第3話
「ねえ、アマキ」
「んー?」
答えながら視線を向けると、テーブルに突っ伏したシロが顔だけをアマキの方へ向けていた。
「土日はアマキが店番?」
「んー、まあ。そうなるのかな。店長たちがいないときにって感じだから不定期だけど」
アマキは答えながら書籍の裏表紙をめくって発行年月日を探し、パソコンに打ち込んでいく。
「明日は?」
「いるよー。店長たち、一泊二日って言ってたから」
「そっか」
そのとき、静かな店内に低い地響きのような音が鳴り響いた。それは四限の授業中によく聞く音である。しかし、アマキから聞こえたものではない。アマキはフッと笑いながら顔を上げる。テーブルの上に突っ伏していたシロは身体を起こし、少し恥ずかしそうに腹を押さえていた。
「お腹、減ったの?」
聞くと彼女は頷く。
「もうお昼だしね。わたしもお腹減った」
アマキが笑って言うと、シロは「お昼ご飯……」と呟いた。そしてアマキを見つめてくる。何か言いたそうに。
「……あー、食べる? お昼、一緒に」
「食べる」
待ってましたとばかりにシロは頷く。そして立ち上がると「買ってくる」とカウンターに駆け寄ってきた。
「アマキ、何がいい? わたしが買ってくる」
「いや、わたしは――」
もうパンがあるから。そう言おうと思ったのだが、なんとなくシロの表情を見て言葉を呑み込んだ。彼女はなぜか嬉しそうにアマキの返事を待っていたのだ。まるで初めてお使いに行く子供のように、ワクワクしたような表情で。
アマキは息を吐いて微笑むと「コンビニ?」と訊ねた。
「どこでも行く」
「どこでもって……」
アマキは今度は声を出して笑った。そして「コンビニでいいからさ」と財布を取り出して千円札をシロに手渡す。
「パスタがいいな。あと、サラダも一緒に」
「パスタとサラダ。うん、わかった。種類は?」
「なんでもいいよ。シロが選んで」
「わたしが……。うん、よし。わかった」
シロはなぜか神妙な面持ちで深く頷くと「行ってくる」と店から出て行った。
「なんだろな、あの反応は。ちょっと面白いかも」
アマキは笑みを浮かべながら彼女が出て行った通路を見つめる。そして彼女が戻ってくる前に預かり証の作成を終えてしまおうと、再びデータの打ち込みを始めた。
シロはその翌日も店へとやってきた。ただし、今度は買取商品も何も持たずに。そしてテーブルに着いて何をするでもなく当たり障りのない会話をしたり、うたた寝をしたりして帰って行った。
そして翌週の土日も同じようにやってきてはダラダラと過ごして帰って行った。店主夫婦に聞いたところによると、彼女は常連客の娘さんなのだという。アマキがバイトに入る前からたまにやってきては、お喋りなどをして帰って行くことがあったらしい。けれど、こうも毎週やってくることは珍しいとのことだった。
「天鬼さん、気に入られたのかもしれないね」
「そうねぇ。ちょっと変わった子だけど、良い子だから仲良くしてあげてね」
店主夫婦はそう言うと和やかに笑った。きっとシロは店長たちにとって孫のような感じなのだろう。
そして四月最後の日曜日。当たり前のように開店直後にやってきたシロは、やはり当たり前のようにテーブルに着いた。だが今日はいつもとは違い、リュックからノートを取り出してテーブルに広げていた。
「なに、学校の宿題?」
珍しいシロの行動に、そう声をかけると彼女は「違う」と短く答えた。そして筆箱から出したペンの先をアマキへと向ける。
「今日はアマキのあだ名を考えることにした」
「……なんで?」
「だって、アマキがあだ名で呼ぶから」
意味がよく分からず、アマキは首を傾げる。しかしシロは構わず「だから、考えることにした」とアマキのことを見つめてきた。
「まあ、いいけど」
アマキは微笑むとカウンターに頬杖をついて「で?」と訊ねた。
「どういうあだ名をつけてくれるんですか? シロさん」
「あだ名の付け方を今から調べるから、ちょっと待って」
彼女はそう言うとスマホを取り出して何やら調べ始めた。
「えー、なにそれ」
アマキは苦笑しながらも彼女の行動を見守った。
それが今日の午前の出来事だ。昼食を終えてもなお、アマキのあだ名は決まっていない。
「アマキのあだ名か……。んー、アマキヒトフジ」
「わたしが学校でなんて呼ばれてるか聞いとく?」
「いや、聞いとかない。わたしはわたしが考えたあだ名でアマキを呼ぶ」
腕を組んで悩むシロを眺めながらアマキは思う。もしかして、このバイトの本当の仕事内容はシロの話し相手なのではないか、と。
こんなにあだ名を真剣に悩むということは、きっと今までそういう機会がなかったからなのだろう。休みのたびにこの店へ来るのもきっと親しい友人がいないから。
――ま、それはわたしも似たようなもんかな。
心の中で思ってアマキは苦笑する。そのときシロが「ねえ、アマキ」とスマホを見ながら口を開いた。
「あだ名ってさ、愛称と一緒?」
「え、うん。そうなんじゃない?」
「愛称って、特に親しみを込めて対象を呼ぶための名前なんだって」
「へえ」
「特に親しみを込めてって、つまり友達ってこと?」
シロの薄い瞳がアマキへと向けられる。アマキは「まあ、そういうことじゃない?」と頷いた。
「じゃあ、わたしのことをあだ名で呼ぶアマキはわたしの友達?」
「友達……?」
アマキは首を傾げる。友達、という関係ではないのかもしれない。だって、アマキが彼女のことについて知っているのは名前だけだ。
柊シロ。けれど、そのシロという名もどうやら本名ではないようだ。彼女自身がそれをあだ名だと受け取っているのだから。
「違う?」
シロもまた首を傾げる。アマキはシロを見つめ、そして困りながら笑みを浮かべた。
「んー。わたしとシロは、どういう関係なんだろうね?」
わからない。だって、まだシロのことを何も知らないのだから。
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