第7話 宣言

放課後。重い体を引きずりながら、校舎の階段を下りる。


まだ月曜日だというのに、どうにも疲れが抜けきらない。


休日に外出したのも理由としてはあるが、他にも考えられる要因がある。



(結局、今日も教室来なかったな。六笠さんも今日はあまり話しかけてこなかったし……それはそれで調子狂うな)



すっかり習慣じみた穂乃果の訪問、そしてまどかとの会話。


それが無いだけで、こうも不安になるとは思わなかった。決して寂しいというわけでなく、二人がアクションを起こさない事を悠斗は不穏に思っていた。


つまりは緊張疲れ。そんな一日を過ごし、ようやく帰路につこうとしていた悠斗は、しかし。



「……あれ、お姉ちゃん?」


「あ、やっほー悠くん。待ってたよ」



そう言って、校門近くに立っていた穂乃果がこちらに駆け寄ってくる。



「どうしたの? 教室来なかったし、連絡も無かったから、てっきり先に帰ったと思ってたのに」


「うん、そうしようと思ったんだけど……どうしても悠くんと帰りたくなって。本当は教室にもいきたかったんだけど、やっぱりまだ少し早いかなって」


「正直、来たら来たでなんとかなると思うけど。実際、六笠さんは普通に話しかけてきてるし」


「なにそれ、ああ見えてメンタルお化けなの? でも、それだけ悠くんに本気って事だよね。すごいなぁ」



感心するように、穂乃果が笑みを浮かべる。


まるで他人事のようだが、その物言いはどこかまどかの事を羨やんでいるようにも見えた。



「……あ、そうだ。いきなりだけど、お姉ちゃんってなにか好きな物とかある?」



家に向かう道すがら、悠斗が穂乃果に問う。


前振りも無しに訊いたせいか、穂乃果は不思議そうに首を傾げた。



「好きな物? どうしたの急に?」


「いや、なんかふと気になって。ただの世間話みたいなものだから気にしないで」



勝にああ言った以上、約束を反故にするわけにもいかない。


だが、質問があまりに急だった事を、悠斗は言ってから後悔した。これまで、穂乃果とそういった話をあまりした事がなかったからだろうか。気恥ずかしさが募る。



「そうだなぁ……将来、悠くんが会社から疲れて帰ってきた時にどう元気づけるかのシミュレーションとか?」


「時期尚早にもほどがある上に、それは物じゃないと思うんだけど」


「なら『悠くん』って答えになっちゃうんだけど、それは違うんでしょ? 大体、二十歳はたちを越えてからの時間の流れは早いんだよ? いつかそうなる日が、すぐ近くまで迫ってるのをちゃんと自覚しなきゃ」


「まだ十代のお姉ちゃんに言われてもあまり説得力ないかな……まぁいいや。今の話は忘れて」



ツッコミを入れながら、今の質問は無駄だったと悠斗は気づく。


結局のところ、穂乃果の『好き』は全て弟だけに向けられているのだ。よって、一般的な趣味嗜好を期待するのは間違いというもの。


勝の脅しが現実になる未来が見えて、背筋がうすら寒くなった時だった。



「……」


「? どうしたの、急に立ち止まったりして」



不意に穂乃果が、根を張ったようにその場から動かなくなる。


横断歩道が赤に変わり、同じく停止せざるを得なくなった悠斗は、不思議に思って穂乃果の方を振り向いた。



「あのねっ、悠くん。私……悠くんに伝えないといけない事があるの」



胸に手を当てながら、穂乃果がこちらを向く。


その表情からは、なにかを決意したような、そんな真剣さがうかがい知れた。



「伝えないといけない事?」


「一度聞いたかもしれないけど、もう一度、きっちり顔を見て言っておきたくて。でもいざ悠くんの顔を見たら、マトモでいられなくなっちゃって……こう見えて、私って結構、メンタル弱いんだよね」


「その発言には強く異議を申し立てたいけど。というか、一度聞いたって?」


「私と出かけた日の晩、悠くんの部屋の前で言ったでしょ?」


「もしかして、それってお風呂入った後? なら普通に寝てたけど」


「…………」



呆気に取られたように、穂乃果は沈黙する。


そして、顔を地面に向けると、聞き取れないくらい小さな声でつぶやいた。



「……なるから」


「へ?」


「私、悠くんと……ただの姉弟じゃなくなるからっ! それが言いたかった事!」


「ごめん、意味わかんない。ただの姉弟じゃなくなるって、具体的には?」



穂乃果はまるで告白でもするような淡い眼差しで、



「もっと仲の良い姉弟になって、ずっと悠くんと一緒にいる。フォーエバーブラザーコンプレックス、略してフォザコンだよ」



そんな心底、意味のわからない事を言ってのけた。



「ええ……」



ただただ呆れてしまう。


いつもとは違う姉の言動に、違和感を覚えたのは事実だ。だが、その理由がまさかこれだったとは。予想できないにも程がある。



「あの子……まどかちゃんと関わって気づいたの。私、やっぱりあの子に負けたくない。悠くんの傍にいるのは自分なんだって。そのために、私は悠くんとの『好き』をもっと深める事にしたの」


「でも、ずっと一緒っていうのは無理なんじゃない? 学生のうちはともかく、きっと社会に出たら自然とそうなっていくだろうし」


「そうはならないよ。そのために、最近はお互い大人になった時を想定して、妄想に励んでるんだから」


「方法が斜め上すぎる」



なにもかも想定外。


なにもかも完璧な穂乃果は、やはり弟相手には完璧ではいられなかったらしい。頭を抱える悠斗。



「ーーふふっ、なんだか世界の見え方変わっちゃったかも。もっと早くそう思えたらよかったのになぁ……現実を受け止めるには、私はまだまだ子供だったって事だね」


「お姉ちゃんが子供なら、自分はどうなるのさ」


「悠くんも私と同じだよ。そしてーー私たちは二人そろってようやく大人になるの。現実を受け止められる大人にね」



その言葉を聞いた瞬間。悠斗の脳内に、いつかの記憶が呼び起こされる。


体と共に、心まで覆うような暖かい感触。冷たくなった肉親を目の前にして、ずっと一緒だと約束したあの日。


それを実現させるために、彼女は今一度、大人になろうとしている。だがそうするためには、弟という存在が傍にいなければならない。


この先、どんな理不尽な現実が待ち受けていようとも。それさえあれば、きっとなんとかできると信じているから。



「……でも、今のままだと、わりと六笠さんに押される気してならないんだよね」


「悠くん、押しに弱いもんね。もし恋愛漫画のキャラなら、一話も経たないうちに主人公に落とされるタイプだよ」


「漫画みたいな世界はわりとなんでもありだから、一概にそうとは言い切れないけど」



肯定すると、なんだか負けた気がするので曖昧にそう答える。


横断歩道を渡りきった穂乃果がこちらを振り向く。


そして、未だ静止したままの悠斗に向けて、明るい声色で言った。



「でも、悠くんは優しいから、なにがあっても相手と向き合い続けるんじゃないかな。それこそ主人公の器だよね、見た目はこんなにかわいいのに」


「それ男にとっては屈辱の褒め言葉だって、今度から知っておいてね」



穂乃果の後に続く形で横断歩道を渡る。


ここ数日、波のように揺らいでいた穂乃果の本心。嫉妬から始まり、デートを経て、そして最終的にはこうなった。


そしてーーここから、奇妙な三角関係はさらに苛烈さを極めていくのだった。

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