第34話

 月曜日。シロと一緒に登校するようになってから学校に着く時間は以前よりも三十分以上早くなった。予鈴が鳴るまでは人が来ない中庭や屋上へと続く階段の踊り場などでシロとぼんやりしながら過ごす。それが最近、定番化してきた一日の始まりだ。

 今日もそうだ。ついさっきまでシロと一緒に階段の踊り場で時間を潰していた。しかし教室に戻ると、そこにいつもの朝は待っていなかった。ショートホームルームが進められている中、クラスメイトたちはチラチラとアマキへ視線を向けてくる。


 ――やっぱりね。


 アマキは心の中でうんざりしながら机の下でこっそりとスマホを眺めた。開いているのはクラスのトークグループ。碧菜にムリヤリ入らされたグループだった。そこに先週あたりから流れ始めたのは、アマキに関する噂話だった。

 友人の彼氏を奪った。気に入らない女子に暴力を振った。さらには援交やパパ活、教師と付き合ったこともあるらしいなど、まったく身に覚えのないものばかり。

 噂話に出てくる名前はイニシャルで伏せられているが、そのイニシャルを持つ生徒はこのクラスにはアマキだけだ。これでは名指しされているのと同じである。


「では、ホームルームを終わります」


 グループの存在も知らないだろう担任はいつもと変わらぬ口調で言って教室を出て行く。そしてざわつき始める生徒たち。悪意と好奇心の入り交じった視線。クスクスと笑う声。そのどれもが自分に向けられている気がして、堪らずアマキはイヤホンを耳につけた。

 一限目は日本史。日本史の教師は生徒に対して無関心だ。このままイヤホンをつけていても何も言われないだろう。アマキは机に頬杖を突いて目を閉じる。耳に聞こえてくるのはお気に入りの音楽だけ。

 こうして目を閉じていれば何も見ないですむ。何を感じなくてもすむ。それなのに、少しだけ心に隙間がある気がするのはなぜだろう。シロがいないからだろうか。

 少し考えてから、ああ、そうかと思う。今日はまだ碧菜の声を聞いていないのだ。彼女の笑顔も見ていない。そっと目を開けて碧菜の席へ視線を向ける。そこに彼女の姿はなかった。


 ――アオは知ってるのかな。


 知らないはずはないだろう。あのグループにアマキを誘ったのは碧菜なのだから。それを見て彼女は何を思っただろう。ふいに蘇ってきたのは中学のときの記憶だった。

 それまで友達だと思っていた子たちが手の平を返したかのように離れていく姿。もしかしたら碧菜もそうなのだろうか。友達だと、親友だと言っていたのに。


 ――やっぱ、よくわかんないや。


 一限目開始のチャイムが鳴る。アマキは音楽の音量を少し上げた。





 授業中でも飽きもせずグループのトークは進んでいく。見なければいいと分かってはいても、やはり気になって見てしまう。ちょっと目を離した隙に噂の種類はさらに増えていた。ウソか真実かなんてどうでもいいのだろう。絶好の退屈しのぎ。ただそれだけだ。時間が経てばじきに興味も薄れる。

 そう思うものの、やはりこの空気の中にずっと居続けるほどの図太い神経は持ち合わせていない。アマキはイヤホンを取ると席を立った。瞬間、教室の空気が変わった。


「天鬼さん。どうしました?」


 さすがに無視できなかったのだろう。日本史の教師が無表情に聞いてくる。


「気分が悪いので保健室行ってきます」

「わかりました。では、付き添いを誰か――」

「一人で平気です」


 アマキはそう言うと返事も待たずに教室を出て行く。廊下に出る瞬間、クスクスと笑い声が聞こえた。

 気分が悪いのは本当だが、もちろん体調不良というわけではない。素直に保健室へ行くわけもなく、アマキは屋上へと続く階段の踊り場に来ていた。

 ここならば少し寒いことを我慢すれば快適だ。誰もいない静かな空間。そこに腰を下ろしてアマキはホッと息を吐く。そして自分の行動を自嘲した。


「帰ればよかったじゃん」


 いっそのこと早退してしまえば楽だったのに。そう思う。しかし、その選択肢が咄嗟に思いつかなかった。二限目から帰ってしまおうか。思ったが、どうにもそんな気持ちにはなれない。なぜだろうと考える。すると頭に響いてきたのはシロの声だった。


 ――アマキがいるから。ちょっとだけ楽しい。


「……一緒のクラスだったら良かったのにね」


 そうしたら、きっとあの空気の中でも耐えられたのに。アマキは小さく息を吐くと壁にもたれるようにして目を閉じた。すきま風があるのか、肌寒くなって膝を抱える。


 ――昼休憩には戻らなきゃ。


 それまで少しだけ眠ろう。程よく眠気もやってきた。アマキは眠気に抵抗することもなく、この冷たく穏やかな空間に身を任せて意識を手放した。

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