―十二月―

第32話

 気候は冬に近づき、街は近づいてくるクリスマスの雰囲気に浮かれている。定番のクリスマスソングが流れる外の雰囲気とはまるで別世界のように、今日も古本屋は静かだった。


「ねー、フジ」


 カウンターに寄りかかるようにして頬杖をついた碧菜がスマホをつつきながら言う。


「んー?」

「今日、シロちゃんは?」

「あー、病院だって」

「え、具合悪いの?」

「定期検診だって言ってた」


 おそらく目のこともあるのだろう。シロは数ヶ月に一度、病院で検査を受けているようだった。


「そっかぁ。クロ、今日はハルカちゃんと遊ぶんだって」

「へー」


 午後を回った穏やかな時間。空腹も満たされて眠気が襲ってくる。アマキは客のいない店内をぼんやりと眺めながら欠伸をかみ殺す。


「ねー、フジ」

「んー?」

「最近、ナベがフジのこと聞いてくるんだよね」

「……なにを?」

「いやー、なんか色々と」


 碧菜はスマホから視線を上げて首を傾げた。


「フジってさ、ナベと話したことあったっけ?」

「ない、こともない」

「どっちだよ」

「んー、なんかさぁ」


 アマキは小さくため息を吐いて椅子の背にもたれた。年季の入った椅子はギシリと軋む。


「クロの学校の文化祭に行った少しあと、帰り道が一緒になっちゃってさ」


 すると碧菜は「へえ?」と目を丸くして身体を起こした。


「珍しい。あいつ部活なくても一人で自主練してたりすんのに」


 彼女はそう言うとニヤリと笑った。


「で、一緒に帰ったんだ?」

「なんか、ついてくるから。そんでお礼言われた」

「え、なんの」

「キーホルダー」


 碧菜は怪訝そうに眉を寄せる。


「わたしがあげたやつ?」

「そう」


 文化祭のときに碧菜が買ったキーホルダー。それを碧菜はアマキとシロ、そしてクロに渡したのだ。みんなでお揃いでつけよう、と。


「アオがムリヤリわたしの鞄につけたじゃん? それを見て、なんかお礼を言われちゃって」

「なんでナベがお礼言うの」

「ハルカちゃんが作ったからじゃないの?」

「ふうん? てか、買ったのわたしじゃない? わたしに礼を言えよ」


 碧菜はよくわからないといったふうに首を捻ってから「それで?」と続きを促す。


「いや、あとは別に。普通に歩いて、バス停で別れたけど」

「それだけ?」

「まあ。あとは学校ですれ違うと、なんか爽やか笑顔を向けてくる。なんだろ、あれ」


 アマキの言葉に碧菜は呆れたように「フジー、お前ってやつはさぁ」とアマキのことを睨んできた。


「え、なに」


 突然の碧菜の反応にアマキは眉を寄せる。すると彼女は「まあ、フジらしいっちゃらしいけど」と脱力したように言った。そのとき彼女のスマホがポンッと鳴った。


「あ、マッキーだ」


 言いながら彼女は素早く返信して「じゃ、わたし行くわ」とフジに背を向ける。


「うん。槇本さんによろしく」


 そう声をかけると碧菜はふと足を止めた。


「あのさ、フジ」


 彼女はどこか真面目な口調で言いながら振り返る。


「ナベは良い奴だよ」

「なに、急に」

「別に。一応、言っておこうかと思って。あいつ、けっこうモテるし悪くないと思う。わたしのタイプじゃないけど」


 彼女はそう言うと今度こそ店から出て行った。アマキは深くため息を吐くと「めんどくさいなぁ」と頬杖を突いた。

 そういうことに興味がないわけではない。好意を持たれていると思うと少しは嬉しい。しかしそれ以上に、マイナスの感情が心を支配していく。


「けっこうモテる、ねぇ」


 たしかに背は高いし顔も悪くない。性格だって優しいのだろう。碧菜が言うことなら信頼もできる。


 ――だったら、きっとまた。


 アマキは脳裏に蘇ってきた過去のことを振り払うように顔を上げる。そのときドアベルがカランと鳴った。


「いらっしゃいませ」


 まだ見えぬ客にそう声をかけると、アマキは久しぶりの接客に集中することにした。




「天鬼さん、おはよう」


 朝の通学路。そう声をかけられたアマキは足を止めて振り返る。そこには爽やかな笑顔を浮かべたナベが立っていた。


「あー、おはよう」

「今日、柊さんは?」


 再び歩き出したアマキの隣を、ごく自然な動きでナベが並んで歩き出す。


「寝坊したって連絡があったから遅刻かな」

「そっか」


 アマキはそっと横目で彼の顔を眺めた。身長はアマキよりも十センチ以上は高いだろう。バスケ部の中でも高い方かもしれない。色白で、運動部らしくがっちりした体格だ。

 たしかに女子から人気もありそうだと思う。きっとその気になればすぐにでも彼女ができるだろう。


「天鬼さんはさ」


 ふいに彼の視線が向いて、アマキは慌てて前方に視線を戻した。


「綾坂とは幼なじみとかなの?」

「アオ?」


