第38話
「それで? どこ行くの?」
碧菜を先頭にして歩きながらアマキは誰にともなく聞いた。するとハルカが「この近くに神社があるらしくて」と答えてくれた。
「神社?」
「そ。海の神様を祀ってるんだって。ちょうど良いからお参りしようってなってさ」
嬉しそうに言った碧菜にシロは不思議そうに首を傾げた。
「なにがちょうど良いの?」
「えー、だって」
碧菜は歩きながら少し振り向いて笑う。
「どうせ二人とも初詣とか行ってないっしょ?」
「……その二人っていうのは、わたしとシロのことかな?」
「当然でしょ。だって、わたしたちはみんなで行ったもん。ねー、クロ?」
碧菜の言葉に、彼女の隣を歩いていたクロが「楽しかったよねー」と深く頷いている。
「来なかったの、シロとアマキだけだった」
「へえ、ナベくんも行ったの?」
アマキが聞くと彼は苦笑しながら頷いた。
「まあ、ハルカも行くって言うし」
「女子しかいないのによく平気だよね。てか、ナベってシスコン過ぎない?」
「なっ! んなことねえだろ! 普通だっての!」
槇本の言葉にナベはわかりやすく動揺している。そんな兄の姿をハルカは困ったように見ていた。きっと今に始まったことではないのだろう。
「まー、もしかしたらフジが来るかもとか、そういう淡い期待もあったのかもしれないけど?」
「それは……」
「いやいや、そこは否定しなよ。純情か。素直か。こっちが恥ずかしいわ」
槇本が呆れたようにため息を吐く。うるせえな、と顔を赤くするナベを碧菜がからかう。そしてみんなの話題は別のものへと移っていく。
楽しそうに会話は進む。
仲の良いグループのように。
実際、そうなのだろう。シロもこのメンバーで行動することに違和感は覚えていないようだ。体調も安定している。いや、それどころかシロは楽しそうだ。ここに自分がいることが普通なのだとでもいうように。
「――フジ?」
ふいに名を呼ばれてアマキはハッと碧菜に顔を向ける。
「え、なに」
「もー。聞けよ、人の話」
「いや、ちょっと疲れてきちゃって。遠くない? その神社」
アマキが深くため息を吐きながら言うと、碧菜は呆れた表情を浮かべた。
「フジは体力なさ過ぎ! もっと運動しなよ。じゃないと修学旅行の自由行動、半分もこなせないぞ?」
「待って。修学旅行、どこ行こうとしてんの?」
「それはまだ内緒だけど」
「わたしたちも修学旅行、来月にあるんだよ」
クロが嬉しそうに言う。
「へー。同じ時期にあるんだね。どこ行くの?」
「北海道!」
「……意外と普通」
すると碧菜が吹き出すように笑った。アマキは眉を寄せて彼女を見る。
「アオも前に同じこと言ってたよ」
「いや、そりゃ思うでしょ。だって、お嬢様学校の修学旅行だよ? 期待しちゃうでしょ。ねえ、アオ?」
「するする。普通は期待するって」
碧菜が笑いながら深く同意している。しかしハルカは苦笑して「まだ中学ですから」と答えた。
「高等部は海外か国内かアンケートで決まるらしいですけど」
「へえ? それはすごい。うちは問答無用で京都なのにね?」
「ね。うちも私立なのになぁ」
「まあ、ランクが違うから。諦めな、二人とも」
槇本が冷静に言う。碧菜はそれでも深くため息を吐いてから「あ、見えてきた」と前方に視線を向けた。
アマキたちが進む遊歩道から少し外れた場所に高台へと続く階段がある。まるで海を見下ろすように突き出た崖のような場所。どうやらそこに目的の神社はあるようだ。しかし、とアマキは近づいてくる階段を見つめた。
「けっこうな階段じゃない? これ」
アマキが呟くと、碧菜は思いついたように「競争しよう!」と言い出した。そして階段の上を指差す。
「テッペンまで全員で競争。一番遅かった人がジュースを全員に奢るってのでどう?」
「えー、中学生にそんな大金ないよ」
クロが不満そうに口を尖らせた。たしかに七人分のジュース代は中学生にはキツい金額かもしれない。お嬢様学校に通っているとはいえ、小遣いは普通の中学生並なのかもしれない。しかし碧菜は容赦しない。
「負けなきゃいいんだよ。若いんだから勝てるって」
