第6話 予兆

「そういえば、まだ自己紹介をしていませんでしたね。わたしは六笠まどかと言います。七瀬くんのクラスメイトで、七瀬くんの全てを独占したいと思っています」


「私は七瀬穂乃果と言います。悠くんの姉で、悠くんの全てを独占している者です」


「勝手にありもしない事実付け加えないで」



こちらのツッコミにも、穂乃果は一切反応を見せない。


見えているのは目の前の敵だけで、その態度を隠そうともしない。肌を撫でるピリピリとした空気。


そんな一触即発の状況の中ーーやがて、まどかが小さく呟いた。



「……やはり、話し合いで解決はムリそうですね。お姉さんとは真正面からぶつかるしかないみたいです」



そう言って、まどかは席を立つ。


突然の退席に、二人の間を渡る導火線の火が消えていく。まるで、バケツに入った水を上から勢いよくかけたかのように。



「あれ? 六笠さん、帰るの?」


「はい、今日のところはそうします。七瀬くんに言いたい事も言えましたし、お姉さんと話す事もできたので」


「そっか。じゃあ、また学校でね」


「はい。では失礼します、七瀬くん……それにお姉さんも」



カバンを肩にかけ、まどかが席を離れていく。


そのまま店から出ていくのを確認すると、穂乃果は不思議そうに首を傾けた。



「悠くんに言いたい事……? もしかして、あの子になにか言われたの?」


「うん。夏休みが終わるまでに、僕と付き合うって」


「……へ~〜~そっか〜〜〜。そうなんだ~~~ほ~~~ん」


「その相槌なんかムカつくからやめて」






その夜。自室に戻った瞬間、肺から空気を押し出すようにして悠斗は深くため息をついた。



「はー……今日は疲れた。結局あの後、色々と連れ回されたし……もう一歩も動けないや」



まどかが帰った後、穂乃果のデートプランは急激な変動を見せた。


コーヒーを一気にあおったかと思うと、早々に店を出て、街を片っ端から見て回る。その行為は、明らかに嫉妬心から来るもので。


悠斗はそれを理解しつつも、その衝動に付き合った。だが荷物持ちとしての役目を果たした悠斗は、結果として真っ白に燃え尽きてしまった。


足は小枝に成り果て、指先は動かす気さえ起きない。なんとか夕飯と入浴だけは済ませたが、そのおかげで眠気が限界突破を起こしている。


悠斗はベッドに横たわると、清潔なシーツの匂いに身をゆだねた。


そして、脳がシャットダウンしたところでーー



『……悠くん、ちょっといい?』


「……」



ドア越しに穂乃果の声が聞こえた。しかし、悠斗はすでに睡眠体勢に入っている。


それに気づかないまま、穂乃果はさらに言葉を続けた。



『ごめんね、疲れちゃってるよね。なら、そのままでいいから聞いて? ーー私ね、あの子の言葉を聞いてあらためて考えたの。私と悠くんの、これからの関係について』


「……」


『って言っても、私たちは姉弟以外の何者でもないよね……うん、それはわかってる。でもね、それだけじゃダメだって思ったんだ。悠くんを好きな気持ちは、誰にも負けないつもりだから』


「……」


『だからね、決めたの。ただの姉弟じゃない。私は悠くんとーー」







休日が明けて、月曜日。学生としての一週間がまたはじまる。


教室に入ると、いきなり手厚い歓迎が悠斗を出迎えた。



「おう七瀬。ちょいツラ貸せや」


「……ごめん四宮くん。僕、こう見えてあまりお金持ってないんだ」


「誰がカツアゲだよっ!? 用があるから話に付き合えってだけだろうーが!」



立たせた髪を振り乱す勢いで、勝が詰め寄る。傍から見ると完全にカツアゲだったが、どうやらそうではないらしい。


勝は悠斗の首をガシッと掴むと、そのまま階段近くまで移動した。



「あの、とりあえず話する前にカバン置いてきていいかな?」


「いや、すぐ終わるから安心しろ。お前がウソをつかなければすぐ終わる話だ」


「やっぱり僕、お金取られるの? それとも殴られるのかな、だとしたらさすがに抵抗するけど」


「お前は俺をどんだけ凶暴だと思ってるんだ?」



壁際に立たされたこの状況では、どんな言葉を並び立てたところで意味を成さない。


だが、勝はそう思われる事に納得がいかないらしい。



「お前だけじゃない。他のやつらも、俺の事を勘違いしすぎなんだよ。俺は理不尽な暴力がこの世で一番キライなんだ」


「でも、前に殴るぞって言われた気がするんだけど」


「俺がそう言ったって事は、相手に責任があるって事だ」


「なにそれ、新手のジャイアニズム?」



完全に自分本位の理屈だった。


勝は頭の後ろをかくと、一転して遠慮がちな態度で訊いてくる。



「……七瀬先輩って、好きな物とかあるか?」


「好きな物って?」


「そのままの意味だよ。なんなら趣味とかでもいい。できるだけ詳細に教えてくれ」


「うーん……」



声を出して悠斗が悩む。


しばらくそうしていると、しびれを切らしたように勝は眉をひそめた。



「なんだよ、そんなに悩む必要があるのか? 弟ならそういうのわかるはずだろ?」


「そうなんだけど……とっさに思いつくのって、一つしかないんだよね」


「なんだよそれ」


「僕」


「は? どういう意味だ?」


「お姉ちゃん、僕以外に興味あるとこ見たことないから」


「お前、やっぱり一度殴られとくか?」



蛇もにらみ殺すような視線だった。



「本当にそうだから仕方ないよ。あ、でも強いて言うなら、甘い物全般は好きかな」


「ざっくりしすぎだろ。そんなんだと、なに渡せばいいかわからなくなるじゃねーか……」


「四宮くん、お姉ちゃんになにか送るつもりなの?」


「……それで七瀬先輩が少しでも元気になるなら」


「ヤバ、今ちょっとキュンとしたかも」


「お前にキュンとされても嬉しくねーよ」



首元を押さえながら、勝が呆れた顔をする。どうやら、望んだ答えが手に入らずイライラしているらしい。


だが、他に答えが浮かばないのも事実。同情を覚えそうになるが、その原因は間違いなくこちらにあるのだ。



「……わかった。なら僕が直接、お姉ちゃんに訊いておくよ」


「でも結局、答えは変わらないんだろ。なら意味ねえじゃねーか」


「いや案外、姉弟だからこそ知らない事も多いんだよ。僕がそう思ってるだけで、もしかしたら他にあるのかもしれないし」



こちらの言葉を、勝はあまり信用していない様子だった。


しかし、やがて納得したように寄せていた眉を元に戻すと、こちらの肩にポン、と手を置いてくる。



「……もしなにも聞き出せなかったら、その時は豚小屋でキャンプさせてやるから覚悟しろよ」


「脅しが微妙に想像しづらい」



用は済んだとばかりに、勝は教室に戻っていく。


その後を追う形で教室に入ると、HR開始を告げるチャイムが鳴った。



「てかお前、こんなギリギリじゃなくて余裕持って学校来いよ。遅刻しても知らねーぞ」



勝からの優等生じみた忠告を受けて、「そうだね」としか返せない悠斗だった。

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