―十月―
第26話
季節の変わり目にひく風邪はタチが悪いと聞くが、アマキもそれにあたってしまったらしい。親に迎えに来てもらったアマキは、それから一週間ほど学校を休んだ。当然のことながらバイトも休むことになってしまった。その間、シロとは連絡もとっていない。
久々に登校したアマキは自席でぼんやりと頬杖をつきながら考え込んでいた。
あの日、保健室で見たのは間違いなくシロだった。最初は熱のせいで夢でも見ていたのかと思っていたが、見舞いに来てくれた碧菜が言っていた。隣のクラスに来た転校生、柊朱音とはシロのことだった、と。
どうやら彼女は新学期になってから学校には来ていたらしい。しかし教室に行くことはなく、保健室で一日を過ごしていたのだそうだ。
――今日も保健室にいるのかな。
アマキは思いながら教室の壁に掛けられた時計に視線を向ける。もうすぐ予鈴が鳴りそうだ。
「お! フジ、来てんじゃん!」
そう言って息を切らせながら教室に入ってきたのは見なくても分かる。碧菜だ。彼女は鞄を置くこともせずアマキの席まで来ると「元気になった?」と笑顔でアマキの顔を覗き込んできた。アマキは苦笑しながら「なった、なった」と彼女を見返す。
「なら、よし!」
彼女は笑顔で頷いたが、なぜかその笑みを少し曇らせた。
「どうしたの?」
碧菜を見上げながら聞くと、彼女は「うん、あのさ」と力なく笑う。
「一限終わったら、ちょっと保健室行かない?」
「……シロのとこ?」
「うん。やっぱフジじゃないとダメみたいでさ。わたしには何も話してくれなくて」
「そっか」
「フジには何か連絡いってないの? シロちゃんから」
アマキは微笑みながら首を横に振る。
「そうなんだ……」
「うん。でも、話してみるよ。あとで一緒に行こう」
「そうだね」
碧菜は頷き、自分の席へと向かう。アマキは再び頬杖をついて思考を巡らせる。
シロが保健室に入り浸っているのは、やはり彼女の体質のせいなのだろう。教師たちにもそのことは伝わっているのかもしれない。だとしたら転校生のことについて教師の口が重かったということも納得ができる。
――ずっと、そうやって学校に通ってたのかな。
一人で、誰と接することもとなく学校生活を送っていたのか。
担任が来て、騒がしかった教室が静かになる。アマキは頬杖をついたまま周囲に視線を向けた。
一つの教室に約三十人。同じ制服を着た同年代の生徒たちが集まった小さな世界。アマキの目に見えるのは、そんな普通の世界だ。
――シロにはどう見えるんだろう。
アマキはフードを目深に被ったシロの姿を思い出す。今日もあの恰好で本を読んでいるのだろうか。たった一人で。
考えながら、アマキは担任の話を聞くでもなく聞いていた。
一限目の授業が終わり、アマキは碧菜と一緒に保健室へ向かう。
「シロ、ずっと保健室にいるの?」
「うん、そうみたい」
廊下を歩きながら碧菜は少し沈んだ様子で笑みを浮かべた。
「わたしが行っても、ぜんぜん話してくれなかったけど」
「そう」
「いじめられてるってわけないよね? だって一回も教室に行ってないわけだし」
「そうだね……」
「フジには何か話してくれるといいんだけどなぁ」
保健室の前に立って碧菜がぼやくように言った。アマキは答えず、戸に手をかける。
「失礼します」
声をかけて保健室に入ると、中には養護教諭の姿があった。振り返った彼女は「あら、また体調不良?」と首を傾げる。
「いえ」
アマキは答えながら視線をベッドに向ける。二つあるうちの一つには誰の姿もない。しかし、もう一つのベッドにはカーテンが引かれてあった。
「綾坂さんがいるってことは、また柊さんがお目当てかな」
養護教諭は微笑むと「どうぞ」とカーテンが引かれている方のベッドに視線を向けた。どうやら彼女はシロとアマキたちが知り合いだと了承しているようだった。アマキは軽く会釈すると「シロ、いる?」とカーテンの向こうに声をかけた。
