―六月―
第9話
外は大粒の雨が降り注いでいた。梅雨入りが発表されてから一週間、ずっと雨が続いている。アマキは机に頬杖をつき、どんよりと雨を降らし続ける空を窓から眺めていた。
「フジ、お昼食べよー」
外の暗い雰囲気にそぐわない明るい声。顔を向けると碧菜が弁当袋をアマキの机に置き、前の席の椅子に座ったところだった。
「元気だねぇ、アオは」
アマキは苦笑しながら鞄から弁当袋を出す。碧菜は「まあね」と笑って頷く。
「元気で明るくて可愛いところが取り柄だし?」
「はいはい。で、今日もわたしのところでいいの?」
碧菜は昼食を食べるグループを固定しない。自分が友達だと認定している子がいるグループを渡り歩くのだ。たとえそのグループが他のクラスであろうとも躊躇しない。しかし、最近はなぜかアマキの元で食べることが多かった。
「え、まさか嫌なの? わたしと食べるの。うわ、ショック」
わざとらしく傷ついたようなジェスチャーをしながら碧菜が言う。アマキはため息を吐いて「そうは言ってないでしょ」と弁当を開いた。
「ただ、最近はなんかずっとここにいるから珍しいなぁと思っただけで」
「えー、それはほら。あれじゃん?」
「どれよ」
「飛び立ったヒナが親鳥の元に戻ってくる、みたいな」
「誰が親鳥だ」
碧菜は笑いながら「まあ、いいじゃん」と弁当を食べ始める。
「フジといると、なんか落ち着くからさぁ」
「あんたの口から落ち着くって言葉が出るとは意外だったわ」
「確かに」
碧菜は笑いながら「あ、これもーらい」とアマキの弁当箱から唐揚げを箸で取った。
「じゃ、卵焼きね」
「ほれ」
卵焼きをアマキの弁当箱に入れると、彼女は「そういえばさ」と思い出したように言った。
「妹ちゃん、元気?」
アマキはもらった卵焼きを頬張りながら首を傾げる。碧菜は眉を寄せながら「ほら、先月のお祭り」と言った。アマキは「ああ」と頷く。
「シロのことね。あのときも言ったけど妹じゃない。わたし、一人っ子だし」
「じゃ、隠し子か」
「なんでよ。あの子はバイト先の常連さんの娘さん」
「……なんか、関係が遠くない? なんでバイト先の常連さんの娘さんとお祭りに?」
「んー、流れ? よく遊びに来るんだよね、バイト先に」
ふうん、と碧菜は頷きながら唐揚げを口に放り込むと「それで、元気?」と首を傾げた。
「あのとき、すっごい調子悪そうだったじゃん」
「んー」
アマキは箸を止めて弁当箱を見つめる。
「……どうだろ。元気、なんじゃないかな」
「よく来るんじゃないの?」
「うん、そうなんだけど」
しかし、あの日からシロが店に来ることはなかった。
あれから広場でずっと休んでいてもシロの体調は変わらず、このまま無理をさせるよりはとアマキは帰ることを提案した。シロはそれでも残ると言い張っていたが、しかし自分の体調がわかったのだろう。最後には自分でマサノリに連絡をしていた。
「あの後、マサノリが迎えに来てくれてさ」
「……誰だよ、マサノリ」
「たぶん、シロのお父さん」
「いや、たぶんって……」
碧菜は「情報が雑すぎない?」と眉を寄せた。アマキは苦笑する。
マサノリは広場まで迎えに来てくれた。そしてぐったりとしたシロを見て驚いたような様子もなく「ごめんね、アマキさん」と人懐こい笑顔で言った。
マサノリはアマキが想像していたよりも若く、見た目からすると三十代。長めの前髪が眼鏡にかかっていて顔をよく見ることはできなかったが、笑ったときの口元はシロとよく似ていた。
「迷惑かけたりしなかったかな?」
「いえ、平気です。あの、こちらこそすみませんでした」
アマキが謝ると彼は不思議そうな表情を浮かべた。
「えっと、シロ……ちゃんの体調をよく見ていなくて」
「ああ、それは仕方ないよ。気にしないで」
彼はそう言って笑みを浮かべると「ほら、起きられるか?」とシロに手を伸ばした。
「あ、さっき眠ってしまって」
「ああ、そうなんだ。じゃ、起こさないようにしないと」
マサノリはそう言うとシロの身体を優しく抱き起こし、そのまま背中におぶった。とてもスムーズで慣れた手つきである。
「あれ、サングラスは……」
彼は肩越しにシロを見て首を傾げる。
「ああ、すみません。わたしが持ってました。落としちゃいそうだったので」
慌ててサングラスを差し出す。マサノリは「そっか。ありがとう」と爽やかに笑ってそれを受け取った。
「ほんとにごめんね。せっかくのお祭りだったのに」
「いえ。わたしよりもシロちゃんの方が……」
アマキは眠るシロの顔を見つめてから「目が覚めたら、気にしないでって伝えてください」とマサノリに言った。
「また遊びに行こうって」
するとマサノリはフッと微笑んで「なるほど」と頷いた。
「え、何か……?」
「いや、何でも」
彼は首を横に振ると「伝えとくよ。ありがとう、アマキさん」と手を振り、去って行った。
マサノリとシロの姿を見送ってアマキはベンチを振り返る。そこには竹とんぼが一つ。それはシロが作ったものだった。
「……で、それきりバイト先には来てくれない、と?」
アマキの話を聞き終えて碧菜が言う。彼女はすでに弁当のほとんどを平らげていた。アマキは「そうなんだよねぇ」と頷く。
「竹とんぼ、返したいのに」
「連絡すりゃいいじゃん。連絡先、知ってんでしょ?」
「したんだけどね。既読スルー」
「なんと……」
碧菜は目を丸くすると「それで最近のフジはアンニュイな感じなのか」と納得したように頷いた。アマキは思わず吹き出す。
「なにそれ。アンニュイって、久々に聞いたわ」
「シロちゃんに会えなくて寂しいんでしょ? 妬けちゃうなぁ」
「いやいや、意味わかんないから」
笑って答えながらアマキは食事を続ける。
寂しい、とは少し違うかもしれない。バイトをしていて話し相手がいない。それがつまらないと感じている。
たぶん、それだけだ。
要するに暇なのだ。シロがいないと店は開店から閉店までずっと静かなまま。まるで時が止まってしまったかのようで、たまらなくつまらなかった。
――なんで来ないのかなぁ。
アマキはモソモソと弁当を食べながら窓の外に視線を向けた。雨は今日も止みそうになかった。
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