第35話 宣告
目覚めてから二日目。今日も変わらず、真っ白なベッドの上で一日を過ごす。
明るい空が夜の帳に包まれるまで、まどかはベットに横になったまま、行き場のない気持ちにその身を委ねていた。
どうしてこうなったのかという後悔と、こうなって当然というある種の悟り。大所帯でいく初めての海に、心が浮ついていたのだろうか。
それを言えば、ここ最近の行動全てが当てはまる。陽炎の立つ道を歩き、それをほぼ毎日のように繰り返す。
そんな事をしていては、遠からず体に負担をかけるのは、最初からわかっていたはずなのに。
「後悔なんてしても意味ない……はずなのに。やっぱり独りだと、そんな事ばかり考えちゃう。せめて携帯が手元にあればな」
両親の話を聞く限り、倒れてからそのまま病院に直行したのは間違いない。
なので、その時の所持品は全て家に置いたまま。ポケットにでも入れておけばまた違ったかもしれないが、済んだ事を後悔しても仕方ない。
なにもかもうまくいかない現状に、叫び出したくなる衝動に駆られた。……が、とっさに理性が働き、まどかは冴えた頭のまま目をつむる。
そして、気づいてしまった。自分の心臓の音が、前よりも弱まっていることに。
「わたしを夢から目覚めさせるのに、あえて眠らそうとするなんて。本当……運命って性格悪い」
▽
目覚めてから三日目。今日も特にやる事がない。
しかし、判明した事実はある。倒れた理由の事。これまでの負担が一気にやって来たのかと思っていたが、その通りだったと先生の談。
昔から、まどかは体育の授業というものに参加した試しがなかった。それもなるべく体に負担をかけないためだったが、他にも理由がある。
六笠まどかという人間は、中途半端が許せない
ゆえに、まどかは決して前には出ない。
存在を希薄にさせ、まるで自分がいない者のように振る舞ってみせる。そうする事が最善だと気づいた上で。
「黒い空。また雨が降るのかな……大粒の雨が」
窓の外の空を眺めて、誰もいない病室でぼそりと呟く。
つまるところ、これは自業自得に他ならない。海にいった事ではなく、悠斗と、しいては穂乃果と関わった事そのものが。
朽ちかけの時計が急に秒針を動かした時。あとに訪れるのは、壊れるという決まりきった未来だけ。
そんな事実に今一度、向き合った上で、まどかは降り込める雨の音をただ静かに聴いていた。
そして一日、また一日と、瞬く間に日は流れていきーー8月も終盤に差し掛かった頃。
停滞したそんな日々に、不意に終わりが訪れた。
「ーーまどかちゃん、今少しいいかい?」
そう言って、先生が部屋に入ってくる。
両親が病室にいる最中での出来事。このタイミングで部屋にやってくるという事は、つまりそういう事なのだろう。
まどかが先んじて背筋を伸ばす。寝たきりで凝り固まった体から鳴る小気味の良い音。
動揺なんて言葉とは無縁だと、自分にそう言い聞かせるように。あくまで冷静さを保ったまま、まどかは自身の運命と対峙した。
「話をする前に、私がまどかちゃんに出会ってもうだいぶ経つよね」
「そうですね。いつからと言われると、すぐには答えられないくらいには付き合いは長いと思います」
「でもだからこそ、私はまどかちゃんの事をよく理解しているつもりだ。その性格も全て。その上で、私が今からする話を聞いてほしい」
「……はい」
まどかが肩の力を抜く。
それはまるで親戚のおじさんと対面するかのようで。今からしようとしている話との温度差に、我ながら驚いてしまう。
「結論から言うと、まどかちゃんはもう学校に通うことはできないかもしれない」
「そうですか」
まどかの返しはひどく冷静だった。
だが、それも昔と同じ。余命を宣告された時、同じような反応を返した。今のように、両親が辛そうな顔をすぐ間近で見ながら。
「もっと希望を持たせてあげる事もできたのかもしれないが、それだとまどかちゃんは納得しない。それがわかっているからこそ、私はこうもハッキリと事実を伝えた。それだけはわかってほしい」
「そんなにかしこまらないでください。先生はわたしの事を思って、そうしてくれたのですから」
これまで彼女が関わった大人達は、皆例外なく優しい相手ばかりだった。
両親はもちろん、それは悠斗の保護者である由美と茂も。現実を受け入れる強さと、その上で行動に移す力。
その両方を実行するのが、大人に変わるための入り口だというのなら。自分はまだ大人にはなりきれていないと、そんな自虐的な考えが頭の中に浮かんだ。
「これはまどかちゃんの意思がなにより大事だ。極端な話、他の誰も関係がない。その上でどうしたいのか、私は知りたいと思っている」
「それは、つまりーー残りの時間をどう過ごしたいのかという事ですか?」
そう言って、ベッド横の机を見つめる。
あらゆる服用を想定した、種々雑多な薬。それらが乱雑に置かれている様子は、まるでアルバムの写真を整理しているようにも見える。
積み重ねた日々の証明。手帳にメモしておかなければ把握できない、元気に見せかけるための唯一の手段。
だがこうなった以上は、もうその仮面をかぶる必要もなくなるのだろうがーー。
「いや、そうじゃない。私が訊きたいのは、もっと単純な話だよ」
「単純な話……それは先生の髪の毛が後退しているのと同じくらい単純ですか?」
「うん、私の毛の話はやめようか。でもそうだよ、これはそれくらい単純な話だ。特に構える必要もない」
「構える必要がない?」
「まどかちゃんは、もっとここにいたいと。生きていたいと、そう思うかい?」
一見すると、さっきとなんら意味は変わっていないようにも思えた。
が、そこには一縷の希望が見え隠れしているようにも感じた。まるで雲間から陽光が差し込むように。
その未だ不明瞭な光を浴びながら、まどかは心を落ち着かせるようにして布団のシーツを強く握る。
「私の役目は、君のやりたい事を叶える事だ。だがーーそのための努力をしたのは他でもない、まどかちゃん自身だ。学校に通う事ができたのも、薬の数を抑える事ができたのも。全部、まどかちゃんがそのために頑張った結果だよ」
「でも今、その無茶をしたツケがこうして回って来てます。それなのにまだ願望を重ねるなんて、そんな事は……」
「いいんだ、ワガママを言ったって」
刻まれたシワにさらに形をつけるようにして、先生はそう優しい笑みを浮かべる。
「その考えは大人のする事だ。まだ子供の君が、そこまで気を使う必要はない。たとえ生死に関わる事であっても、それは同じだ」
「同じ……」
視線を両親の方へと向ける。
さっきまでの辛そうな表情はそこにはない。あるのはただ、我が子の選択を見守る親としての優しさだけ。
どんな願望でも受け入れるという、大人としての器量の良さ。プール一杯分でも足りないくらいの、底の見えない愛情の深さ。
「もう一度聞こう。まどかちゃんは今、ここにいたいかい? 今いる場所から離れたくないと、そう思うかい?」
「……わたしはーー」
その問いに、まどかの口が動く。
握られていた手が開かれ、形を変えたシーツがあらわになる。それは今のまどかの感情を、そのままつぶさに表しているかのようだった。
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