「――アマキ?」
聞こえた小さな声は間違いなくシロのものだ。
「うん、わたし。アオもいるけど」
「いて悪かったな?」
碧菜はおどけてみせたがシロの反応はない。碧菜はガッカリしたようにため息を吐いた。
「シロ、開けてもいい?」
返事はない。アマキは碧菜へ視線を向ける。彼女は困ったように肩をすくめた。いつもこうだ、と言っているように。
「開けるの嫌だったら、そのままでもいいんだけどさ――」
そのときカーテンが揺れた。そしてわずかな隙間からシロが顔を出す。やはり制服の上にはオーバーサイズのパーカーを着ている。しかしフードは被っていなかった。
「元気になった?」
彼女はそう言うとカーテンを開け、ベッドから足を下ろして座った。アマキは微笑みながら「うん」と頷く。
「はー、やっぱフジじゃなきゃダメだったか」
そんな碧菜のぼやきを背中に聞きながらアマキは「シロは?」と聞く。
「わたし?」
「クロが言ってた。転校してから疲れてるみたいだって。まさかうちの学校に来てるとは思わなかったけど」
「わたしも知らなかった」
「そうなの?」
「マサノリがいつも学校決めるから」
「……うちで四校目だっけ」
アマキは彼女と向かい合うように空いている方のベッドに腰を下ろす。シロは不思議そうに首を傾げた。
「なんで知ってるの」
「これもクロが言ってた」
「そう」
シロは頷いた。別に隠すつもりもないのだろう。
「四校目って……。そんなに親、転勤してんの?」
碧菜の質問にシロは「転勤は一度もしてない」と答える。
「え、じゃ、なんでそんな転校して――」
碧菜は言いかけて「あー、まさか」とシロをじっと見つめた。
「シロちゃん、こう見えてかなりのワルとか?」
「……アオってさぁ、ときどき言葉のチョイスおかしいよね? ワルって、最近滅多に聞かない単語だよ?」
アマキは真顔で碧菜を見つめながら言う。彼女はヘラッと笑った。
「廃れた言葉もファッションのように一周回って流行るかなぁと思って」
「ないと思う」
「まあまあ」
碧菜はそう言うと「で?」とアマキの隣に腰を下ろした。
「どんな問題を起こしてきたんだい、シロちゃんは。ケンカか? 相手を病院送りか?」
「んなわけないでしょ」
呆れながらアマキは碧菜に視線を向ける。彼女は「もー、フジは真面目だなぁ」と腕を組んだ。
「そうだったら面白いなぁって思わない?」
「シロで面白がろうとするのはやめて」
アマキは深くため息を吐いて「シロ、気にしないで」と視線を戻す。シロは無表情に「なにを?」と首を傾げた。どうやらまったく気にしていない様子だ。
「さすがシロちゃん。良くも悪くも動じない……」
碧菜はそんなことを呟くと「まあ、冗談はさておき」と真面目な口調で続けた。
「転校の理由とかはどうでもいいんだけどさ、せっかく同じ学校になったんだし、教室で授業受けない? ぜったい一人でここにいるより楽しいって」
シロは碧菜をじっと見つめると、その視線をアマキに移した。
「アマキは何組?」
「一組。アオも同じ」
アマキの答えにシロは残念そうな表情を浮かべる。もし同じクラスだったら教室に行く気になったのだろうか。一瞬、そんなことを思ったがクラスを変えるなどできるわけもない。
「……シロは二組でしょ? 隣だから休憩時間とかすぐに会えるよ?」
「それはここにいても同じだと思う」
「たしかに」
思わずアマキが納得していると隣でため息が聞こえた。
「なんで納得してんだよ、フジ」
「いや、でもそうじゃん?」
「そうだけど、違うだろって」
碧菜はそう言うと「んー」と眉を寄せた。そしてシロを見つめる。
「なんで教室行かないの?」
「……勉強ならここでやってる」
シロは碧菜から視線を逸らしながら言った。
