第10話

 シロが古本屋に来なくなって一ヶ月と半分くらい。六月最後の土曜日。今日も外はシトシトと雨が降り続いている。アマキはいつものようにレジカウンターの中でスマホを触りながらぼんやりとしていた。

 しばらくアプリゲームをしてから深くため息を吐く。


「……暇だなぁ」


 呟きながらスマホを置くとカウンターに置いていた竹とんぼを手に取る。いつシロが来てもいいように、店長に言ってずっとレジカウンターに置かせてもらっている。しかし、いまだに置かれたままということは彼女は来ていないのだろう。

 アマキはもう一度ため息を吐きながらスマホでシロへ送ったメッセージを開いた。既読の文字はついている。しかし、まったく返信はない。


 ――もう一回送ってみようかな。


 そう思ったとき、カランッとドアベルの音が鳴り響いた。アマキは反射的に立ち上がって通路へ視線を向ける。コツコツと足音が近づき、狭い通路からひょっこり現れたのは期待した人物ではなかった。


「やあ、こんにちは」


 人懐こい笑みでそう言ったのはマサノリだった。


「あ、えっと、いらっしゃいませ」


 アマキは笑みを浮かべて会釈をする。すると彼は困ったような顔で「ごめんね、僕で」と頭を掻いた。


「え? なんで謝るんです?」

「いや、なんかガッカリした顔してたから」

「……そんな顔してました?」


 アマキは頬に手をあてる。マサノリは苦笑しながら「してたねぇ」と頷いた。


「あー、それは……。すみませんでした」

「いやいや、とんでもない」


 マサノリは言ってカウンターの前に立つ。そしてなぜかそのまま黙ってしまった。アマキも特に話すこともなく、その場に立ち尽くす。謎の沈黙が広がる店内には空調の音だけが響いている。


「――えっと、今日は査定をご希望ですか?」


 なんとなく気まずい空気に耐えきれなくなってアマキは訊ねる。するとマサノリは「ああ、いや。そうじゃないんだけど」と慌てた様子で手を振った。


「違うんですか」

「うん。今日は、その、娘のことで」

「ああ」


 アマキは頷き、そしてテーブルへ視線を向ける。


「お茶かコーヒー、飲みます?」

「あ、ああ。そうだね。じゃあ、コーヒーを頂いてもいいかな」

「はい。少々お待ちください」


 アマキは給湯室へ向かうと二人分のコーヒーを淹れて戻った。マサノリはのんびりと椅子に座っている。その姿が少しだけシロと似ている気がして、思わず微笑んでしまう。


「どうぞ」

「ああ、ありがとう」

「いえ。えっと、それで――」


 アマキはカウンターに戻りながら「元気ですか? シロちゃん」と訊ねた。


「うん。元気だよ」


 マサノリはコーヒーカップに手を添えながらそう言った。


「そうですか。だったら良かった。あれ以来ここに来ないから体調崩したのかと思って。すごく具合悪そうでしたし」

「そうだね。あの子は、不特定多数の人が集まるところが苦手で」

「不特定多数……?」


 なんだか妙な言い回しにアマキは首を傾げる。マサノリは一口コーヒーを飲むと「今までなら祭りとか、絶対にそんなところには行かないって言ってたんだけど」と微笑んだ。


「たけまつりには絶対に行くんだって、珍しく張り切っててね。だから僕もつい背中を押しちゃったんだ。祭りは戦場だから油断するなよって釘は差していたんだけど」

「ああ。それ、シロも言ってましたよ」


 アマキはそのときのシロの様子を思い出して微笑む。マサノリは「そうか」と笑った。


「だから、あの子はすごく準備してたんだけどね。それがあんなことになってしまって……。失敗したって、落ち込んじゃってるんだよね。君に申し訳ないことをしたって」

「え、わたし?」


 マサノリは頷く。


「あの子は君と一緒に祭りを楽しみたかったみたいだから」

「そうですか……」


 答えながらアマキはシロの楽しそうな表情を思い出していた。自然と視線は竹とんぼに向かう。マサノリもその視線を追って「それは……?」と呟くように言った。


「シロが作ったんです。体験コーナーで。まあ、組み立てただけですけど」

「へえ、すごいな」

「がんばって作ってましたよ。完成して、試してみようって広場で飛ばしたんですけど飛び過ぎて通りに出そうになっちゃって。シロが追いかけたとき、人にぶつかってサングラスを落として……」


 言いかけてアマキは妙なことに気がついた。シロは人混みが苦手だと言っていた。しかし、シロが体調を崩したのは人混みの中ではない。まだ辛うじて広場から出ていなかった。

 思い返してみれば、彼女の様子がおかしくなったのはサングラスを落とした直後ではなかったか。そして彼女が妙なことを言っていたことも思い出す。


「――アマキさん?」


 黙り込んでしまったアマキを不思議に思ったのか、マサノリが首を傾げる。アマキはそんな彼を見ながら「あの、彼女が言ってたんですけど」と眉を寄せながら言った。


「人の色に酔ったって。あれ、どういう意味なんでしょう? 人の流れに酔ったとかならわかる気がするんですけど」


 するとマサノリは少し困ったように「うーん、そうだね」と頬を掻く。何か、言いにくいことでもあるような雰囲気だ。


「あ、別に無理に聞きたいわけじゃないので言いにくかったらいいんですけど」

「いや、アマキさんになら話してもいいかな。僕も実はそのつもりで来たから」

「そのつもり……?」


 マサノリは頷く。


「きっと君なら、あの子の友達になってくれるんじゃないかと思ったから」


 友達、とアマキは口の中で繰り返した。マサノリは「まあ、そうなったらいいなっていう希望なんだけどね。あの子は本当に友達がいなくてねー。可哀想なくらいにいないんだよ」と笑った。


「いや、そんな笑いながら言うようなことじゃないのでは」


 複雑な気持ちで言葉を返す。それでもマサノリは笑う。


「まあ、いいじゃない。聞いてくれるかい? あの子が見ている世界を」


 またしても妙な言い回しにアマキは眉を寄せた。マサノリは一度、小さく息を吐くとコーヒーを啜る。そして「あの子はね、人の色が見えるみたいなんだ」と言った。

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