第31話 変わる気持ち、変わらない気持ち

「ううっ……ここは……?」


「あ、ようやく起きた。大丈夫、六笠さん? どっか体おかしいとかない?」



目を覚ますと、すぐ目の前に悠斗の顔があった。


気を失っていたらしいという事を俯瞰的に理解すると、まどかは自らの上半身をゆっくりと起こす。



「いきなり倒れるからビックリしたよ。見た感じ平気そうだったから、なんともないと思ってたのに」


「いえ、あれは七瀬くんのせい……ですが、わたし的にアリだったので問題ないです。欲を言えば、もっと言ってほしかったくらいですが」



明るいままの空を見るかぎり、どうやら時間はそれほど経っていないらしい。


まどかは心の中で安堵すると、立ち上がって一歩を踏み出そうとした。……と同時に、なにか不思議な感触を覚え、ふと足元を見る。



「むにゃむにゃ……いきなり抱きついてくるなんて、大胆すぎるよ悠くぅん……」


「……」



顔を踏まれたまま寝言を言う穂乃果に、ジト目を向けるまどか。


そして足を退けると、思い悩むようにして自らの額に手を当てる。



「どうしたの、やっぱり体調がすぐれないとか?」


「……単に後悔しているだけです。まさか、初めての顔面踏みをお姉さんに捧げる事になるなんて。できればこれは、七瀬くんとのプレイまで取っておきたかったんですが」


「いや、別に自分、そういう趣味無いから」


「だとしても、選択肢が多いに越したことはありません。それは趣味趣向、性癖という部分に関しても同じですから」


「あ、うん。なんか否定しても意味無いっぽいからそれでいいや」



ビニールシートの上で仰向けに寝ている穂乃果を再度、一瞥すると、まどかは辺りをキョロキョロと見渡す。



「彩先輩はどこにいったのですか?」


「先に起きて、あっちでバーベキューの用意してる。まどかさんも起きた事だし、僕もあっちで手伝ってこようと思うんだけど……」


「はい、問題ありません。わたしも少し休んだら向かいます。なので、七瀬くんは彩先輩たちを手伝ってきてあげてください」



まどかはそう言って、笑顔で悠斗を送り出す。


ーーだが、背中を向けた瞬間。静止を促す手のひらの感触を感じ、悠斗は驚いた様子で後ろを振り返った。



「……ごめんなさい七瀬くん。いく前に、少し言っておきたい事があって……いいですか?」


「? うん、構わないけど……」



それは、どこか最初の告白の時を思い出すようで。


でもあの時とは違う、明らかな距離感の近さに、今の自分たちの関係性が集約されているようにも思えた。



「前に、『夏休みが終わるまではわたしを一人の女の子として見てください』と言ったのを覚えてますか?」


「うん、覚えてるよ。それがどうかしたの?」


「その提案を実行してくださってるのは、さっき七瀬くんが水着を褒めてくれた事でよくわかりました。ただ……それだと、わたしが幸せなだけで、七瀬くんにメリットがありません」


「そんな大げさな。僕はそんなの気にしないし、六笠さんも別に気にする必要なんてないよ」


「必要ならあります。わたしはこれまで、たくさん無茶な事を言ってきました。なのに七瀬くんは、呆れはしつつも、決してわたしを邪険に扱わなかった。これでは天秤の計算が合いません」



繋がれたままの手が強く握られる。


まどかの吐露は、これまでの彼女からは考えられないものだった。


それはまるで、すぐ間近に迫っている終わりを見つめているかのようで。



「……計算なんて、それこそどうでもいい事だよ。それは僕にとって全部、できる範疇にあった事だから」


「できる範疇、ですか?」



様子を伺うようにして、まどかが疑問を含んだ視線を向ける。



「もし六笠さんが無茶なお願い……たとえば、隕石を降らして世界を滅ぼしてほしいとか言われたら。それはきっと、僕でもどうしようもなかったと思う」


「そのお願いは、さすがのわたしも頼もうとは思いません。願いというのは、実現できてこそ初めて意味を持ちますから」


「僕も同じ気持ちだよ。でも逆に、それが絶対に無理じゃない事なら、なるべく実現したいってそう思う。だから、僕は六笠さんの全てを受け止める事にしたんだ」


「どうして、七瀬くんはそこまで……」


「だって、六笠さんの事が大切だから」


「……」



まどかがうつむき加減に視線を逸らす。


不意に現れたまぶしさから逃れるように。空から振ってきた隕石が、光の帯となって目の前を横切ったかのように。



「……あ、えっと……これはそういうんじゃなくてね!? 人間的に好きって話で、別に深い意味とかは……!」



悠斗が盛大に目を泳がせる。


それを見たまどかは、口元に手を当てながら小さく笑った。



「自分で言って慌てないでください。でも……そういう不器用なところは、七瀬くんのステキなところだと思います」



繋いでいた手を離し、まどかはわずかに距離を取る。


そして、なにか大事な物を留めるように、自らの胸を手で抑えた。



「七瀬くんは運命の人です。だから、七瀬くんがそう言ってくださるならーーわたしも、この気持ちを最後まで貫こうと思います。この心臓が、強く脈を打ち続けるかぎり」



悠斗が去った後、まどかはビニールシートの上で体育座りになる。


穂乃果はいつの間にか体勢を変えており、まどかから背を向けるようにして小さく呼吸を繰り返していた。



『……キレイな髪。これがあったら、あたしも今頃、胸キュンするような恋愛ができてたのかな。いや、伸ばせばワンチャンあるか?』


『わたしもそれほど長くないですし、彩先輩もまだ諦めるには早いと思いますが』


『そうかな……いや、やっぱり無理だと思う。あたしの気持ちはもう、そういうのとは遠いところにいっちゃったから』



(気持ちを貫く、か。なんてズルくて、遠い言葉……自分も彩先輩のこと言えないなぁ)



心臓とは違う、もっと奥底からの痛みを感じながら、まどかは心の中で独りぼやいた。

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