ふうん」


 アマキは呟くとカウンターに置いていた竹とんぼを手にした。そして軸棒を挟んで勢いよく右手を押し出す。ブンッと鈍い音を立てて飛びたった竹とんぼはすぐに失速し、カランカランと音を立てて通路に落ちた。


「やっぱ上手く飛ばせないや。シロは上手だったよね」


 カサッと紙袋の音が聞こえた。そして来訪者は落ちた竹とんぼを拾い上げる。


「……室内で飛ばしちゃダメって、おじさんが言ってた」


 小さな声が通路から聞こえた。アマキは笑みを浮かべる。


「じゃ、また外で遊ぼうよ。今度はサングラス落とさないようにしてさ。ね、シロ」


 アマキの言葉にガサッと再び紙袋の音が響いた。そして、俯きがちに少女がカウンターに近づいてくる。


「わたしがわたしじゃなかったらどうするの」


 俯いたままそんなことを言う彼女にアマキは眉を寄せた。


「え、なに。哲学?」

「違う」


 シロが顔を上げた。そしてハッとしたような表情でアマキを見てくる。アマキは微笑んで「なに、変な顔して」と首を傾げた。彼女は「なんでもない」と呟くように言う。そしてしばらくアマキを見つめたあと、安堵したような笑みを浮かべた。


「アマキは、やっぱり変だね」

「え。シロに言われたくないんだけど」


 言いながらアマキは手を差し出す。


「それ、買取希望なんでしょ?」

「うん。お願いします」

「はいはい」


 受け取った紙袋から本を取り出しながらアマキはパソコンを開いた。シロは当たり前のようにテーブルに着く。四月からずっとそうしていたように。


「ねー、いつ遊ぶ? 竹とんぼ」

「そうだなぁ。梅雨が明けたら?」

「えー、まだまだ先じゃん」

「もうすぐでしょ。我慢しなさい」


 言いながら視線を向けると彼女は竹とんぼを両手で掲げて見つめていた。嬉しそうに。そんな彼女を見ながらアマキは思う。

 シロはクールだが、同時に幼い子供のように無邪気だ。それは彼女が見ている世界が世間一般的に言う普通の世界とは違うからなのかもしれない。それ故か、彼女の心はとても繊細なようだ。

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