第34話 先の見えない未来 その2
「……おかしくないと思う。むしろ、お姉ちゃんにしてはよく考えた方じゃないかな」
『へ!? お、起きてたの悠くん!?』
「寝ようとしてたけど、やっぱりやめた。いいから入りなよ、そんなとこで喋ってたら茂さんや由美さんに心配されちゃうよ」
穂乃果が部屋の中に入ってくる。
ドアノブを押す手はあまりに遅く、腰は老人のように曲がっていて、おそるおそるという言葉が似合いすぎているほどだった。
「なに遠慮してんの、いつも勝手に部屋侵入してるクセに」
「いや、いつもじゃなくて、たまにしか侵入しないし……って、それはとにかく! さっきの言葉ってどういう意味!? もしかして私、軽くディスられてた!?」
「ううん、普通に褒め言葉。なにも考えてないように見えて案外、色々考えてるんだなって」
上半身を起こすと、悠斗はベッドの上であぐらをかきながら、そんな皮肉じみた事を言ってのける。
「そ、そう……? 私単純だから、そう言われると調子乗っちゃうよ??」
にはー、と笑いながら穂乃果が体を揺らす。こういうところは、どんな状況であっても変わらない。その事に少し安心感を覚えた。
「……それで、お姉ちゃんはどこまで知ってるの?」
「へ? なにを?」
「まどかさんの事情を、だよ。なにも知らないと思ってたけど、さっきのを聞く限り、全くってわけじゃないんでしょ?」
「ううん、なにも知らないよ」
「え?」
悠斗が素っ頓狂な声をあげる。
「ごめん、少しウソついた。海の時、私が寝てるそばで二人話してたでしょ? その時に、少し話を聞いちゃったくらいかな」
「途中から、体勢変わってたけど……あの時にはもう起きてたんだね。でも、どうしてそんなウソを?」
「だって、まどかちゃんの事情までは言及してなかったから。私が知ってるのは、二人の関係がだいぶ深いところまで進んでるって事くらい。少し嫉妬もしちゃうけどね」
「だったら、どうして僕を助けるなんて……」
「私がお姉ちゃんだからだよ」
まるで当然のように、穂乃果がそう言い放つ。
「あの子が……まどかちゃんが家に来なくなって、その事で悠くんも苦しんでて。だから私は、お姉ちゃんとして、悠くんを助ける事にしたの」
「でもさっき、一方的な片思いとも言ってたよね」
「うん、そう。こんな事言うと、少しひどく思えちゃうけど……勝くんが私にプレゼントをくれて、気持ちを伝えてきて。そこで気づいちゃったの。好きを貫くなら、時に勇気を出さなきゃいけない。それがまどかちゃんと関わることを決めた、今の私の率直な気持ちだから」
「それってつまり、お姉ちゃんは勇気を出す覚悟を決めたって事?」
「うん、そう。でもきっと、私一人だとその現実を受け止めきれないかもしれない。ーーでも、悠くんとなら」
穂乃果の目に光が灯る。
部屋は薄暗いままなのに。その光は苦いままだった悠斗の心を、まるで暖かいもので包み込んでいくかのようで。
「……なんかお姉ちゃんって、たまにものすごく思い切りいいよね」
「それって褒めてるの?」
「ううん、今度は少し呆れてる。子供の頃から、どうしてこうも一筋縄じゃいかないんだろうって。四宮くんも勇気出して気持ちを伝えたのに、こんなんじゃ報われないよ」
「そうだね。勝くんにも、それに彩ちゃんにも申し訳ない気持ちでいっぱいだよ。でも、自分の気持ちにウソはつけないから」
「うん、よく知ってる。子供の頃も今も、それはずっと変わらないよ。僕も、それにお姉ちゃんもね」
悠斗はそう言うと、立ち上がり、部屋の電気をつけた。
放射状に光を放つ蛍光灯。一瞬にして明るさを増した室内は、今の悠斗を心境をそのまま表していた。
▽
あと数年で心臓が止まって死ぬ。そう伝えられたのは、まどかが中学校に上がってすぐの頃だった。
元々、生まれた時から心臓が悪く、そういった生活を送っていた彼女にとって、その宣告は特に驚くものでもなかった。
親はひどくショックを受けていたが、そこにも温度差があった。彼女にとって、なによりショックだったのは、死ぬことではなく『自分がいたという証拠がこの世から無くなってしまう』事だったからだ。
友人、あるいは恋人のような関係。そういった特定少数から向けられる親愛の気持ちは、個人の存在を際立たせるために必要不可欠だ。
孤独からの解放。忘却という結末の回避。まどかが『運命』を追いかけるようになったのは、そうした理由がほとんどを占めていた。
その無意識の思いを乗せたポーチは、結果として先生に拾われた。それで諦めがついたはずだった。
だがーー高校に上がって、再び彼女は行動を起こした。拾った相手に重責を与えないために、その願望を花柄のハンカチに変えて。
▽
「……知らない天井……ならよかったのに。せめてピンク色とかにならないかな、それなら少しは気分も紛れるのに」
そう呟きつつ、ゆっくりと上半身を起こす。
下半分を覆っている白い掛け布団。窓にかけられた白のカーテンと、一面の白に覆われた壁。
なにもかもが見慣れた光景。その既視感を上塗りするようにして、まどかは深く呼吸し、自らの心臓に手を当てる。
(……まだちゃんと動いてる。それなのにどうして? わたしは一体、いつからここにいるの?)
瞬間、腕の違和感に気づく。
腕から伸びたチューブの行きつく先。そこには点滴のパックがぶら下がっており、今も絶えず体に栄養を送っている。
現状を察したとばかりにナースコールのボタンを押すと、まどかはまた白いベッドに体を預けた。
「まどかちゃん? よかった、目が覚めたのね。ちょっと待ってて、今先生を呼んでくるから」
部屋に入ってきた看護婦が、来た時と同じように駆け足で先生を呼びにいく。
しばらくすると、白衣に身を包んだ初老の先生が現れ、看護婦と共にベッドの隣に立つ。
まどかはベッドで横になったまま、ゲームを操作するようにして自らの首を意識的に動かした。
「おはようまどかちゃん。変な事を聞くようだけど……自分が誰かちゃんとわかるかい?」
「……先生。小さい頃からずっとお世話になってて最近、髪が減っているのが一番の悩み。料理が趣味で、最近は南米系を攻めようか考え中」
「うん、それは私の事だね。そうじゃなくて、まどかちゃん自身の事だよ」
まどかは少し間を空けて、
「わかります、自分が誰なのかは。でも……どうしてここにいるのかがわかりません。もしかして、急に倒れたとかですか?」
と、こうなった状況を冷静に分析する。
「その辺の詳細は親御さんに聞いた方がいいかもしれないけど、大方その通りだね。起きてすぐだからまだ混乱してるかもしれないけど、ひとまず軽く検査してみようか。親御さんへの連絡も、もうしてもらってるから」
そこからの状況は、さらに慌ただしかった。
程なくして両親が病院にやってきて、すぐに詳細を確認。体調を案じる母親を無下にするような自身の行動に、軽く自己嫌悪すら感じた。
どうやら自分は、家にいる時に倒れたらしい。もっと言えば、海から帰ってすぐ、自宅の玄関で。
それを知ると、まどかはさらに自己嫌悪に陥った。布団を頭までかぶり、両親に背中を向ける。
それがどれだけ意味のない行為か、まどかにはすでにわかっていた。
しかし、それ以上に彼女の心に湧き上がっていたのは。早くあの場所に戻りたいという、そんなかぎりなく淡い希望だった。
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