「運動神経と若さは関係ないかと思いますけど」
ハルカが苦笑する。
「ま、アオは言い出したら聞かないから諦めなよ。もし負けても兄ちゃんが出してくれるって。大丈夫、大丈夫」
「おい、槇本……」
「それじゃ全員、位置について」
碧菜が声をかける。自然と全員が前方の階段に視線を向けた。どうやら乗り気でないのはアマキだけのようだ。
「アオ、マジでやるの?」
「やるの。ほら、フジも構えろ。いくぞ? よーい、ドンッ!」
声と共にみんなが一斉に走り出す。シロも走り出したので思わずアマキも駆け出した。しかし完全に出遅れてしまった。階段を少し駆け上がったところで顔を上げると、みんなはすでに先へと進んでいた。
シロすらも、アマキよりずっと先へ。
彼女はクロと笑い合いながら階段を駆け上がっている。その姿がなぜか寂しく思える。アマキはゆっくりとスピードを落として立ち止まると、肩で息をしながら小柄なシロの背中を見つめた。
――なんだ。
アマキは気づいてしまった。シロはもう、本当にアマキよりも先へ進んでしまっているのだ、と。
普通ではない世界で生きてきたシロは誰よりも普通であろうとしていた。普通にこだわっていた。そして気づけば彼女は溶け込んでいる。クロや碧菜たちと笑い合っている彼女は普通に友人と遊ぶ女の子だ。特別でも、変でもない。
アマキは深く深呼吸をして息を整えるとゆっくりと足を踏み出す。
自分だって同じだったはず。いや、シロよりも普通であったはずだし、シロと会った頃よりも先に進んでいるはず。自分は一人ではないのだと、そのことにだって気づいている。それでもなお、溶け込めない。距離を置いてしまう。それはきっと、アマキがシロよりも普通の世界で生きてきたからだ。
人は裏切るのだということを、知っているから。
「アマキ」
振り向いたシロが楽しそうな笑顔を向ける。その彼女の向こうに太陽が輝いていて、アマキは眩しさに目を細めた。
「なんで走らないの」
駆け戻ってきながら彼女は言う。アマキはそんな彼女に苦笑を向けた。
「そっちこそ、なんで戻って来てんの」
「だって、このままじゃアマキがジュース奢ることになるでしょ」
「いいよ、それで。わたしはもう疲れた」
――だから早く行けばいい。わたしよりも、ずっと先へ。
「一緒に行けばダメージは半分だよ」
シロの小さくて柔らかな手がアマキの手を掴む。そして引っ張るようにして再び階段を上がり始めた。
「……別にいいのに。わたし、バイト代だってもらってるし」
アマキは俯きながら呟く。
「時給、低いでしょ。それに年末年始は店も休みだったから今月のアマキは金欠のはず」
「お見通しかぁ」
アマキは笑みを浮かべて顔を上げた。するとそこにはシロの眩しい笑顔があった。
「ほら、一緒に行こう?」
そう言って手を引いていたのは、少し前までは自分だったはずなのに。
アマキは繋いだ手から力を抜いて再び顔を俯かせる。
「――アマキ?」
不思議そうなシロの声。アマキのことを心配しているような声。人を思いやることができている声。
――シロの方が先に進んでる。
この寂しさは、シロが遠くに行ってしまったような気がするから。そう思っていた。しかし、きっと違う。最初からシロは近くになんていなかったのだ。
彼女は特別でアマキは普通だった。特別であると錯覚した、ただの普通の人間だったのだ。それなのに、どうして溶け込めないのだろう。
「フジ! 遅い! ペナルティでカフェでの奢りを要求する!」
すでに階段の上に到着した碧菜が痺れを切らしたように言った。アマキはフッと短く息を吐くと顔を上げた。
「ごめんって。ほら、わたし体力ないからさ」
「言い訳しなーい! 早く上がってくる!」
「はいはい。ったく、容赦ないなぁ、アオは」
アマキは苦笑しながら足を進める。シロも並んで歩く。手は繋いだまま。その手をアマキが放そうとしても彼女は放してくれない。
フニフニした柔らかな手は温かくて、その温かさがなぜかとても寂しくて苦しかった。
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