第30話 勝負
「お姉さん。……わたしと勝負しましょう」
「へ? 勝負?」
ボールを今まさに打ち返そうしていた最中。急にそんな事を言われ、穂乃果は首を傾げながらまどかの方を見る。
「はい。ついさっきまで心が折れかけていましたが、これではいけないと思い直しました。その胸にぶら下がっているのはただの脂肪だという事を、七瀬くんの前で証明してみせます」
「言ってる意味はよくわからないけど……つまり、私とビーチバレーしたいって事? なら受けて立つよ。まどかちゃんが遊んでくれる気になって、私嬉しいなぁ」
「いえ、これは遊びじゃなくて真剣勝負なので」
穂乃果の対面にまどかが立つ。
入れ替わるようにしてその場を立ち退いた彩は、さりげなく悠斗の傍に近づいていく。
「……ねぇ弟くん。正直なところ、まどかさんの水着姿どう思う?」
「えっ、なんですか急に。どう思うもなにも、普通に白の水着だなとしか……」
「いや、そういうんじゃなくて。似合ってるかとか、かわいいとかそういうの」
「……」
悠斗は少し間を空けた後、たどたどしい口調で、
「いいと……思います。似合うか似合わないかで言ったら、間違いなく似合ってるかと」
「そ。なら、それあとで彼女にも言ってあげなよ。なんだかんだ言っても、その辺は女子も願ってる部分があるからさ。胸の大きさと同じで」
「そうですか……」
コメントに困る悠斗だった。
その合間に、茂が審判役を退く。物々しい雰囲気を早々に感じて退散したのだと、観客の誰もがそう思っていたが、実際は単に体力の限界だった。
人混みの中にポッカリ開けられた空間で、一方的な威信をかけた勝負が始まる。間にロープなどはなく、真剣勝負というにはどこか滑稽にも思える状況。
穂乃果は合図すると、まるで撫でるようにしてまどかにボールをパスした。
「……わたしはーーお姉さんには決して負けません!!!」
素早い手刀ーーのようにも見える、猛烈なレシーブ。
バチンッ、という音と共に、穂乃果目がけて速球が飛んでくる。まどかの華奢な体から放たれたその一撃は、まさに必殺の一撃と呼ぶに相応しいものだった。
穂乃果はそれを、
「あ、うんうんその調子。まどかちゃん、思ったより運動神経良いんだね?」
まるで子供に遊び方を教えるかのように、軽い調子で返してみせる。
「あ、あの一撃をいとも簡単に受け止めるなんて……! 彼女は一体、何者だ……!?」
「ふふっ、こりゃあ、とんでもない物を見ちまったなぁ。ビーチバレー界の新生ってやつかい……」
観客の何人かが意味深に呟くが、別にそこまで熱い展開でもなかった。
再び山なりにやってくるボールの軌道を読み取り、まどかが素早く落下地点に入る。
その場にいる誰もが固唾を飲んだ。それは悠斗でさえも。
そして、まどかが攻撃体勢に入ったーーその時だった。
「よっ」
急に現れた見知った影によって、ボールは山なりの軌道を描いたまま穂乃果の元へと渡る。
「!? 彩ちゃん!? どうして彩ちゃんがそっちに……」
「いや、助太刀しようかと思って。ちょい訳ありでね、許してよ穂乃果」
動揺と共に弾かれたボールを、彩の双眼が捉える。
そしてジャンプの後、振りぬかれた腕によって、先ほどとほぼ同等の威力の剛速球が放たれた。
構える穂乃果だったが、間に合わず、ボールは砂の海へと深く突き刺さる。
「……わたしは別に助太刀なんか頼んでいないのですが」
「前に、弟くんを虜にする手伝いをしてって言ったでしょ。だから、これがその代わり。それに、あまり動くと体にも障るだろうし」
「……。彩先輩は一度、ラブコメの主人公とかになった方がいいです。きっと、その素質があると思いますよ」
「そこは頼りになるヒロイン枠で留めときたいかな」
湧き上がる歓声。収まる気配のない勝負熱。
著しく温度差のある意地を駆けたバトルは、完全に一種の見世物と化していた。
(叔父さんみたいに退散しようと思ったのに、人混みに阻まれて身動き取れない。ていうか、これいつまで続くの?)
そう嘆く悠斗だったが、勝負はさらにヒートアップしていく。
1対2という圧倒的不利にも関わらず、キレのある動きでボールを返していく穂乃果。ダブルスという点を生かし、まるで熟年のチームメイトのように、息の合ったコンビネーションを見せるまどかと彩。
だが、実際は彩が中核を担っている。まどかはボールを拾うだけで、それも自分のいる地点にボールが入ってきた時だけ。
それ以外の行動に関しては、彩が全て一人で切り盛りしている。だが試合展開の速さもあり、その事に疑問を持つ者はいなかった。
なんて事を繰り返していると、やがてボールがブレブレの軌道を描いて地面に落ちる。
そしてプシュ、と音を立てると、岸辺に打ち上げられたクラゲのようにしぼんでいった。
「……ひ、引き分けだね……。彩ちゃんもまどかちゃんも、いつの間にそんな仲良しに……?」
「別に仲良しなんかじゃない。ただ、お互いの気持ちをぶつけ合った同士ってだけの、即席にもほどがあるチームだよ……あ、もう限界」
バタッ、と二人が地面に崩れ落ち、水を打ったような静寂が訪れる。
その後、一際大きな歓声が上がった。
唯一、その場に足をついているまどかに対しての賞賛か。はたまた、この戦いを経験した全ての者に対する敬いか。
どちらにせよ、海開き直後以来の盛り上がりを見せた砂浜での一戦は、こうして幕を閉じたのだった。
「……残念ながら、勝てはしませんでしたが……少なくとも証明はできたと、そう自負しています」
まどかは悠斗の傍まで近づくと、意思をたたえた瞳でそう言い放つ。
「証明ってなんの」
「胸なんて関係ない。真に必要なのは、相手への気持ちと、最後まで抗う積極性なのだと」
「そっか。なら、僕もそれに倣ってみるかな」
「倣ってみる、とは?」
「ーーその水着、まどかさんに合ってて、すごくかわいいと思う。最初に見た瞬間、実はかなりドキッとした」
「……まさか、七瀬くんの一撃がセットポイントだなんて。なんという皮肉……でも、たまにはそういうのも良いですね」
最後にそう呟いて、まどかは正面から地面に突っ伏した。
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