―十一月―

第29話

 シロが初めて教室に行ってから数週間が経っていた。

 最初の頃、学年ではシロの話で持ちきりだった。それはそうだろう。転入してから一度も教室に現れなかった生徒が前触れもなくひょっこり現れたのだから。そしてシロの恰好と態度も相まって、生徒たちはシロを腫れ物扱いするようになっていた。


「マッキー。どうよ? 最近のシロちゃんの評判は」


 昼休憩。人気のない校舎裏にレジャーシートを敷き、日向ぼっこをしながら昼食を食べていた碧菜は、のんびりとした口調で言った。


「どう、と言われても。相も変わらず浮いてるよ。マジで浮いてる。なんか最近は一緒にいるわたしまで浮いてる気がする」

「そっかー。相変わらず一目置かれてるかぁ。さすがはシロちゃん」

「……人の話聞いてる?」


 マッキーは呆れたように言って弁当に入っていた卵焼きを口に運ぶ。碧菜は笑って「でも、よかったよ。シロちゃんのクラスにマッキーがいて」と優しい口調で言った。


「――まあ、アオの頼みなら断れないし?」

「なんか、ありがとね。槇本さん」


 アマキの言葉にマッキーこと槇本まきもと千紗都ちさとは「いいよ、何もしてないし」と照れたように笑った。

 シロから教室に行くというメッセージが届いた日、碧菜は槇本に頼んでいてくれたのだ。転校生をよろしく、と。

 碧菜が彼女にどう事情を伝えたのかアマキは知らない。それでも槇本はシロが教室に行ったその日から、シロのことを守るかのごとく一緒に行動してくれているようだった。どうやら元々、面倒見の良い性格らしい。さすがは碧菜の友達といったところだろうか。

 シロも槇本のことを覚えていたのか、とくに嫌がる様子もなく大人しく彼女と共に行動しているようだ。槇本は碧菜より落ち着いた雰囲気なので、色も落ち着いているのかもしれない。そう思いながらアマキは微笑んだ。


「槇本さんが一緒にいてくれるだけで安心だよ。シロって、たぶんすごく誤解されやすいタイプだから。せっかく教室に行ってもひとりぼっちじゃ楽しくないだろうし」

「まー、わたしも嫌われてんのかと思ったけどね。教室でフード被ってちゃ、ヤバい奴にしか見えないし。正直、最初はビビったというか。ぜんぜん喋んないしさ」


 槇本は言いながらアマキの膝に頭を乗せて気持ちよさそうに眠るシロに視線を向けた。


「当の本人はまったく周囲の反応なんて気にしてないみたいだったけど」


 槇本は苦笑する。アマキも笑いながら「でも」とシロに視線を落とす。


「シロ、言ってたよ。マッキーはいい奴だって」

「へ、へえ?」


 視線を上げると、槇本はさきほどよりも照れた様子で「そうなんだ?」と頬を掻く。


「うん。休憩時間にお菓子くれるって喜んでた」

「……そこ?」

「シロちゃんを餌付けするとは。その手があったか。そうか……」


 妙に真面目な顔で碧菜が頷いている。アマキは笑って「でも、ほんとによかった」と息を吐きながら言った。


「槇本さんがいると、気も紛れるみたいだから」

「……わたし以外とは未だに誰とも話してるところ見たことないけどね」

「これからだろ。シロちゃんは慎重派だから。だから、それまでしっかりとサポートするように」

「なんでアオが偉そうなの。まあ、いいけど」

「でも大丈夫? 槇本さん」


 アマキの言葉に槇本は「何が?」と首を傾げた。


「さっき、自分まで浮いてるみたいだって言ってたから。その、他の友達から距離置かれてたりしてるのかなって」

「ああ、別にいいよ。わたし広く浅くな友人関係だから。いないならいないで平気。アオもいるし。今は柊さんもいるしね。あと部活のメンバーとは仲良いし」


 槇本は肩をすくめながら言った。彼女の交友関係も碧菜と同じ感じなのだろうか。いや、もしかすると碧菜よりもドライな考え方の持ち主なのかもしれない。彼女は「それにしても」と呆れた表情をシロに向けた。


