第26話 失恋

「はい彩ちゃん、お茶持ってきたよ」


「うん……ありがとう」



部屋に戻ってきた穂乃果からコップを受け取り、グイっとお茶をあおる。


喉元で引っかかる液体を無理やり奥に流し込むと、彩は目の前の動向をただ静かに見守った。



「そういえば、勝くんはまだ会った事なかったよね。この子は彩ちゃん。私の親友で、悠くんやまどかちゃんとも一応、顔見知りだよ」



穂乃果の紹介に答えるようにして、彩がぎこちない笑顔を勝に向ける。



「あ、はい……知ってるっす。前に教室で色々あった時も、七瀬先輩と一緒にいましたよね。俺はあの時トイレにいってて、教室の外から見てただけですが」


「あれは保護者役としての血がざわついたというか……まぁ、目立ってたのは間違いないか」



あの時の事を思い出し、彩の体を羞恥の波が襲う。


学校で起きた事を校内で話す分にはいいのだが、こうした状況で話されるとどうにも落ち着かない。隠していた趣味を暴露された気分になる。


そんな事は露知らず、穂乃果は持ってきたお菓子を机の上に広げ始めた。上半身と共に、穂乃果の絹糸をほぐしたような髪が八方に揺れ動く。


勝は顔を赤くしながら、その光景から目をそらした。



(なんてピュアな反応。こりゃ、本当にとんでもない事に巻き込まれたかな……恨むよ、本当)



その瞬間、彩は覚悟を決めた。


この状況を仕組んだのが誰であれ、こうして来てしまった以上はその結末を見届ければならない。


そんな謎の義務感を抱いていると、ふとお菓子を広げていた穂乃果の手が止まった。



「……彩ちゃんも勝くんも、なんかごめん。いきなりこんな事になっちゃって、きっと驚いてるよね」



と言って、自らの膝に手を置き、申し訳なさを表情ににじませる。



「あたしは別に構わないけど……でも、彼の方は驚いてるんじゃない? 急にこんなよくわからないやつが来てさ。もっと喋りにくくなるでしょ、むしろ」


「いや、いてもいなくても同じっす。俺、この部屋に来てから緊張でほぼ話せてないので」


「そっか、なら良かった……うん? それって本当にイイやつなの?」



自分でツッコミを入れる彩。


穂乃果はさらに謝罪を重ねると、一気呵成に言葉を重ねていく。まるで後悔と自虐を、同時に吐き出すようにして。



「本当にごめんね……でも、私の方もどうしようもなかったんだよ。男の子と部屋で二人きりになるなんて悠くん以外経験なかったし、緊張しちゃって。まぁ、部屋に上げたの私なんだけど」


「中々に大胆だね……。ていうか、どういう経緯で部屋に上げる事になったの? 彼が弟くん伝いでウチに来たっていうのは大体、予想がつくけど」


「部屋を出たら勝くんが気絶してたの。それであわてて部屋の中に引き込んだって感じかな。こう、ズルズルーって」



まるで綱引きのような動作で、穂乃果が体を前後に動かす。



「あわてたとしても、普通そんな事しないと思うけど。それこそ、普通に弟くんに助け求めればよかったのに」


「だって、直前まで壁に耳当てて、悠くんの部屋の会話盗み聞こうとしてたから……なんか言い出しづらくて」


「自業自得を見事なまでに体現してるね」



彩に辛辣かつ正論を述べられ、穂乃果の表情がわずかに曇る。



「いえ、先輩はなにも悪くありません。悪いのは俺なんです。六笠のやつにそそのかされたとしても、この家に来るのを決めたのは俺自身だから」


「あ、弟くんじゃなくてまどかさんの方なんだ……。でもどちらにしろ、君は穂乃果に伝えたい事があったから今ここにいるんだよね?」


「はい、そうです」


「なら、それを言葉に出さなきゃダメだよ。部外者でいる事をやめるのなら、それ相応の覚悟を持たなくちゃ。それが多分、向き合う相手に対する礼儀ってやつなんじゃないかな」



そう口にした途端。水あめのようにドロッとしたなにかが、自身の心を覆っていくのを感じた。


それに引っ張られる形で、彩はそれっきり口を閉ざしてしまう。自らの口から放たれた助言が、どういう経緯を辿るのかを見極めるように。


そしてーー



「……七瀬先輩」


「!? は、はいぃっ!?」



勝の呼びかけに、穂乃果が上ずった声をあげる。



「ひとまず、気絶の件は忘れてください。俺……実は先輩に用があって。最初は迷ってたんですが、今の言葉を聞いて考えが変わりました」


「考えが変わったって……?」


「やっぱり、動かないとなにも変わらないから。初めて、先輩を見かけた時から……俺はずっと、どう行動するか悩んでた。こんな気持ちになったのは初めてだったから余計、どうすればいいかわからなくて」



