第14話 昼の囲い その2

訊きたい事がある、という穂乃果のその言葉に、まどかは不可思議そうに小首をかしげる。



「それは七瀬くんがわたしの事をどのくらい想っているか、という話ですか? なら、こうしてお昼を共にしている時点で察してください。お姉さんがやってくる以前から、わたし達はこの時間を過ごしていたんですから」


「けど、それはあくまで結果でしょ? 私が訊きたいのは、そういう事じゃないの」


「では、他に何があると言うんですか?」



まどかがそう言うと、穂乃果はボソッと小さな声で、



「……悠くんは……どうして、まどかちゃんとお昼を一緒しようと思ったの?」


「流れ断ち切るようで悪いけど、もう少し離れてくれない? 本当に弁当に髪の毛入っちゃいそうだし」



体をめいっぱい近づけられ、隣に座る悠斗が苦言を呈す。


穂乃果は頬を膨らませながら、頭を左右に振った。振り回された髪の毛が悠斗の顔に当たり、ペシペシと音を立てる。



「……それを知る必要があるんですか? いくら姉弟と言えど、そこまで知る権利はお姉さんには無いはずです」


「でも、なんの理由もなく、いきなりそんな事になったりしないよね? 私は私の気持ちを伝えた……手作りのお弁当っていう形に変えて。その上で、私は悠くん自身の気持ちを知りたいの」


「なら、わたしが答えます。ーーわたしと七瀬くんが一緒にいるのは、相手に運命を見出したからです。これも毎日、神社にいってお祈りしていたおかげですね」


「え、まどかちゃんそんな事してたの? めちゃくちゃ信仰心高くてえらいね?」


「ありがとうございます」



穂乃果からの賛辞に、まどかが謙虚に頭を下げる。



「……まぁ、今の説明はともかくとして。別にお姉ちゃんが思ってるような特別な理由はないよ。僕はただ六笠さんの話を聞いて、それを受け入れた。それ以上でも、それ以下でもないから」



穂乃果の無言の抗議によって乱れてしまった前髪を整えながら、悠斗がそう補足する。


十分とは到底、思えない説明。だが今の穂乃果にとって、気にするべき案件は別にあった。



(悠くんが前髪整える姿、チョーかわいい……。一生見てられる……)



