第8話
「ん、どした? 怖くない人たちだよ? なんかデカいけど」
「バスケ部だからねぇ。わたし以外」
「ああ、やっぱり」
アマキは納得しながらナベの手元を見る。そこには竹とんぼが握られている。
「あ、これ。その子の?」
アマキの視線に気づいたのか、ナベが竹とんぼを差し出した。しかし、シロは顔を上げようともせず、ただ手を伸ばした。ナベは怪訝そうな表情で竹とんぼを彼女の手に渡す。
「お礼は?」
しかしシロは俯いてアマキにしがみついたまま何も言わない。どうしたのだろう。いつものシロらしくない。思いながらアマキはナベに「ありがとうね」と礼を言う。
「いや、別に……」
彼はそう言うと、なぜか照れたように視線を逸らした。不思議に思っていると「この子、フジの妹?」と碧菜がシロの顔を覗き込んだ。
「んー、あんま似てないね?」
「いや、妹では――」
「離れて」
突然、シロは低くそう言うとギュッとアマキにしがみつき、顔を押しつけてきた。碧菜は「へ?」と驚いたように目を丸くしている。
「ちょっと、シロ? どうした?」
聞いてみるも彼女はグリグリとアマキに顔を押しつけてくるばかりだ。
「あー、もしかして人見知り?」
「あんたがデカいから怖いんじゃない?」
「え。俺?」
三人が困惑したように顔を見合わせている。そのとき、マッキーが気づいたように「あ、これって妹さんの? さっき落ちたの拾ったんだけど」とサングラスをアマキの方に差し出してきた。その瞬間、シロがバッと顔を上げた。反射的に上げてしまった、という感じだった。同時に「あー、やっと辿り着いた」と近くで声が響く。
「おっそいよ、カヤマもサッチーも」
「いや、これ零さずに辿り着いただけでも褒めてほしいぞ?」
「そうそう。これ全部アオのリクエストでしょ? 遠慮なさすぎ」
カヤマとサッチーが文句を言っている。そして響いてくる楽しそうな笑い声。マッキーはシロのサングラスを持ったままだ。アマキはシロに視線を向ける。気のせいか、肩が小刻みに震えている。やはりなんだか様子がおかしい。
「シロ?」
顔を覗き込むと、彼女の瞳は焦点が定まっていないように見えた。顔色もますます青白い。日差しのせいで気分が悪くなったのだろうか。それとも熱中症になりかけているのか。慌ててアマキは「マッキー」と口を開いた。
「え?」
「その、サングラスを――」
「あ、そっかそっか。ごめんねー」
マッキーは言いながらサングラスを差し出す、しかしそれをなぜか碧菜が手に取った。
「へー、妹ちゃんってオシャレだね!」
彼女はそう言うと珍しそうにサングラスを眺めて笑みを浮かべる。
「このブランド、オーダーメイドしか作らないでしょ? けっこう高いやつ。いいなぁ。わたしも欲しい。フジが買ってあげたの? あ、それともフジのを貸してんの?」
「いや、どっちも違う。ていうか、返してあげて?」
「ああ、うん。はいよ、妹ちゃん」
碧菜がサングラスをシロに差し出す。その瞬間、シロは苦しそうに両手を口元に当ててうずくまった。
「シロ!」
「え! ちょ、大丈夫?」
慌ててシロの肩を掴んだ碧菜の手をシロは身体全体で振り払う。その反動でアマキに倒れかかってきた。アマキは彼女を抱き留めながら「大丈夫? 気持ち悪いの?」と問う。
「――ちょっと、酔った」
そう言った彼女の声はひどく苦しそうだ。
「えっと、救急車呼ぶ?」
心配そうにシロを見ながら碧菜が言う。その隣でナベが「あっちに救護テントみたいなのあったけど」と、どこか遠い場所を指差した。
「あー、いや。たぶん人混みに酔ったんだと思う。この広場のベンチでちょっと休ませるから」
「そう。ついてようか?」
碧菜の言葉にアマキはシロを見下ろす。彼女はアマキにしがみつきながら首を左右に振った。
「いや、平気」
「そっか……。あ、これ」
「うん。ありがとね、アオ」
差し出されたサングラスを受け取りながらアマキは礼を言う。
「これもやるよ。妹さんに」
言ってナベが手に持っていたスポーツドリンクのペットボトルを差し出した。