目の前で繰り広げられるやり取りに、彩は内心、のたうち回っていた。


これまで告白を受けた事はあるが、第三者としてこうした場面に立ち合った事はない。


見ていられないが、目を離さずにはいられない。そんな矛盾した感情が、彩の心を四方八方にかき乱す。



「でも今は、彩ちゃんの言葉を聞いて、そうすべきだと思ったって事?」


「それもありますが、他にも理由があります。……俺をこの家に連れてきた張本人がそういうやつだから。ちぎったパンを手に入れるには、他のどのハトよりも首を振らないといけない。だから俺は、そんな積極性を今から発揮しようと思います」



勝はそう言うと、穂乃果の目をまっすぐに見据えーー



「先輩は……俺が前にあげたヘアピンをどうしてますか?」



そんな、告白とは程遠い質問を投げかけた。



「えっ? ヘアピン?」


「前に俺があげたプレゼントの事です。あの時は無理やりな理由で渡した感じになっちゃいましたけど……それを先輩が今、どうしてるのか気になって」


「それは……」



その反応だけで、彩は全てを理解した。


きっと目の前の光景は、自分が選択しなかった可能性の一つなのかもしれない。


だが、そこには決定的な違いがある。


最後の最後まで与える立場に準じた勝と、そうあろうとはしたが、与える事はからっきしな自分。それは自ら動く事で、状況が悪化するのが目に見えていたからだ。


その怯えを取り払ってまで、与えようとする気持ちーー勝のそうした気持ちが、今の状況を作り出す要因となった。


ゆえに、彩がその舞台に上がる事はない。そうする事は魚が陸に上がるのと同義なのだと。


根っからの受け取る側である彼女にとって、それは選択しなかったのではなく、からなのだと。彼女はとうに理解していたから。



「別に使ってないならそれでもかまわないんです。でも……俺は七瀬先輩の口から答えを知りたい。極端な話、それを捨てていようが、七瀬先輩の言葉なら俺は素直に受け止められるから」


「そんな、捨てるなんてありえないよ。せっかく勝くんがくれた物なんだし、大切にしてるに決まってるじゃない」


「それだけ、ですか?」


「それだけって?」


「それを、つけたりは……してないんですか? ただ大事に持ってるだけなんですか?」



その伺うような視線を、穂乃果は真正面から受け止めて、



「ーーうん、そうだよ。机の奥にしまってる。そして、これからもずっとそうするつもりだよ」



嘘偽りない、自らの気持ちを口にする。



「……」



勝は身を引くようにして、膝に手を置く。


波が引いたような沈黙。同時にその瞬間、どこにでもあるような『唐突で運命的な初恋』は儚く終わりを告げた。


あまりに間接的で、わかりきった結末を描きながら。



「……えーっと……まぁ、大事にされてるだけまだマシだよ。世の中には、もらったプレゼントを本気で捨てたりする人もいるし」


「すんません、今そういうフォローするのやめてもらっていいっすか。わりとダメージ受けてるんで」


「あ、うん。それは見たらわかるよ、全身プルプル震えてるし。でもこのまま放っておくのは、どうにも心持ち悪いというかさ」


「いや、マジでほっといてください。でないと俺……」


「とりあえず、今度なにかおごってあげる。アイスとかどう? それかじりながら、あとはボーっとでもしておけば、ツラい気持ちもどこ吹く風って感じで……」



彩の言葉を待たずに、勝はその場からすくっと立ち上がる。


刹那、扉を開けて全力ダッシュ。「ふわぁーーーーーーん!!!」という、素直に受け止められたとは到底、思えない叫び声を上げながら、そのまま部屋を飛び出していった。


開け放たれた部屋の扉を閉め、彩は穂乃果の方を振り向くと。



「……人が本気で失恋した時って、あんなになりふり構わなくなるものなんだね。また失敗したなぁ、あたし」


「ううん、彩ちゃんはなにも悪くないよ。悪いのは私の方、こういうのを悪女っていうのかな?」


「それだけで悪女認定されるなら、この世はとっくに悪で染まりきってるだろうね」



小さく嘆息して、彩は悠斗宛にメッセージを送る。


人が本気で失恋する様を、初めて目の当たりにした。だから、これからは自分も、怖がらずに行動していく事を覚えていこうと思うーーそんな内容のメールを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る