第28話 計画

ーーそして後日。彩はまどかと対面し、そこで自らの気持ちをぶつけあった。


今度は狂奔でも暴走でもない。これまで彩自身も経験したことのないとめどない真情の発露に、まどかも真正面から答えた。


それはいわば、お互いの譲れない部分をぶつけ合う泥試合のようなもの。


結果は予想通りだった……が。なぜか前よりも心が近づいた気がするのは、お風呂で互いの全てを見せ合ったからだろうか。


多分違う気もしたが、その理由も少なからずあるような気もした。



「……なんだか、頭がボーっとします。さすがに長風呂すぎたでしょうか。それもこれも、彩先輩が長話をしたせいですね」


「そこは素直に謝るよ。でも、一概にあたしだけが悪いってわけじゃないと思うな。あなただって、律儀に会話返してきたんだから」



脱衣所でお互いに文句を言い合う。言葉通りの意味で今は近い二人の距離感が、服を着るために一度離れていく。


用意されていたシャツに袖を通すと、まどかはわずかに眉根を寄せた。



「どうしたの、そんな険しい顔して」


「この服は男物のシャツです。それなのに、七瀬くんの匂いがしないどころか同性の匂いがするのですが」


「多分、穂乃果のだからじゃない? たまにメンズの服着るとか言ってたし。大きさ的にも多分、合ってると思う」


「……こうなったのも全部、彩先輩のせいです。お詫びに今度、七瀬くんを虜にする手伝いをしてください」


「ごめん、あたしは穂乃果側の人間だから」



物言いたそうなまどかと共に脱衣所を出て、階段を上がっていく。


そして階段を上がりきった瞬間。ふと悠斗の部屋の扉が開き、まどかはあわてた様子で前髪を整えーー



「あ、ちょうどよかった。今様子見にいこうと思ってたの、ずいぶん時間かかってるみたいだったから」



部屋から顔を出した穂乃果を見て、今度は露骨に残念そうな顔になる。



「どうしたのまどかちゃん?」


「いえ……今、気分的に一番会いたくない人と会っちゃったなと思いまして」


「? まぁいいや、それより服なんだけど、今乾かしてる最中だから。それまでは私のでガマンしてね。サイズとかどう?」


「全体的に、少し大きめかもしれません。まぁ、体系が違うのでそれも仕方ないのかもしれませんが」


「まどかちゃん、全体的にスレンダーだもんね。私もまどかちゃんみたいな体系が良かったなぁ、胸だけ大きくても得する事ないし」



穂乃果はそう言って、自らの胸をもむような仕草をする。


今のように、穂乃果は予期せぬタイミングで天然という名の撃鉄を起こす時がある。


そういった点では、まどかは穂乃果には勝てない。機関銃の数発より、不意に放たれる狙撃銃の一撃の方がダメージは大きいものだ。



「あ、こんな事してる場合じゃなかった。ほら、いいからまどかちゃんも部屋入って、今大事な話してる最中だから」



部屋の真ん中に置かれたテーブルにそれぞれが座り、全員が集う形になる。もちろんそこには部屋の主である悠斗もいたが、穂乃果のインパクトが大きすぎて、今は観賞植物のように気配が希薄だった。


穂乃果はあらためてパン、と手を叩くと、



「はい、それじゃあ皆、揃ったところで……海にいく予定を本格的に立てたいと思います!」



明るい声色で、いきなりそんな事を言った。



「……うん? ちょっと待って、海ってどういう事?」


「海にいくの、ここにいる皆で。せっかくの夏休みなんだし」



予め決まっていたかのように、そう答える穂乃果。


さらなる答えを求めるように、彩は悠斗に視線を向けた。



「……なんか、そうらしいです。僕もついさっき知りました」


「そう……」



悠斗のその一言で、彩は全てを察した。



「あの、お姉さん。一ついいですか?」


「あ、もしかしてまどかちゃんは海より山派だった? なら予定を変えて、皆で八十八か所巡りでもいく?」


「いえ、訊きたいのはそういう事ではなく……第一、それ山じゃないですし」


「そういえばそうかも。じゃあ、やっぱり海にいくしかないよね。せっかくの夏なんだから、その時にしかできない事をしないと! 海にいけるのは今の季節だけなんだから!」


「……はぁ……」



まどかが呆れ声を漏らす。


しかし、その反応はすでに意味を成さない。穂乃果にとって、海にいく事は決定事項であり、その考えを変えることはできない。


ならばこの場合、すべき返答は一つだった。



「……うん。まぁ、穂乃果がいきたいならいいんじゃない? あ、でもまどかさんはなにか言いたい事があるんだよね?」



そう尋ねると、まどかは静かに首を横に振る。



「まぁ、あるにはありましたが……さほど重要な事でもありませんから。わたしはかまわないので、あとはそっちで話を進めてください」


「うん、任せといて! ひと夏の思い出を作れるよう、私も精いっぱい頑張るから!」



両拳を握り、がんばるアピールをする穂乃果。


だが海にいく予定が決定してしまった事よりも、彩には気になる事があった。



(さほど重要じゃないと言われても、事情知ってる身からすると簡単にスルーできないんだけどなぁ)



