第23話 お風呂
「……うん、なんかごめん。断られたのに、結局こうなっちゃって」
「まぁ、実際こっちの方が効率的ですからね。ここは自分の家ではないですから、こうなるのもやむなしです」
浴槽の中で向かい合う形で、二人が言葉を交わす。
だが、警戒が完全に解かれる事はなく。彩の謝罪の言葉を聞いても、まどかは石像のように微動だにしなかった。
「お風呂って不思議な空間だよね、なんか」
「どういう意味ですか?」
「裸になってるからかな……気持ちに余裕が出ちゃうというか。裸の付き合いって言葉もある事だし、やっぱそういうのあるのかな」
「わたしは全くそんな風に感じません。きっとそれは、彩先輩にあんな事を言われなかったとしても同じだったでしょうね。前からあなたの事は警戒していましたし」
「そんなにハッキリ言われると、さすがに傷つくなー……まぁ、そこはお互い様か。あたしも案外、まだ子供って事だね」
「彩先輩の年齢を考えれば、子供なのは仕方ないことだと思いますが」
まどかがそう指摘すると、彩はチッチッチ、と指を左右に振る。
「あたしは大人じゃなくちゃいけないの。穂乃果が子供っぽいからってわけじゃないよ? これはあたしの、昔からの考えでね」
「いえ、別に聞いていませんが」
「ううん、言わせてもらう。せっかくの機会だし、こういうのはタイミングが大事だから。同じだね、告白なんかと」
「……そうですか」
押しに押され、話を聞く他無くなってしまう。
膝を抱え、さらに距離を取ったうえで、まどかは彩の話の続きを待った。
「あたしはね、昔から誰かに必要とされることが多かった。頼られやすいっていうのかな。皆困ったら、こぞってこっちにやって来てさ」
「それは……なんとなくわかります。彩先輩、そういう雰囲気ありますし」
「それに自分で言うのもなんだけど、かなりモテるし。まぁ、なぜか同性ばかりにだけど」
「それもわかります。彩先輩、見た目だけはいいですもんね」
「それって褒められてるの? なんか微妙に貶されてる気もするんだけど」
首を傾ける彩を見て、まどかはため息をついた。
モテる要素を絶えず発揮しているその相手に、好意どころか嫌気すら差してしまう。きっと、彼女とはこれから先も相容れない。
思わず、そんな確信を抱いてしまうほどに。
「それで……今の話は大人じゃないといけない、というのとなんの関係があるんですか?」
「つまりね、あたしにとってはそれが当たり前だったの。だから、あたしは大人になるしかなかった。そうしないと、近づいてきたその誰かに失望されちゃうから」
「それは仕方なく、という理由の方が強いのではないですか?」
「そうだね。ーーでも、人ってなにかのきっかけで考えが変わる時があるでしょ? あたしの場合は、それが高校に入学した時だった」
「……お姉さんの事ですね」
「うん、同じクラスで弟大好きな同級生に出会ってね。その子があたしを頼ってくれるなら、それを受け止めて、それ以上のものをこっちから与えてあげたいと思ったの。それが理由、あたしが大人である事の」
「……」
まどかはのぼせかけた頭で、彩の言葉を黙って聞いていた。
これまで見せてきた我関せずといった姿勢は、彩の本心ではなかった。誰かのために行動する事をモットーとし、最後には混沌渦巻く戦場へと自ら介入する。
つまるところ、自己犠牲の極致。
大人としての役割を全うしようとする彼女の姿は、まるで年相応さを丸ごとかなぐり捨てたかのようで。
「あなたが今、なにを考えてるか当ててあげようか。それだけがんばっても、あたしはまだ大人になりきれてないって言いたいんでしょ?」
「いえ、そんな事は……」
「ううん、これはあたし自身もわかってる事だから。さっき言った事を完璧に実践して、それで初めて大人って事なんだよね。与える方はまだヘタクソだからさ、あたしの場合」
「本当の大人でも、それを完璧に実践できている人はいません。どちらか片方だけでもできていれば、それは立派な子供からの脱却と言えます」
「でも、それであの子……四宮くんだっけ? 彼は失恋しちゃったわけだし。もし穂乃果の気持ちを受け止めきれていれば、叫びながら家を飛び出すなんてことはしなかっただろうね。そうしたって事は、やっぱり彼もあたしもまだ子供って事だよ」
自嘲的に言う彩。
ここに来る前、『今は吹っ切れた気持ちがある』と勝は言っていた。それはフラれたという事実を受け止めたという事で、大人になる条件を両方とも達成したという事にもなる。
それなのに、どうしてーー
「ーーだけど……あなたは大人でも子供でもない。もっとずっと前から、時間が止まってるみたい。だから、誰かの気持ちに寄り添う事ができるし、時に反発する事だってあるのかもね。磁石みたいなものだよ」
思っていた事はたくさんあったのに。反論も喉元まで出かかっていたのに。その言葉を聞いた瞬間、それ以上なにも言えなくなってしまう。
そんな風に湯船に視線を落とす姿を見て、ふと彩が控えめな笑みをこぼす。
「なにがおかしいんですか?」
一転して、不快感をあらわにする。
その反応に、彩は「ごめんごめん」と謝りながら、開いた手を前に突き出してきた。
「別にあなたが思ってるような笑いじゃないの。なんというか……もっとクールな子だと思ってたから。さっきの反論もそうだけど、まどかさんって案外、わかりやすい性格してるんだね」
「……やっぱりわたし、彩先輩の事、好きになれそうにありません」
「うん、それは知ってる」
彩は浴槽から上がると、イスに座ってシャワーの蛇口を回す。
そして、徐々に勢いを強めていく水圧を左手で受けながら、空いた右手をクイクイッ、とまどかの方に向けて小さく動かした。
「ずっと湯船に浸かったままじゃ、いい加減ツラいでしょ? ほらおいで、髪の毛流してあげる」
「絶対イヤです」
「それ茹でダコみたいに顔真っ赤にしながら言うセリフじゃないよ。そのままだと本当にのぼせちゃうし、いいからほら」
腕を引っ張り、半ば無理やり浴槽から引き上げると、彩はまどかをイスの上に座らせる。
曲げた膝を地面につけ、シャワーを装備する彩。
それを見て、まどかは諦めたように背中を丸めた。
「……キレイな髪。これがあったら、あたしも今頃、胸キュンするような恋愛ができてたのかな。いや、伸ばせばワンチャンあるか?」
「わたしもそれほど長くないですし、彩先輩もまだ諦めるには早いと思いますが」
「そうかな……いや、やっぱり無理だと思う。あたしの気持ちはもう、そういうのとは遠いところにいっちゃったから」
そう呟いて、彩は同年代の女子にしては細すぎるまどかの首筋に、そっとシャワーを当てる。
その時間はとても屈辱的で。けれど知らず涙が出てしまうようなーーそんな当たり前じゃないもので満たされていた。
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