第33話
その日からナベはよくアマキに話しかけてくるようになった。移動中にすれ違えば笑顔を向けてくるし、休憩時間にバッタリ出くわせば軽く雑談をする。
碧菜がいるときは別に構わない。しかしアマキが一人でいるときに話しかけられると、どうしたらいいのかわからなくなってしまう。
適当に返事をして早く会話を切り上げようとしても、彼はめげることなく話しかけてくる。まっすぐに。
そのまっすぐさが眩しく、そして息苦しい。そんなアマキの気持ちは、きっと彼にはわからないだろう。
「しんどい……」
呟きながらアマキはカウンターに頬杖をついた。
「なにが?」
いつもの席でシロが首を傾げる。
「学校」
「楽しくないの?」
「今は、そうだね」
「なんで?」
「……さあ、なんでだろうね」
するとシロは、じっと何かを探るようにアマキを見つめた。そして「少し、曇ってる」と呟く。
「少しか。じゃあ、まだ平気かな」
苦笑しながらアマキはシロを見つめた。
そうだ。まだ平気だ。こうしてちゃんと笑えることができている。普通に会話もできている。まだ、人の顔をまっすぐに見ることができている。
中学の頃とは違う。
それはきっとバイト先がこの静かな古本屋だから。そして、いつもそばにシロがいてくれるから。
「ナベ、嫌いなの?」
ふいに彼女が言った。アマキは笑って「別に」と答える。好きも嫌いもない。ナベは良い奴。それだけだ。そんなことよりも――。
「じゃあ、どうして曇ってるの?」
シロは静かに立ち上がるとカウンターへと近づく。その表情は心配げだ。アマキは彼女を安心させるように微笑んだ。
「さあ、どうしてだろうね」
「陰口」
「……え?」
喉から漏れ出たアマキの声は掠れていた。シロはカウンターの前に立つと不愉快そうに眉を寄せた。
「言ってる子がいた。そのせい?」
「……なんだ」
アマキは笑みを浮かべる。
「知ってたんだ?」
彼女は頷いた。
「その子、ナベのことが好きだからアマキに嫉妬してる」
「ほんと、シロはなんでもわかっちゃうんだね。すごいなぁ」
「アマキはそのせいで曇ってる?」
アマキは答えず、ただ微笑みながらシロを見返す。彼女は「だったら」と続けた。
「大丈夫。その子の陰口の対象はわたしになったから」
突然の言葉にアマキは目を丸くして「何したの?」と訊ねる。彼女は不愉快そうな表情のまま「汚い色してるって言った」と答えた。
「え?」
「元々きれいな色じゃないけど、嫉妬が混じってすごく汚い色してるって言ったら、なんか、殴りかかってきたから」
「え!」
慌ててアマキは立ち上がるとシロの肩を掴んで「なにやってんの! 大丈夫だった?」と怪我がないか確認する。
「平気。マッキーが止めてくれた。さすが運動部。反射神経が違う」
「いや、なに冷静に言ってんの。もー、ほんとなにやってんの」
アマキは脱力しながら椅子に倒れ込むように座った。
「やめなよ? そういう無駄に反感買うようなこと」
「なんで?」
ようやくシロは表情を変えた。ただし、もっと不愉快そうなものへと。アマキはため息を吐く。
「そりゃそうでしょ。自分とは関係ないことでダメージくらうことなくない?」
「なんで?」
グイッとシロがカウンターの上に身を乗り出し、アマキを睨んでくる。とても不満そうに。
「いや、なんでって。え、なにが?」
「アマキのこと悪く言われたらわたしは腹が立つ。それはわたしにとってアマキは関係なくないってことだと思う。なのになんでアマキはそれをわたしと関係ないことだって言うの」
「……えっと」
なんだか小難しいことを言われた気がした。アマキは戸惑いながら怒った様子のシロを見つめる。
どうやら彼女がアマキの悪口を言っていた相手に怒ったのは、アマキのことを悪く言われて自分が嫌だったからであり、そして今こうしてアマキに対して怒っているのは、その気持ちを自分とは関係ないことだとアマキに言われたから、ということだろう。
なるほど、とアマキは思う。つまり彼女はアマキのために怒ったわけではなく、自分の気持ちに正直に動いただけということだ。
「ごめん」
「わかればいい」
なんだろう。この納得のいかない感じは。しかし同時に嬉しくもあり、温かな気持ちにもなる。アマキは微笑みながら「でも」と手を伸ばしてシロの頬をつまんだ。
「槇本さんに迷惑をかけちゃダメ」
「わかった」
アマキは素直に頷くシロの反対側の方もつまんで少し引っ張る。ふにふにした頬は柔らかい。
「シロが怪我をするのもダメ。わたしが嫌だから」
「……わかった」
シロは嫌がることもせず、素直に頷く。アマキは手の力を緩めて「それから」と彼女の頬を包み込むように挟んだ。
「ありがとう」
「なにが?」
シロが不思議そうに言う。なにがだろう。アマキは考える。
シロが怒ってくれたから?
心配をしてくれているから?
いや、たぶん違う。そうじゃない。きっともっと単純で、そして大切なこと。しかし、うまく言葉にはできない。アマキは笑みを浮かべた。
「ここにいてくれて、かな?」
「いつもいるけど」
「だね」
アマキは彼女の頬から手を放す。シロは引っ張られたのが痛かったのか、自分の両手で頬を押さえながら「変なの」と首を傾げている。
「そうだね。わたしは変なんだよ」
アマキは笑うと小さく息を吐いた。月曜日が憂鬱だ。たとえシロの行動で陰口を言っていた本人の興味がアマキから逸れていたとしても、きっと変わらない。
「……よし。仕事しようかな」
「お客さんいないけど?」
「今日は店長から本棚の清掃も頼まれててね。シロも暇なら手伝って」
「わたし、客だけど」
「いま客はいないって言ってたじゃん」
するとシロは、しまったというような表情を浮かべた。
「策士め」
「シロが自爆したんだよ」
「バイト代を要求する」
「あとでスタバのコーヒーを奢ってあげよう」
「交渉成立」
「よし。じゃあ、向こうの本棚からやろっか」
掃除道具を手渡して店の一番奥へと移動する。そうしてシロはアマキが何か言うまでもなく手際良く掃除を開始した。そんな彼女を見ながらアマキほ微笑む。
――大丈夫。だってシロがいればこんなにも心穏やかになれる。だからきっと、頑張れる。
「アマキも早く掃除して」
「あ、ごめん」
慌ててアマキも本棚の掃除を開始する。無駄な会話もせず、ただ黙々と。
古い本の香りと静かな空間。そして心地良いシロの気配にアマキは心が穏やかになるのを感じた。
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