第29話 大人

真っ白な景色が視界を覆う。


平面の白。一面に続く白。動く気が起きず、動く必要のないその毎日の繰り返しに、彼女は辟易していた。


それが無くなったと思ったら、次に見えたのは真っ黒な景色。孤独という名の、一寸先の見えない暗闇。


自分の家とは違う、大きくて白い建物に泊まらなくてよくなったのも束の間。小学生という、六年間の積み重ねを一人で経験してきた彼女は、その先に続く道が得体の知れない夜道にしか思えなかった。


友達もできず、それ以上の関係なんて幻想だと思っていた矢先。ヒマつぶしに見ていた映画の中に、ふと気になる言葉を見つけた。


ーー運命。映画だけでなく、小説や漫画なんかにもよく出てくる言葉。


だが自分がすでに知っている言葉とそれは、少し違う気がした。


誰かと知り合い、その誰かを特別だと思える理由。恋愛だけでなく、人との関係そのものを表す根源的な言葉。


例えるなら、まるで空から星でも落ちてくるかのような。ありえないが、そうあってほしいという夢みたいな話。


そして中学のある日。無意識のうちに、彼女はその言葉の意味を知ろうと行動を起こした。


だがーー彼女を待っていたのは。忘れ物をただ先生に渡されたという、そんなありがちな日常の風景だった。







(……ニオイがする。生き物と塩水が入り混じった、潮のニオイが)



ビニールシートの上で膝を抱えながら、一面に広がる青の砂浜を見渡す。


白い砂浜と行き交う人を際立たせる存在。それらが混じり合い、やがて一つの雄大な景色が出来上がる。


そして、まどかにとってその景色は、これまで経験した事のない、様々な感情を呼び起こさせるのに十分な要素を兼ね備えていた。



「大丈夫? もしかして疲れちゃった? 道中、ずっとみんなでお話してたものね」



そう言って、由美が心配そうにこちらをのぞき込んでくる。



「あ……はい、そうですね。でもみんなというより、あれは主にお姉さんがずっと喋っていた感じですが」


「穂乃果ちゃんは家でもあんな感じだからね、おかげで全く静かな日はないくらいよ。でも、元気なのはとても良い事だと思うわ」



由美は紙コップに入ったお茶をまどかに手渡すと、そのまま同じようにしてビニールシートに腰を落ちつける。


屋根を立てたおかげか、二人のいる場所に直射日光が差し込む事はなかった。とはいえ、人の多さと本来の気温のせいで暑いのは変わらないのだが。



「それにしても、やっぱり夏って暑いわね。こんなにも季節を感じたのは、いつ以来かしら」


「……わたしも、こんなに遠出をしたのは久しぶりかもしれません。家族以外、というのを考えると、おそらく初めての経験かと」


「そうなの? それは大問題よ。こんなところで座ってないで、あなたもみんなと一緒にビーチバレーしてこなきゃ」



由美が向けた視線の先。そこでは、穂乃果たちがビーチバレーに興じていた。


だが、その実態はボールのぶつけ合いに他ならない。彩と穂乃果がその中心にいて、弾かれたボールを悠斗が取りにいく。そして、判定を茂が務める。


遊んでいると言われれば相違ないが、ビーチバレーをしていると言うと、それはどこか語弊があるような気もした。



「なんか……こうして見るとすごいシュールですね」


「でも、みんな楽しそうにしてるからそれでいいんじゃないかしら。あの人も、若者の輪に入ることでいつもよりイキイキしてるし」


「わたしの目にはとてもそうは思えないんですが。それより暑さにやられていないか心配です、さっきから微動だにしていませんし」


「審判っていうのは得てしてそういうものよ」


「まぁ、それはそうなんですが」



まどかはそう言って、次に悠斗の方に視線を向ける。


適度に応援の声をかけつつ、跳ねたボールを追って砂浜の上を駆ける。


まるでそれは拾う事以外に方法を知らない、幼い子供のようにも思えて。



「……ずっと訊きたかったんだけど……あなたは悠斗くんと付き合ってるの?」


「いえ、付き合っていません。ただ、そうあればいいという願望は今でも持ち合わせています」



由美の問いに、まどかが真剣みのある表情を返す。



「なるほどね。てっきり、二人は付き合ってるものと思い込んでたけど実際はそうじゃなかったのね。という事は、今は穂乃果ちゃんの方を口説き落とすのに苦労してる感じ?」


「苦労しているどころの話じゃありません。車の中でお姉さんが言っていたみたいに、会うたびにいつも火花散らしてますし」


「そんなに火花が飛んで、周りが火事にならないか心配ね」


「これは表現的な話なので、実際そうなる事はないと思いますが……」



ただ相槌を打つ事もできたが、あえてそうしなかった。


連日の訪問。その中でまどかは何度も、由美や茂と顔を合わせる機会があった。


しかし、ただの一度も厚意に甘えた事はない。夕方前にはいつも帰路につき、最後に感謝の言葉を伝えるだけ。


それがまどかのスタンスだったが、予期せぬ遠出により、その適度な距離感は崩れてしまった。



「そうね。まぁでも、穂乃果ちゃんの弟に対する気持ちはそれくらいのレベルって事ね。もちろん、あなたもよ」


「わたしも、ですか?」



そう言って、まどかが首を横に傾ける。



「同じくらい大きな気持ちじゃないと、片方が打ち消されちゃうだけで終わっちゃうもの。ほら、争いは同じレベルの者同士でしか発生しない……だったかしら?」


「いえ、この場合は意味合いが違うかと」


「あら、そうなの? ごめんなさい。おばさんだから、そういう流行の言葉に疎くてね」


「流行とも少し違う気もしますが……。でも、言われて悪い気はしません。この気持ちがお姉さんと同じであるなら、わたしが行動を起こす意味も、少しはあるというものですから」


「……若いわね」



微笑みをたたえながら、由美がそうボソッと呟く。



「単に子供なだけです。この気持ちだって、お姉さんの対抗心から来るものですし」


「別にそれでもいいじゃない。子供っていうのは、勝手に成長していくものよ。大人になる前に、そういったぶつかり合いは何度も経験しておくといいわ」



『大人』という存在の偉大さに、まるで靴紐を結ぶみたいに心が引き締まる。


まどかはその場から立ち上がり、砂浜の上に置いてあったサンダルに足を通した。フリルのついた真っ白な水着が合わさり、その身姿は錦上添花きんじょうてんかと言っても大げさではない。


しかし元来、人はさらなる高みを求めるもの。取り繕える外見ではなく、何物にも負けない、自分だけの武器で頂点を目指す。


事実ーーその切望は、穂乃果たちを眺めている時から、ずっと変わらないままだった。



「大丈夫よ。なにも、おっぱいの大きさだけが女性の全てじゃないから。あなたはあなたの魅力で、穂乃果ちゃんに対抗すればいいのよ」


「……」



由美のその気遣いは、まどかの心になんとも言えない感情を残した。

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