第41話 プロローグとエピローグ
高低差のある席から、遥か下の教壇を眺める。
まるで子守唄のような先生の声。ふと周りを見ると、船を漕ぎかけている生徒を何人か見つけた。
授業中に眠気が襲うのはわりとありがちな事であり、悠斗もその一人だった。しかし、カーテンから漏れ出た陽の光が顔に触れたおかげで、なんとか目を覚ますことに成功する。
耳に入る遠くからの喧騒。あの時と同じ、ずっとそこにいたくなるような暖かみ。
だが、その心地よさに身を委ねるわけにはいかない。ーー大学生という、すでに子供の枠から外れている存在になったのならば。
「はい、じゃあ今日はこの辺で……あ、そうだ。課題の提出、来週までだぞー。なるべく急げよ」
先生がそう告げると、教室中から嘆きの声が漏れる。そこに混ざるようにしてため息をつくと、悠斗は席を立ち、足早に教室を出た。
と、それと同時に、ポケットに入れていた携帯が小さく振動する。
「もしもし? ああ、うん、今終わったとこだけど……」
携帯を耳に当てながら、長い廊下を一心に進む。
目的地はすでに決まっている。本来ならこのまま帰路につくところだが、電話に出た以上、そういうわけにもいかない。
施設内を進み、開け放たれた入り口を抜けると、一気に開けた場所に出た。
高校の時とは違う、どこか仰々しさが漂う場所。学生が往来する広場を抜け、時計台の方へと足を進めていく。
と、やがて。
「あ、やっほー悠くん。待ってたよ」
「……いや、むしろなんで待ってるのさ」
私服姿のままヒラヒラと手を振る穂乃果に、悠斗は呆れた表情を向ける。
「今日は一緒に帰ろうって今朝、家でそう言ったじゃん。あれ、言ってなかったっけ? どうだろ?」
「なんでそこ曖昧なの。まぁ、たしかに言ってたけどさ」
「じゃあ、なにもおかしな事なんてないよ。ほら、じゃあ早く帰ろ。いつまでもここいたら、また声かけられちゃうし」
「声って?」
「勧誘だよ、サークルの」
穂乃果はめんどくさそうに、両手を大きく上に伸ばす。
白のトップスと濃紺のボトムス。ただの軽装であるにも関わらず、その組み合わせは本来、穂乃果から最も遠い清楚な雰囲気を、彼女自身から引き出すことに成功していた。
事実、先ほどから学生たちが、通り過ぎるたびに穂乃果をチラ見している。その隣にいる、冴えない弟の事はスルーして。
「あーあ……もう大学入って一年経つのに、いい加減やめてほしいんだけどなぁ。サークル入る気ないって、ずっとそう言ってるのに」
「お姉ちゃんはどうしてか勧誘やまないよね。僕はまだ一年だから、されるのもわかるけど」
「大方、人がいなくて困ってるとかじゃない? 少子化だからね、どのサークルも人員集めに必死なんだよ」
「いや、それは別に少子化とか関係ないと思うけど」
肩を並べて敷地内を歩く。
大学に入って数ヶ月。こうして姉弟で帰路につくのは、さして珍しいことでもない。
それを言えば、こうして同じ大学に通う事になったのもある意味、最初から決められていたようなものだった。
全ては大好きな弟と一緒の大学に通うため。成績を度外視し、家からあまり遠くない大学を選んだ穂乃果の思惑は、こうして無事叶うに至った。
だからと言ってタイミングが合うたびに逐一、帰りを一緒にする必要はないような気もする。
しかし、その冷静な意見が穂乃果の耳を通った事はこれまで一度としてない。
「サークルもそうだし、おまけに次の授業までにレポート提出しなきゃだし。めんどくさい事ばかりで、ほんとイヤになっちゃうなぁ」
「奇遇だね。実は僕もなんだ、こっちはレポートじゃなくて課題だけど」
「そうなの? じゃあ私、手伝おっか? 付きっきりで教えてあげるよ、悠くんの部屋で」
「いざとなったら、四宮くんを頼るからいいよ別に。ていうか、レポートは面倒なのにこっち手伝うのはいいんだ」
「えー」と言いながら、穂乃果が肩を落とす。
悠斗からすれば、それは見慣れた憂いの表情に過ぎない。だが道行く第三者の目には、その表情はひどく
悠斗はさも関係ないと言わんばかりに穂乃果から距離を取ると、携帯を確認する。未読のメッセージを告げる通知。
相手は、今まさに話に出ていた勝からだった。
「……でも悠くん、未だに勝くんと連絡取り合ってるんだね。なんだかビックリだよ、それを言ったら私も彩ちゃんとは学校違っても遊んだりしてるけど」
「まぁ、僕らの場合は仲が良いわけじゃないというか……。二人とも友達多くないから、繋がりが切れないってだけだよ。今送られてきた内容だって、お姉ちゃんの近況訊いてきてるだけだし」
「それを言ったら、私も彩ちゃんと会うたびに悠くんの近況訊かれたりするよ」
「それとこれとは、状況がまた違うと思うんだけど」
勝は未だに穂乃果に未練がある、と言ってしまうのは彼のメンタルにダメージを与える要因となってしまう。
今は無理でも、いつかそうなる日がくればいい。そんな曖昧な希望が正しいと思うのは、自分がかつて同じような立場だったからだ。
「……ふふっ」
その時。穂乃果が立ち止まり、ふと噴き出すような笑いを見せる。
「なに、急に笑ったりして」