「ほんっとよく寝るよね。柊さん。授業中もほとんど寝てるよ?」

「マジか。それでなんでテストは良い点なわけ?」

「アオとは地頭の出来が違うからじゃん?」

「マッキーに言われたくない!」


 そのときシロが低く唸りながらもぞりと動いた。


「――アオ、うるさい」

「え、ごめん。いや、てかもう昼休憩終わるからな?」

「まだ寝れる」


 シロは呟くように言いながらフードを被って身体を小さく丸めた。まるで猫のようだ。


「ところでさ、シロちゃん」

「わたしは寝てる」


 しかし碧菜はシロの言葉を無視して「最近、クロって何してる?」と言った。シロはもぞりと動くとゆっくり身体を起こした。


「なんで?」

「いや、なんか最近はメッセも返信なくてさ。フジに聞いても最近は店にも来てないって言うし。ちょっと気になって」

「……シロだけではなくクロもいるの?」


 ポツリと呟いた槇本にアマキは苦笑する。


「クロは学校行ってる」

「え……」


 思わずアマキは声を漏らした。碧菜はちらりとアマキへ視線を向けてから、どこか複雑そうな表情で「そっか」と頷いた。

 おそらく彼女も知っているのだろう。クロがあまり学校へ行っていなかったことを。


「あ、そういえば来週の土日、クロの学校で文化祭がある」

「文化祭?」

「そう。一般見学もあるけど、行く?」


 シロが首を傾げる。碧菜は眉を寄せながら「クロも参加してんの?」と聞いた。


「してると思う。クロの学校、行事に参加しないと単位でないから」

「へえ。私立の中学なんだ?」

「うん。それで、行く?」


 シロが碧菜を見る。碧菜はニッと笑みを浮かべた。


「もちろん行くって。フジとシロちゃんも行くっしょ?」


 言われてアマキはシロを見る。シロはアマキを見返して「わたしは行く」と言った。どこか強い瞳だ。きっとシロもクロのことを気にしているのだろう。アマキは微笑みながら「じゃ、わたしも行こうかな」と頷いた。


「バイトはたぶん休ませてもらえるだろうし」

「え、そんな直前にシフト変更できんの?」


 槇本が目を丸くしている。アマキは肩をすくめて笑った。


「うちのバイト先、かなり自由だから」

「へえ、いいなぁ」

「時給は超安いけどね」

「で、マッキーも行くでしょ? 私立中の文化祭」


 碧菜の言葉に槇本は「いや、行かないよ」と苦笑する。


「わたし、そのクロって子知らないし。そもそも来週の土日は練習試合あるからパス」

「なんだ、残念。クロ、面白いから絶対マッキーも気に入ると思ったんだけどなぁ」

「まあ、また今度。機会があればね」


 そのとき予鈴が鳴り響いた。アマキたちはレジャーシートを片付け、のんびりと校舎へ向かう。

 じゃれ合いながら歩く碧菜と槇本の背中を見ながらアマキは「クロ、大丈夫?」と聞いた。


「頑張ってる」


 そう答えたシロの声は沈んでいる。チラリと見たシロは視線を地面に向けていた。


「単位のため?」

「……頑張るんだって言ってた」

「何を?」


 アマキが聞くとシロは顔を上げて眉を寄せた。


「わたしが教室で授業を受け始めたって知って、自分も頑張るんだって。学校を楽しいって思えるようになりたいって」

「そうなんだ」


 アマキは頷きながら、最後にクロと会話をしたときのことを思い出す。


「……わたし、クロに言ったんだよね。学校なんて行きたいときに行けばいいって」


 シロは不思議そうに首を傾げた。そんな彼女にアマキは笑みを向ける。


「今、クロが学校に行きたいと思って行ってるんだったらさ、応援したいね」

「――うん」


 シロは柔らかく微笑む。優しい笑みを見ながらアマキは「シロは?」と聞く。


「ちょっとは楽しい? 学校」

「……アマキがいるから、ちょっとだけ楽しい」

「そっか。ちょっとだけか」


 それでも、つまらないよりは良い。アマキはシロの頭をポンポンと撫でてやる。


「アマキはよくそうやってわたしを子供扱いするよね」

「嫌がらないじゃん、シロ」


 シロは不満そうにアマキを軽く睨むと「嫌じゃないけど」と呟いて、碧菜たちに追いつくように足を速めた。

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