予期せぬカウンターを食らい、硬直する穂乃果。


そんな停滞する状況の中ーー



「……なにこれ? 今、どういう状況なの具体的に」



疑問を投げかける声。


悠斗とまどかが声のした方を向くと、そこには見知った顔が立っていた。



「あなたはお姉ちゃんの。えーっと、名前は……」


「自己紹介してなかったっけそういえば。あたしは……いや、別に名字はいっか。穂乃果も下の名前で呼んでるから、そっちも気軽に『彩』って呼んでくれていいよ」



気さくな態度でそう返すと、彩は歩みを進め、穂乃果の前に立つ。


腰をかがめた後、その顔を凝視すると。



「……不安だったから様子見に来たけど、これはちょい想定外すぎるね。おーい、穂乃果ー? こっちに戻っておいでー?」


「はっ。あれ、なぜか彩ちゃんの姿が見える……? もしかして幽霊?」


「勝手にころすなってーの」



ピンポン球がはねるような音が聞こえると同時、穂乃果が一瞬、目をつむる。


そしてデコピンを食らったおでこを押さえながら、彩の目をまっすぐに見返した。



「いたた……えっ、やっぱり本物? 私が作り出した幻影とかでもなくて?」


「どんだけ怪しんでんの。本当は邪魔するつもりなかったんだけど一応、責務は果たさなきゃと思って。背中を押した張本人としてさ」



そう言って、彩が視線を動かす。


横一列に並ぶ、悠斗と六笠の姿。片方は信頼、そしてもう片方はどこか探るような目でこちらを見つめていた。



「……どうやら、状況は進展してないみたいだね。これは様子を見に来て正解だったかな、やっぱり」



そう呟く彩に、穂乃果はわけがわからないといった様子で首を横に傾ける。



「進展してないってどういう事、彩ちゃん?」


「穂乃果の事だから、ああ言ったところでまともに話が進んでないって予想したの。まぁ、杞憂だと思いたかった節はあるけどね」


「そっか……ごめんね、色々と心配かけちゃったみたいで」



当初の目的を見失いつつあった穂乃果だったが、いきなりの親友の介入により、徐々に意識が定まりつつあった。


そんな穂乃果たちを見て、



「……それで、彩先輩はなんの用でここに来られたのですか? 見たところ手ぶらのようですし、お昼に混ざるためではないようですが」



まどかが訝しげな視線を向ける。


彩は不快さを微塵も匂わせることなく、まどかの視線に真正面から向き合った。



「だから見に来たんだって様子を。単にアドバイスしただけじゃ、務めを果たしたとは言えないでしょ。そうしたからには、多少なりとも進展が無くちゃね」


「進展……それはお姉さんと七瀬くんの関係の事ですか?」


「ううん、あなたとの関係」



彩は矢のような視線でまどかを射抜く。



「穂乃果はあなたを良い子だと思っているみたいだけど、あたしはそうは思わない。その上で訊くけどーーあなたは、弟くんとどうなりたいの?」


「七瀬くんと、本当の意味で心を通じ合わせたいと思っています。逆に、それ以外になにがあるんですか?」


「そっか。まぁ、その目を見るかぎり本当なんだろうけど……でも、実際のところ、それはの事を言ってるの?」



まどかの眉がぴくりと動く。


ほんのわずかな動揺。だが、それに気づいたのはーーまどか本人ではなく、言葉を投げかけた彩の方で。



「……質問の意味がわかりません。もし揚げ足を取ろうと思っているなら、意地が悪いです」


「まぁ、それはそうだけど。別にあたしも、そこまで高度な尋問テクは披露してないつもりだしね。だからこれはただの確認」



ドライな態度を崩さない彩に、まどかはなにか言いたげな様子だった。


しかし、その雰囲気をまるごと押し流すようにして、穂乃果は彩に詰め寄っていく。



「いや、二人がなに話してるのか全然わからないよ? 私にもわかるように説明してよ」


「それが難しいから、あたしも困ってるんだけど……。というかそれもだけど、ここに来たのは別の理由もあるから」


「別の理由って?」


「その前にまず、弟くんに確認なんだけど」



急に対象が変わり、悠斗の頭にクエスチョンマークが浮かぶ。



「最近、クラスの委員長決めたよね。本当はもっと早く決めるはずだったのに、誰も手を上げないからずっと曖昧になってた。でも、今になってようやく決める事になったって」


「たしかにそれは間違いないですが……」


「で、その時、弟くんは自ら挙手したって聞いたけど」


「……はい、それも間違いありません」



悠斗が肯定する。


それを確認した後、



「そして、そこにあなた……まどかさんも同調して手を挙げた。それで合ってる?」



詰め寄るようにそう言って、彩はまどかの方に顔を向ける。



「はい、合っています」


「なるほどね。じゃあやっぱり、その理由で間違いないのかな」


「どういう事彩ちゃん?」



自らのあごをさする彩に、穂乃果が問いかける。


そして、真相にたどり着いた警察官のような口ぶりで。



「簡単な話だよ。ーー二人は揃って、クラスの委員長になった。そうする事で、昼一緒にいてもおかしく思われないためにね」


「委員長……? でも、どうして? 今さら委員長になったところで、二人が一緒にいるのは別に不思議でもなんでもないのに」


「あくまで、それはきっかけに過ぎないんじゃないかな。穂乃果だって、なにかと向き合う時は心の準備が必要でしょ? だから、委員長っていう状況を選んだんだと思う。お互い、相手に真面目に向き合うためにね」


「そうなの悠くん?」



悠斗が首を縦に振る。


その動作は緩慢で、しかし間違いなく肯定を表すかのような、そんな意味合いが込められているように見えた。



「……いや、別に隠すつもりはなかったんだけど……でも、言うには少し恥ずかしいなって思って。なんか、すごく回りくどいことしてるし」


「なに言ってるの、私は悠くんのお姉ちゃんなんだよ!? たとえ悠くんが委員長になろうがおねしょしようが、そんなの全部まるっと受け止めてみせるのに!」


「受け止める以前に、まずプライベートな情報を臆面もなく披露するのやめてほしいんだけど」



姉弟のいざこざを、彩は冷静な面持ちで見つめる。


こうなるのは、最初からわかっていた事だった。いくら言葉を選んだところで、誰もが納得する形に話を持っていく事はできない。


無数の『思い』が入り乱れる以上、そうなるのは必定なのだから。



「……まさか、それを突き止めるなんて。さすがはお姉さんのお友達と言ったところでしょうか」


「と言っても、どうしてそこまでする必要があったのかはわからずじまいだけどね。でもまぁ、こうした方がお互い、腹を割って話せるってもんでしょ」


「そうですね。七瀬くんを取り合う以上は、わたしもお姉さんと対等でいたいですから」


「それに穂乃果って、「あ、あそこにUFOが!」って言っても信じるくらい天然だし。こっちから歩み寄るくらいじゃないと、戦うにしても面白くないよ。お互いが対等だからこそ成り立つ事だからね、気持ちをぶつけ合うっていうのは」


「……深いですね」



感心しながら、まどかが俯き加減にそう呟く。



「天然っていうのはよくわかんないけど……ようするに、彩ちゃんは私にその事実を伝えたかったって事?」


「なにもかもは無理だけど、せめて親友として場を整えるくらいはね。なのに弟くんを見てトリップしてるなんて、さすがのあたしも呆れる他ないよ」


「それは……うん、ごめんなさい。でも、悠くんって本当に一挙手一投足がキューティクルさの塊で……」


「気持ちが昂まりすぎて、逆に変な言葉になってるよ。ともかく、それを理解した上で、穂乃果もちゃんと彼女と向き合いなよ? じゃっ、あたしは退散するから」



彩の背中が、徐々に遠くなっていく。


まるで蜃気楼が晴れた後のように。実像を伴った第三者の襲来は、こうして終わりを告げたのだった。



「……ところで悠くん、本当にお弁当二つ食べれるの? もし無理なら、私も手伝うよ?」


「実はそろそろ限界まで来てる。でも、せっかく二人が作ってくれたんだし、ちゃんと全部食べるよ」


「はぁぁ……! 悠くんマジ天使だわい! どうしよ、また飛んじゃいそう……。ツラくて死んじゃう……」



またもや始まる姉弟同士のやり取り。


その光景をどこか遠くに感じながらも、まどかはすでにいなくなった彩の背中を、最後まで目端で追っていた。

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