「なんか、この流れで昔のこと思い出しちゃって。制服姿で学校にいってた頃とか……病院で悠くんを抱きしめた事とか」
穂乃果は感慨深そうに呟きながら、風になびく髪を手で押さえた。
「でも、制服着てたのってわりと最近だよ。病院の事は、自分も小さい頃だったから、年月を感じるのもわかるけど」
「たしかにそうかもね。でも、私も歳取っちゃったなぁって思えてきて。それで笑っちゃったのもあるかな、私も大人になったって事だよ」
「それを言われたら微妙に肯定しづらいけど……まぁ、昔の事を思い出すっていうのはわかるかな。なにかのきっかけで、そうなる時ってあるよね」
「悠くんもそういう経験があるの?」
「ほら、高一の夏休みに……六笠さんの病院いったじゃん。あそこって、昔行ったあの病院と同じでしょ?」
「……うん、そうだね。で、その病院がどうかしたの?」
穂乃果が訊き返す。
悠斗はそれに応えるようにして、悠然と流れる雲を見上げた。
「それで思い出したんだ。あの瞬間、僕は受け止められる人間になろうと思った。お姉ちゃんとは真逆になろうって。そうすればこの先、なにがあっても、僕らは二人で現実を受け止められる『大人』になれるからーー」
そう呟いた瞬間。校門付近に植えられていた木々が、音を出すようにして強く揺れた。
舞い散る木の葉、顔に当たる一陣の風。閉じた目を再び開き、悠斗は目の前の風景を視界に入れる。
そして、その瞬間。
「全くーー本当に相思相愛な姉弟ですね。わたしを差し置いて、二人で仲を深め合わないでください」
咎めるようなその物言いに、思わず嘆息する。
しかし、表情は穏やかさで満ちていて。それを保ったまま、悠斗は『目の前の見慣れた日常』に軽く抗議を唱えた。
「……相思相愛って言われるのは正直、恥ずかしいからやめてほしいかな」
「実際、その通りなのだから仕方ありません。前から仲が良かったですが、今は絆がより強固になっている気さえします。海外にいって手術を受けている場合ではありませんでしたね」
「いや、それは優先順位を明らかに間違えてると思うけど」
後悔を口にするまどかに、軽くツッコミを入れる。
そんなやり取りを横から眺めながら、穂乃果は得意げな顔で微笑んだ。
「まぁ、悠くんはシスコンで、私はフォザコンだからね。相思相愛なのも仕方ないよ」
「とはいえ、それは認めているだけで別に許容したわけではありませんが」
「それってなにか違いあるの?」
「それは……説明が面倒なのでやめておきます。お姉さんに言っても、また疑問符を浮かべられるのがオチだと思いますし」
「なんかめちゃくちゃ馬鹿にされてない!? 私、これでもまどかちゃんよりは大人なんだけど!?」
「それはともかく、悠斗くんに少し話があるのですが」
ぷんすか怒る穂乃果をスルーし、まどかがそう前置く。
「なに?」
「お二人を見て、あらためて思いました。このままでは私がお姉さんに勝てる見込みは無いと。大学にも通ってない私が、約二年半分の空白を取り戻すには、まずなにがなんでも前進することが大事かと思いまして」
「でも、そんなに急がなくてもいいんじゃないかな? こっちに戻ってきたのも最近なんだし、そんなに焦って行動を起こす必要は……」
「あります。わたしは中途半端はイヤなんです。だからーーこれはそんなわたしの、力ずくの手段に過ぎません。穏やかになったこの心臓の鼓動を、再び強く高鳴らせるための」
その言葉とともに、まどかが悠斗に駆け寄っていく。
そして、背伸びしたかと思うとーーその勢いのまま、強く唇を重ねた。
色素の薄い唇と、やわらかさを兼ね備えた接触。全てがスローモーションの世界で、悠斗はなぜか、幼少の頃の記憶を思い出していた。
病院で穂乃果に抱きしめられる少し前。病室へと向かう途中で、悠斗は一人の女の子とすれ違った。
年齢は同じくらい。血が抜けたように薄い唇と白い肌が印象的なその子は、病院の廊下を自分の家のように歩いていて。その表情は、どこか現実を諦めているようにすら感じられた。
女の子とはそれっきりで、再び顔を合わせる事はなかった。
ーーしかし本人たちの知らないところで、二人は運命的な再会を果たした。
「大好きです、悠斗くん。今までも、そしてこれからもーーお姉さん共々、どうかよろしくお願いしますね?」
「!? いや、それはダメだよ! 悠くんは私の悠くんなんだから! いくら大好きなまどかちゃんでも、それだけは断固認めません!」
(それよりまず、キスされた事に関してツッコミ入れてほしいんだけどなぁ)
自らの運命を見据え、その先にあるものを追い求めた二人。否、三人。
そんな成長過程にある三人のプロローグは、こうして新たな始まりの音を告げた。
平和を打ち破る、打ち上げ花火のような動因とともに。
その七色の光はどこまでも広がり、三人が歩む道を、いつまでも強く照らしていたーー。
ーーFin.
ブラコンでデレデレな姉と病んでるクラスメイトが最後にお互いを認め合うだけの話 ロリじゃない @kuritu
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