「試験も受けてるし、成績だって問題ない」
「いや、それはそうなんだろうけど――」
碧菜は不愉快そうに眉を寄せて「シロちゃんはさ、何しに学校来てんの?」と続けた。シロはビクリと肩を震わせて顔を俯かせた。
「勉強だけが目的なら学校来る意味なくない?」
その言葉にシロはさらに顔を俯かせてしまった。
アマキはため息を吐いて「アオ、そろそろ休憩終わるから」と彼女の肩に手を置く。碧菜はアマキを見るとバツが悪そうな表情を浮かべる、そして髪を掻き上げると「わかった。先、戻ってる」と立ち上がって保健室を出て行ってしまった。
「まったく、アオのやつ」
アマキは呟きながら立ち上がる。
「アマキ……」
シロの声に視線を向けると彼女は少し悲しそうな目でアマキのことを見ていた。そんな彼女にアマキは微笑みかける。
「気にしないで。アオはさ、学校大好き人間なんだよ。だからきっと、シロにも学校を楽しんでもらいたいって思ってるんだと思う」
「学校を、楽しむ……」
シロは呟くと少しだけ首を傾げた。
「普通は学校って楽しいもの?」
「んー、どうだろう。人それぞれじゃない?」
「アマキは?」
「わたしは……」
アマキは考える。クロにも似たようなことを聞かれた。どうして学校に行っているのか、と。答えは変わらない。アマキにとって学校は暇つぶしだ。
学校に来ればやるべきことは決まっている。時間管理もされているので少なくとも授業をこなせば時間が過ぎる。学校に来ていれば大人たちから何を言われることもない。成績については少々小言を言われたりもするが、それだけだ。
今まで学校が楽しいかどうかなど考えたこともなかった。登校して、授業を受けて帰るだけ。
――楽しいことなんてあったっけ。
考えた瞬間、ふいに蘇ったのは碧菜の笑顔だった。アマキは思わず微笑む。
「アマキ?」
「あー、うん。わたしはたぶん、アオがいるからちょっと楽しいかな」
「アオがいるから」
「うん。一年のときにアオが同じ委員じゃなかったら、たぶんわたしは学校に来ても時間潰して帰るだけだっただろうなと思って」
シロの表情が少し曇ったのがわかった。アマキは彼女の頭を撫でながら「シロも、ちょっとだけでも学校で楽しいことが見つかるといいね」と微笑む。
「天鬼さん、あと一分でチャイム鳴りますよー」
養護教諭の声が聞こえてアマキは「うえ、やばっ!」と手を下ろした。
「じゃ、シロ。また休憩時間に来るから」
アマキはシロに手を振って保健室を出る。戸を閉めるときに見えた彼女は、何か考え込むように自分の足元を見つめていた。
急いで教室に戻ったアマキだったが廊下の途中でチャイムが鳴ってしまい、結局授業には遅刻してしまった。教師に謝りながら自席に向かう途中で碧菜と目が合う。彼女は拗ねたような表情で視線を逸らすと、頬杖をついてそっぽを向いてしまった。
――アオがあんなに不機嫌になるのも珍しいな。
授業の準備をしながら思う。
思えば一年のときから碧菜はよくアマキの近くにいた。
フラフラとどこかへ行っては、たまに戻ってきて自由に話し、そうかと思えば再びどこかへ行く。時にはアマキを無理矢理に自分の友達の元へと引っ張って行くこともあった。
きっと彼女はそうすることでアマキに学校の楽しさを教えてくれようとしていたのだろう。結果的に、彼女のその強引さによって少しだけ学校が楽しくなったように思う。それはきっとアマキが流されやすい性格だからだ。
しかしシロはどうだろう。
彼女はアマキとは違う。彼女はアマキよりも慎重で繊細だ。そんなシロにも彼女の気持ちは届くだろうか。
アマキはそっと碧菜に視線を向ける。彼女は頬杖をついて黒板を見つめていた。その表情は、どこか寂しそうだった。
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