「さっき買ったやつだから、まだ冷たいと思う」
「ああ、うん。ありがとう」
「おう」
彼はそう言うと再び視線を逸らしてしまった。なかなか目が合わない。避けられているような気がするが、今はとりあえずどうでもいい。アマキは「じゃあ」と笑みを浮かべた。
「ごめんね。楽しんでるところ邪魔しちゃって」
「そんなことないけど……」
碧菜は心配そうにシロへ視線を向ける。
「何かあったら連絡して? すぐ飛んでくるから」
「ほんとに飛んできそうだな」
アマキは苦笑する。
「来るよ。光速で飛んでくる」
碧菜は笑ってそう言うと「じゃ、お大事にね? 妹ちゃん」とシロに手を振った。しかし、シロがそれに答えることはなかった。
「……シロ、歩ける?」
碧菜たちを見送ってからアマキは声をかける。
「うん。歩ける」
思ったよりもしっかりとした声が返ってきた。アマキはシロにサングラスをかけてやると、彼女の細い肩を抱えるようにしながら広場に戻った。
広場のベンチには先客がいたがシロの様子を見るとすぐに譲ってくれた。譲られたベンチはちょうど建物の影になっていて、時折吹き抜けていく柔らかな風が心地良い。
「シロ、ほら。寄りかかっていいから」
ベンチに座りながらシロの身体を自分の方へと傾ける。すると、シロは緩慢とした動きで身体を倒してアマキの足に頭を乗せた。
「うーん。膝枕か……」
「ダメ?」
掠れた声が問う。アマキは息を吐きながら微笑んだ。
「いいよ。で、具合は? 吐き気とか」
「大丈夫」
「まったく大丈夫そうには見えないけど。顔、白いよ」
言いながらアマキはシロの頬に手をあてた。どちらかというと冷たいので熱中症ではないのだろう。寝転んだまま掛けているサングラスが太ももに当たって少し痛い。このままだとフレームも変形してしまいそうだ。
「シロ。これ、外していい?」
「待って」
そう言うとシロは少し身体を起こして仰向けになった。そして自分でサングラスを外すと腹の上に置く。
「そこに置くの? 落とさないでよ?」
言いながらアマキはシロの前髪を掻き上げてやる。彼女は眩しそうに目を細めた。
「一体どうしたの。シロ」
「酔った」
「それはさっきも聞いたけど。何に? 人混み?」
「人混みの、色」
よく意味がわからない。アマキは眉を寄せながらシロを見下ろす。彼女はまっすぐにアマキのことを見上げていた。
「ふうん……。そっか」
頷きながらアマキは広場の向こうに視線を向ける。賑やかな通りには祭りを楽しむ人々が笑顔で通り過ぎていく姿がある。
察するところ、おそらくシロは人が多いところが苦手だったのだろう。最初にそう言ってくれたら祭りになど誘わなかったのに。どうして来たのだろう。無理をしなくても良かったのに。
人の流れを眺めながらぼんやり考えていると「ごめんなさい」と消え入りそうなシロの声がした。視線を下ろすと彼女はアマキを見上げたまま「ごめんなさい」と悲しそうに繰り返す。
「ん、なにが?」
「アマキ、お祭りを楽しめなくなったでしょ」
「いやいや、別にそんなことは――」
「あの人たちに失礼な態度をとった」
「あー……」
しかし、それは体調のせいであって、わざとそういう態度をとったわけではないだろう。アマキはため息を吐いてシロの頭を撫でてやる。
「ま、別に気にしないでいいよ。あ、そうだ。スポドリもらったんだけど、いる?」
「……ごめんなさい」
シロは両手で顔を隠してしまった。その動作によって彼女のお腹に置いていたサングラスが落ちそうになり、慌ててアマキはそれを手に取る。
ごめんなさい、と彼女は繰り返す。どうやらシロが無理をしてまでこの祭りに来たのは、アマキがこの祭りを楽しみにしていると思ったからのようだ。
――わたしのため、か。
シロは細かくてきっちりした性格をしている。そして体調を崩すほど人混みが苦手。しかし苦手な人混みを我慢してでも他人のために行動しようとする。そんな優しい子のようだ。
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