第15話 約束

湿っぽい気候に、刺さるような陽光が混じりはじめた7月後半。


帰りのHRが終わったと同時、教室内は喧騒に包まれた。



「ひゅー! 明日から夏休みだ! なにして遊ぶ、とりあえず海とか?」


「それもいいけど、まずは宿題終わらせてからの方がいいんじゃない? 明日、うちに集まって皆でやる?」



教室内では早速、明日からはじまる夏休みのスケジュール決めがあちこちで行われていた。


終業式の時点で浮き足立っていた生徒はいたが、今はその比ではない。たとえ口にしなくても、大多数の生徒は、長期の休みをどう過ごすかという思考にすでに切り替わっていた。


そんな雰囲気の中。



「……あの、七瀬くん。今日この後、少し時間ありますか?」



まどかが席に近づき、そう声をかける。


悠斗はいつものような中性的な顔で、席に座ったまま、まどかの方を見上げた。



「うん、あるけど。なにか用事でもあった?」


「用事と言いますか……今日は早く学校が終わってしまったので、その埋め合わせをしようかと。明日から夏休みに入りますし」


「ああ、そういう事か……。なら少し待ってて、すぐ帰る準備するから。ちなみに、お姉ちゃんは呼んだ方がいい?」


「その質問は訊くだけムダというやつです」



「だよね」と言って、悠斗が準備に取り掛かる。


そしてカバンを手にすると、二人並んで教室を出た。校舎を出ると、そのまま足をゆるめる事なく校門を抜けていく。



「……あれ? てっきり裏庭にでもいくかと思ったんだけど、違うんだ?」


「学校が終わったのに、わざわざ校内で話をするメリットはありませんから。ここは帰路につきがてら、どこかカフェにでも寄りましょう」



大通りを抜け、人の流れに沿ってひたすら歩く。


うだるような暑さとまではいかないが、それでも十分に気温は高い。顔が熱を持ちはじめ、額から自然と汗が流れ落ちる。



「……最近は前以上に暑くなってきましたね。こんな暑さだと、外を歩くのも億劫になりそうです」



まどかはハンカチで悠斗の汗を拭くと、目を細めながら開いた空を見上げた。



「そうだね。ところで六笠さん、今僕の汗拭くのに使ったのって……」


「はい、あの時七瀬くんに拾ってもらった物です」



まどかはそう言って、手にしていたハンカチを悠斗に見せつける。



「それ、まだ持ち歩いてたんだ。一度落とした物だし、てっきり新しいのに変えたのかと思ってたんだけど」


「そんな事するはずがありません。ここには七瀬くんとの出会いのきっかけが詰まっているんです。もし取り替えようものなら、その時は自らの首をかき切ってしまうかもしれません」


「そんな命に関わる凡ミスはやめてほしい」



ハンカチをカバンの中にしまうと、まどかは悠斗を導くようにして、近くの日影へと移動する。


なるべく日影が続くような道を選び、やがてカフェにたどり着いた。扉を抜けた瞬間、強い冷気が二人の全身を包む。



「はぁ、生き返る……。暑いのはイヤだけど、こういう時ばかりはそれもいいかなって思っちゃうよね」


「人というのは、やはり苦難を越えた先にある物を求めてしまうのでしょう。寒い時期に温泉に入るとの同じですね」



席に着くと、二人の前に水の入ったコップが置かれる。


注文を伝え、店員が去るのを確認すると、悠斗は水分を摂取するためにコップに口をつけた。


まどかはその様子を見ながら、



「では早速、明日の予定ですが……とりあえず、七瀬くんの家にいってもいいですか?」



むせた。


悠斗は紙ナプキンで口元を抑えると、次いで困惑の声を漏らす。



「ゴホッ、ゴホッ……え、ちょっと待って、どうしていきなりそんな話に?」


「いきなりもなにも、教室で言ったじゃないですか。明日から夏休みに入ってしまうと。だから、七瀬くんの家にお邪魔しようかと思いまして」


「いや、その前に昼休みの埋め合わせって言ってたよね? だから、こうしてゆっくり話すためにカフェ来たんじゃないの?」


「そうです。ーーそして、カフェに寄って明日の予定を提案してみました。これぞまさに一石二鳥というやつですね。道中、七瀬くんの汗も摂取できましたし、二鳥どころか千の鳥も落とす勢いです」