 アマキは眉を寄せながら「違うけど」と答える。


「高校に入ってからの付き合い」

「マジで? へー、それにしては」


 彼は意外そうに呟きながら顎に手を当てている。アマキは首を傾げた。


「なに?」

「いや、あいつって友達多いじゃん? でも、そのわりには誰かに固執しないっていうか。増やすだけ増やすけど、あまり深く関わろうとしないというか」

「あー、たしかに」


 アマキは笑う。


「休憩時間とか、いつも色んなところ渡り歩いてるもんね」

「だろ? でも、天鬼さんにだけはちょっと違うっていうか」


 ナベはそう言うと「まあ、よくわかんないけど」と首を捻った。


「ていうか、なんでアオの話?」

「いやさ、綾坂に天鬼さんのこと聞いたら――」


 彼はハッとしたように口を閉ざした。そして気まずそうに「いや、そうじゃなくて」と慌てた様子で言った。


「え、なにが?」


 意味が分からないとばかりに首を傾げると彼は安堵したように「いや、なんでも」と笑みを浮かべた。


「えっと、そう。綾坂と話してるときに天鬼さんの話になってさ。そんときにあいつ、やたら天鬼さんのこと語るもんだから」

「やたらって……。何か変なこと言ってなかった?」


 学校が近づいてきて通学路には生徒たちがゾロゾロと歩いている。なんとなく居心地が悪くなり、アマキは気づかれないようにほんの少しだけ彼から離れた。


「別に変なことは言ってなかったけど。ただ――」

「ただ?」


 ちらりと視線を向ける。彼はにこりと笑って「天鬼さんのことすごい好きなんだろうなって感じだった」と言った。アマキは苦笑する。


「なにそれ、どういうこと。なんの話をしてたのか気になるんだけど」

「それは教えられないなぁ」


 ふいに誰かに見られているような気がしてアマキはもう一歩後ろへ下がった。しかし、それに気づいた彼はまた自然と歩調を合わせてくる。


「やっぱ、変なこと言ってたんでしょ」


 アマキは笑顔を張りつかせながら視線を地面に向けた。ナベは軽く笑って「ないって。何だよ、変なことって」と穏やかな口調で言う。

 クスクスと聞こえた笑い声に、アマキは顔を俯かせる。


「……じゃ、あとでアオに聞いてみようかな」

「あいつが素直に話すとは思えないけど」

「かもね」


 アマキは乾いた声で笑う。

 足が重い。

 自分が一歩足を踏み出すと隣を歩く彼もまた一歩を踏み出す。どんなにアマキがそのタイミングをずらしても彼はそれに合わせてくる。どれほど歩みを遅くしようとも。


「天鬼さん?」


 怪訝そうな声にアマキはハッと顔を上げた。気づけばアマキの足は踏み出すことを止めてしまっていた。学校へと急ぐ生徒たちがアマキとナベをチラチラと見ながら通り抜けていく。


「あ、ごめんね」

「いいけど。なんか顔色悪くないか?」

「そう? 別に平気だけど」


 アマキは笑顔を作って答えると足を踏み出した。ナベは心配そうな表情を浮かべていたが、何を言うでもなく再び隣を歩き出す。

 近づきすぎず、しかし離れるわけでもなく。

 その距離感が当然であるかのように。

 ナベが何か話しかけてくる。楽しそうに。落ち着いた口調と柔らかな笑顔で。しかしアマキの耳に彼の言葉は入ってこない。

 アマキは笑顔を張りつかせたまま、ただ周囲の様子に意識を集中させていた。誰かが、自分のことを笑っているような気がしたから。

 そのとき「おーっす! お二人さん!」と背中に誰かが抱きついてきた。思わず体勢を崩しそうになったアマキをナベが支えてくれる。


「あ、ありがとう。ナベくん」

「いや、コケなくてよかった。てか、綾坂! おまえ、危ねえだろ」


 ナベはため息を吐きながらアマキの後ろに立つ碧菜に視線を向けた。碧菜は「ごめんごめん」と悪びれた様子もなく謝る。そしてアマキの隣に並んで歩き始めた。


「まったく悪いと思ってないだろ、おまえ」

「悪いと思ってるって。二人の時間の邪魔をしちゃって」


 ニヤリと笑う碧菜に慌てるナベ。その二人に挟まれながらアマキは安堵していた。


 ――これなら、大丈夫。


 碧菜がいれば、きっと大丈夫。周りの目も気にならない。アマキは笑いながら二人の会話に参加する。しかし、ふと視線を感じて後ろを振り返った。


「フジ? どした?」

「あ、ううん。なんでも」

「なんか天鬼さん、具合悪そうなんだよ」

「寝不足じゃない? クマできてるし」


 碧菜の言葉を笑って誤魔化しながらアマキはもう一度振り向いた。しかし、誰もアマキのことを見ている者はいない。少し神経質になりすぎていただけかもしれない。


「ほら、さっさと教室行って一眠りしようよ。フジ」

「いや、授業受けるよ。普通に」


 アマキは笑いながら学校へ向かって歩く。もう、足は重くなかった。

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