第28話

 翌日。アマキはシロから指定されたバス停のベンチに座っていた。時刻はいつもの登校時間より一時間以上も早い。親から何かあったのかと心配されたほどだ。


「バスで来るつもりなのかな」


 欠伸をかみ殺しながらバスの時刻表に視線を向ける。いくらラッシュの時間ではないとはいえ、朝は乗客が多いはずだ。かといって歩いて来ることができるほどシロの家が近いわけでもないのだろう。マサノリだって自分の仕事があるのだろうから、毎日送り迎えなどもできないはず。


 ――ああ、だから。


 アマキは一人納得していた。彼女の体調が悪いのは学校にいる時間が原因ではなく、学校に通っているからだったのだ。シロにとって普通の生活を送るということは、きっとアマキが思っている以上に過酷なものなのだろう。


 ――それでも。


 バスがゆっくりと目の前に停車した。開いた扉からはゾロゾロと乗客が降りてくる。アマキは顔を上げて降りてくる人の流れをぼんやりと眺めた。そして一人の小柄な少女を見つけて微笑む。

 フードを目深に被った彼女はアマキの前に立つと、そのフードを取った。いつものサングラスはかけていない。


「おはよう、アマキ」


 どこか勇ましい表情は彼女らしくない。アマキは立ち上がると彼女の頭を撫でてやる。


「おはよ、シロ」

「なんで頭を撫でるの」

「撫でたくなったから」


 アマキは笑って言いながらフードを彼女の頭に被せた。


「……アマキ?」

「行こっか。学校」


 見上げてくるシロは表情を引き締めて「うん」と頷く。そして二人並んで歩き出す。

 ここから学校まではゆっくり歩いて二十分ほど。まだ時間帯が早すぎるので生徒の姿はない。いつもこんな時間に登校していたのだろうか。たった一人、保健室で過ごすために。


「あ、そうだ。シロ、これ」


 アマキは言いながら鞄から封筒を取り出して彼女に手渡した。シロはその中を覗いて「写真?」と首を傾げる。


「うん。夏休みの写真。アオが撮ってくれててね」

「すごい。みんなとわたしがいる」


 シロは写真を眺めながら呟いた。その言葉にアマキは「そうだね」と少し悲しくなる。きっと彼女は家族以外の誰かと一緒に写真も撮ったことはないのだろう。アマキと会うまで誰かと遊びに行ったこともなかったのかもしれない。


「あ、これとかよく撮れてるじゃん。わたしとシロのツーショット。わたしも同じやつもらったんだ」

「そうなの? お揃い?」


 シロが顔を上げた。その表情にはキラキラと嬉しそうな笑みが浮かんでいた。それは今までに見たことがなかったシロの表情。


 ――こういう顔、するんだ。


 アマキは想像よりも子供っぽい表情を見せたシロに微笑みながら「お揃いかぁ」と少し考える。


「でも、写真をお揃いとは言わないような」

「えー、違うの?」

「お揃いってのは、まあ、普通は同じ物を身につけたりするんじゃない? 仲良い子同士でさ。アクセサリーとか、キーホルダーとか?」

「ふうん」


 シロは写真に視線を戻しながら頷いた。

 なんとなく残念そうな彼女にアマキは「今度、お揃いの何か買いに行こうか」と言ってみた。するとシロは再びパッと顔を上げた。その反動でフードが取れてしまう。それでもかまわずにシロは「約束!」と足を止めて小指を出してきた。アマキは一瞬キョトンとしたが「わかった。約束ね」と小指を絡める。


「アマキ」

「んー?」

「わたし、アマキがいるなら学校も通えると思う」


 小指を絡めたまま、彼女はアマキに笑みを向ける。


「普通に通える気がする。それで、学校が楽しいって思えるようになりたい」


 アマキは微笑む。


「わたしもシロがいると学校が楽しくなりそうだよ」

「アマキはもう楽しいんでしょ? 学校」

「シロがいればもっと楽しいよ、きっと」


 アマキの言葉にシロは嬉しそうに「そっか」と頷いた。

 学校を楽しむ。それは彼女にとって気軽な言葉ではないはずだ。しかし彼女はそうしたいと望んでいる。彼女が望んでいるのはきっと『普通』なのだ。


「……アマキ?」

「これからよろしくね。二年二組の柊朱音さん」


 シロは目を丸くしてアマキを見た。しかし、すぐに恥ずかしそうに笑って絡めた小指を振る。


「よろしく。二年一組の天鬼一藤さん」

「これ、なんの指切り?」


 アマキも笑いながら小指を振る。


「よろしくの指切り」

「いや、意味わかんないから」


 二人は笑い合い、そしてそっと小指を離した。


「じゃ、行こうか」

「うん」


 再び歩き出しながらシロはフードを被る。


「あとでアオにお礼言いたいな」

「きっと大喜びするよ」

「うん。きっとすごい色になると思う」

「前から聞きたかったけど、アオってどんな色なの?」

「濃い虹色」


 シロは即答した。


「……それはまた強烈な」

「だからアオは眩しいの」


 なるほど、とアマキは頷く。そして少し心配になって「大丈夫?」と聞いてしまう。シロは被っているフードをつまみながらアマキを見上げて微笑んだ。


「これがあればけっこう我慢できる」

「そうなんだ」

「あと、訓練すればなんとかなるもんだってマサノリが言ってた」

「訓練……」

「うん。慣れなんだって。逃げずに頑張れって」

「マサノリはあんな温厚そうに見えて、なかなかの体育会系なんだね?」


 シロは笑うと「マサノリは優しいよ」と呟くように言って顔を前に向けた。


「厳しいことを言うのは、このままじゃわたしが普通に生きていけないから」


 だから学校にも一人で通わせているのかとアマキは納得する。シロに『普通』の生活を送らせるために。


「頑張ろうね、シロ。一緒に」

「一緒に?」


 シロが不思議そうに見上げてきた。アマキは笑う。


「わたしも普通がよくわかんないからさ」


 すると彼女は「たしかに、アマキは変だよね」と笑った。そして前方に見えてきた校舎に、力のある視線を向ける。

 きっと彼女にとって今日が新しい一歩なのだ。このまま彼女が先へ進めるように自分ができることはなんだろう。

 考えてみたが、すぐに答えを見つけることはできなかった。

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