「あらぬ誤解を受けそうな言い方!?」



悠斗の狼狽っぷりに、まどかが声を漏らして笑う。まるでいたずらっ子が、好きな子にちょっかいをかけるみたいに。



「……前から思ってたけど、六笠さんってわりとSっ気あるよね」


「いえ、別に七瀬くんをいじめるのが楽しいとかではありません。むしろ、七瀬くんが困っているのを見ると、心臓が締めつけられたみたいに苦しくなります」


「でも、そんな風には微塵も思えないんだけど」


「もっと正確に言えば、わたし以外で困っている七瀬くんを見ると、です。そんなのは好きな人が目の前で拷問されているのを見るのと同じですからね。断じて許せません」



完全に自分本位だった。


そうしていると、注文した品が目の前に運ばれてくる。鮮やかなグリーン一色で染められた縦に長いコップ。


下から上にのぼっていく炭酸の泡がてっぺんのアイスに当たり、その都度、弾けては消えていく。



「写真ではわかりませんでしたが、こうして実際に見ると、中々に立派なクリームソーダですね。このアイスなんて、まさに『あーん』をするために置かれたようなものではないですか?」


「いや、同じ物頼んでるんだから、『あーん』する必要もないと思うけど」


「すみません、今の発言は聞こえませんでした」


「謝った上で聞こえないって言ってくるとか、そもそも会話として前代未聞だよ」



まどかはアイスをスプーンですくうと、それを悠斗の目の前に差し出す。


仕方なく口を開けると、鼻を通るような甘味とひんやりとした感覚が口の中いっぱいに広がった。


悠斗は味わうようにしてそれを咀嚼すると、



「もぐもぐ……それで、さっきの話は本気なの?」



と言って、あらためてまどかに視線をぶつけた。



「家にお邪魔するという話ですか? はい、もちろん本気ですが」


「でもさ、さすがに家に来るとなると、僕も心の準備が必要になるというか……。いや、別にやましい事をするつもりはないんだけど」


「七瀬くん、既成事実という言葉を知っていますか?」


「どうしてこのタイミングでその質問?」


「いえ、別に他意はないですが」



明らかに他意のありそうな顔だった。



「そもそも、夏休みだからって家に来る必要はないと思うんだよね。仮に会うにしても、今みたいにカフェとかでいい気がするし」


「まるで二股している時の行動みたいですね」


「いや、だから僕、誰とも付き合ってないんだけど」



念を押して言う悠斗だったが、まどかはそれを気にも留めていない様子だった。


いやーー正確には理解している。だが悠斗にそう言われると、まるで自分という存在が希薄になっていくかのようで。


この必死さもまた、六笠まどかという存在を浮かび上がらせるための一つの手段。


過去から現在いまに続く、決して変わることのない、変えることができない事実だから。



「なるほど。つまり、七瀬くんは付き合ってもいない相手を家に上げるのに抵抗があると」


「かと言って、六笠さんと付き合うのはまた別の話だから。前にそう言ったはずだよ。クラスメイトとして、六笠さんの傍にはいるけどさ」


「そんな嬉しい事を言われたら、ドキドキが止まらなくなってしまいます。既成事実のためにも、これはなにがなんでも家に家にいかないといけませんね。どうでしょう?」


「この流れでオッケー出したら、僕の方がヤバイ人みたいなんだけど」



悠斗の困り顔を見て、まどかが朗らかに笑う。


姉弟とは違う、秘密を共有するクラスメイト同士のやり取り。そんな関係を嬉しく思いながら、まどかは自らの鼓動をより強めるのだった。

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