もし体調の問題があった場合、それはのちの後悔では済まされなくなる。病名まではわからないが、大事になるようなリスクはなるべく避けたい。


それを察してか、まどかはこちらを軽く一瞥して。



「……大丈夫ですよ。ただ、海にいくにしても、わたしは泳げないと言いたかっただけなので」



わりと大問題だった。







そして日は過ぎーー夏休みがとうに折り返しを迎えた頃。


海に向かう道中、彩は車内で窓の外を眺めていた。



「……なんかこういうの、すごく夏休みって感じがする」


「まぁ実際、夏休みですからね。でも海にいくってなると、たしかによりそれっぽい感じはしますけど」



隣に座っていた悠斗が、彩の言葉に同調する。


最後方のシートで肩を並べながら、時たま他愛のない会話を交わす。こうも気持ちに余裕があるのは、自分が運転する立場でないというのも理由としてあった。


と、その前方では。



「まどかちゃん、おにぎり食べる? 軽くつまめるようにって、朝早くに起きて作ったの。あ、肉じゃがもあるよ?」


「いえ、今はお腹空いていないので別に……ていうか、肉じゃがは車内でつまむには難易度が高いのでは?」


「あ、じゃあ僕肉じゃがもらうよ」



悠斗は後ろから手を伸ばすと、穂乃果からタッパーと箸を受け取る。



「あ、もしよければ彩さんも食べます? お箸もう一善、もらっときましょうか?」


「ううん、あたしはいいや。別に無理して肉じゃが食べる理由もないしね、あたしの場合」


「?」



彩の言葉に首をかしげながら、悠斗が肉じゃがに口をつける。


それはまるで、決して忘れてはいけない文字を壁にナイフで刻んでいるかのようで。


そんな些細な動作が気になってしまうのは、きっと自分だけなのだろうと彩はそんな事を思った。



「ふふっ、みんな仲良しね。まさかこの歳になって、こんなにたくさんの若者に囲まれて海にいく事になるとは思わなかったわ」



そう言って、助手席で座っていた由美が日向ひなたのような笑みをこぼす。


今回の発案者である穂乃果たっての希望で、由美は保護者役としての任を請け負うことになった。夏休みという長期休暇の最中、わざわざ土日に予定を定めたのは、こうした大人側の事情を鑑みての事である。


専業主婦である由美にはあまり関係なかったが、もう一人の保護者はそれに見事に当てはまり。



「普段、車で遠出する事なんてあまり無いからな。こうした機会を作ってくれた事に、むしろ感謝したいくらいだ」



運転席に座る茂が、バックミラーをチラリと見る。


まどかと彩が申し訳なさそうに首を振るのを見て、穂乃果は小さく吹き出すようにして笑った。



「なんです、いきなり笑ったりなんかして」



まどかがそう指摘すると、穂乃果は社内をグルっと一望して。



「ううん、なんでも。ただ……こうしてみんなとお出かけできて、なんだか嬉しくなって。特にまどかちゃんなんか、普段はバチバチに火花飛ばし合ってるのに」


「それを笑顔で言われるのはわりと微妙ですが、別に常日頃からそうしているわけじゃないですし」


「そうだね。悠くんの事さえなければ、まどかちゃんとはもっと仲良くなれそうって思ってるし。まぁ、『好き』が絡むと色々難しいよね、特に私たちに関しては」


「……だから、そういう事を安易に言わないでほしいんですが……」



苦言を呈すまどかだったが、場の空気は安定を維持したままだった。


そんな中、ふと隣を見ると、悠斗が気まずそうな顔をしているのに気づく。



「……当事者としては見てられないって感じ?」


「それもあります。でも……自分はどうするのが正解なんだろうって。今更そんな事を思っちゃって」



自信なさげにうつむく悠斗に、



「正解なんて決めなくていい。あの二人は、今の自分に正直になってるだけ。なら、弟くんもそれに倣えばいいんじゃないかな。大人として行動を起こすのは、それからでも遅くないと思うよ」



と、悟ったような口調で答える。



「……彩さん、もしかして六笠さんとなにかありました?」



バレていた。


なので完全に否定せず、あえてこちらも平然とした態度を貫く。



「どうしてそう思うの?」


「年上なのは別として、前よりも大人びて見えるというか。全部の事情を知った上で、アドバイスしてるようにも聞こえるから」


「……どうだろ。もしそう見えてるなら、勇気出した甲斐があるってもんだけどね。でも結局、わかったのは一つだけだよ」


「一つ?」


「大人になるのは、やっぱり難しいって事」



トンネルを抜け、目的地が見えてくる。


海。青一色で染まった地平線。その先になにがあるかは、今はまだ見えなくて。


そして、それぞれが『好き』に向き合うためのーー大人になるための。最初で最後の、ひと夏の思い出がはじまった。

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