第22話 異見

勝との会話を経て、悠斗の家にたどり着く。


時間的にはいつもより遅れているが、特に待ち合わせの時間を決めているわけではない。


そんな適当さも、今では悠斗との関係性を示すものとして機能している。当たり前のように一緒にいて、何気ない日々を過ごす。


だが、そんな事を考える期間はもう過ぎ去った。


間近に迫った現実を心の中で反芻させ、まどかがインターホンを押そうとしたーーその時だった。



「ーーまどかさん? ごめんね、呼び止めちゃって。今少し時間ある?」


「……あなたは」



振り向くと、そこには端正な顔立ちでこちらを見る”少女”の姿があった。


悠斗と穂乃果を経由して知り合った、ただの顔見知り。


だがその裏には、どこか形容しがたい意味が込められているような気もする相手。



「ちょっと外出ただけでこの汗の量だよ。この時期はイヤになっちゃうよね、全く……あ、よければお茶飲む? 自販機で買ったやつだけど、ここ来る前に」


「……いえ。つい今さっき、水分補給したところなので。それどころか、アイスも食べちゃいましたし」


「あ、そうなんだ。あたしもそうしたらよかったかな。てかそれ聞いたら食べたくなってきたかも」



そう言って、彩は持っていたペットボトルに口をつける。


ショートカットの生え際には小粒の汗がにじみ出ていて、その姿は練習終わりの陸上選手を連想させた。



「? あ、ごめんごめん、悠長にしてちゃいけないよね。外も蒸し暑いしさ、それに今から弟くんと会うんでしょ?」


「はい、そうです。……そういう彩先輩は、お姉さんに会いに来たんですか?」



あくまでなんでもない風を装う。


しかし、こちらの思惑を知ってか、彩は隠すことなく詳細を口にした。



「うん、そう。まぁ、あたしがヒマだから勝手に来ただけだけどね……というわけで、まどかさんと会ったのはただの偶然だよ。せっかく会ったからついでに言っておこうと思っただけ、用事っていうのも」


「なにを……ですか?」


「ーーあなたは一体、いつまでこんな事を続けるつもりなの?」



彩の鋭くとがった言葉が、まどかの胸に突き刺さる。


否、胸には刺さったが、心臓までは達していない。だが少なからず動揺はした。不快感、という痛みと共に。



「前の一件で、わたしへの確認は全て済んだのではなかったんですか?」


「確認は済んだけど、疑惑が晴れたわけじゃないよ。でも、こうするべきか少しは悩んだのも確か。さっきの言葉だって、自分で言ってて罪悪感ものすごいんだから」


「なら、どうしてそんな事……」


「決まってるでしょ。あなたが、穂乃果の障害にしかなってないからだよ」



きわめて冷静に、彩が言い放つ。まるで諭すように、そして警告するように。



「それは今さらでないですか? わたしが七瀬くんに告白した時点で、そうなるのはわかっていたはずです。なのに、どうしてわたしを好き勝手させたんですか?」


「あたしが介入したらそれこそおかしな話でしょ。それに、仮にそうしても、あなたが諦めたりしないのは目に見えてたし」


「そう思っていたなら余計、このタイミングでそれを言う意味がわかりません。わたしの性格を理解しているなら、大人しく静観するのが正しい選択だと思われますが」


「そうなんだけどねー……けどやっぱり、そこは穂乃果の友達でもあるわけだし? 優先すべきはそっちなんだよね、うん」



真上から落ちる影で、彩の表情が隠れていく。


ついさっきまで照っていた太陽は、この短時間で厚い雲に覆われていて。肌に触れる湿気が、天候の変化を告げるように鼻腔の奥を通り抜ける。



「ただライバルが現れただけならそれでいい。けどーーそうじゃない。最初から競うべき相手がいなくなるのが決まってるだなんて、そんなのはあっちゃいけない事だから」


「……だから、わたしを止めに来たという事ですか?」


「ううん、力ずくで止めたりはしない。だから、あたしはあたしのやり方で、あなたの恋路に警告を鳴らす。あなたが弟くんとどんな関係を望もうが、それが現実だから」



ポツリ、と彩の鼻先でしずくが弾ける。


ほどなくして、大粒の雨が地面を濡らし始めた。いわばゲリラ豪雨と呼ばれる類の現象。


その予想できない気まぐれに、まどかは真正面からぶつかっていきーー



「そうですね。わたしが手にしている現実は、最初から一つしかありません。というーーその現実しか」



髪先の水滴が地面に向かって落ちていく。


その憂いた表情を前に、彩は一歩を踏み出す。


そして、まどかの肩を抱き、雨から逃れるようにして近くの民家の軒下へと移動した。



「……もう少し早く避難した方がよかったかもね。まぁ、ひとまず話は中断って事で。ちょっと待ってて、今インターホン押してくるから」


(まるで少女漫画の1シーンみたい。……望んでいた相手とは、性別もなにもかも違うけど)



そんな事を考えながら、水浸しになった服の裾を絞る。滴った水が地面を打ち、小さな水たまりを作っていく。


そうしていると、彩がこちらに戻ってきた。手にはさっきまではなかった傘が握られており、その中に入ると、彩と肩をくっつけた状態で豪雨の中を駆けていく。


そして家の中に足を踏み入れると、そこには悠斗がタオルを持った状態で待機していた。



「あ、六笠さん……って、思ったよりだいぶビショビショだね!? とりあえずバスタオル使って、今お風呂の準備もしてるから」


「……いえ、そんな事で初お風呂をいただくわけにはいきません。これはもっと大事な時まで取っておくつもりなので」


「今がその大事な時だよ、六笠さんが風邪を引くかどうかの」


「…………」



悠斗の勢いに押され、なにも言えなくなってしまう。


悠斗がお風呂場の様子を見にいくために、その場を離れた瞬間。彩が遠慮がちに、まどかの方を見て言った。



「……よければ……一緒に入る?」


「丁重にお断りさせていただきます」



手で制しながら、まどかは露骨に拒絶の意思を見せた。

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