第37話 坂上の夜道
街灯の並ぶ夜道を、三人で歩く。
厳密に言えば、まどかは歩いていない。先の提案通り、今は悠斗の背中におぶってもらっている形。
電車ほどではない、心地の良い揺れ。人肌に直に触れ、さらにそれが好意のある相手ならば、鼓動が早くなるのは必然だった。
「……重くないですか?」
「うん、全然。こう見えて僕も男だからね、それに六笠さんはむしろ軽すぎるくらいだし」
「相変わらず、七瀬くんは言葉がお上手ですね。将来はホストになるという選択肢もアリかもしれません。仮にそうなった時は、わたしが一番に七瀬くんを指名しますね」
「そうだね。もし本当にそうなったら、その時はお願いしようかな」
そう言って、軽口を叩き合う二人。
その間に割り込むようにして、穂乃果は悔しそうな声を上げた。まるで、ずっと大事にしていた物を盗られた子供のように。
「そんなのズルいよ、私だって悠くんの初めてになりたいのにっ。なんなら私、シャンパンタワーだって入れちゃうよ?」
「いや、対抗心燃やさなくていいから。あと初めてって言い方は、あらぬ誤解を生みそうだからやめて」
「全く、お姉さんは相変わらずやかましいですね」
そもそも軽口を叩いたのは、パジャマ姿だからという理由もあった。
オシャレの欠片もない服装と、毛先の跳ねた髪。そんな見られたくない姿を見られた末に出た、ごまかす意味合いも兼ねての言動。
そうした事態を引き起こしたのは自分のせいなのだが、悠斗はその軽口に応じてくれた。
穂乃果もそこに加わっているのだが、それに関しては想定の範疇にない。ゆえに、軽く本心を口にするだけで留めておく。
「……そういえば……今これってどこ向かってるの?」
そうして、しばらく歩いた後。意気揚々と歩いていた穂乃果が、唐突に言った。
「てっきり目的地があるのかと思ってたけど、まさかのノープランだったんだね」
「むー、だって仕方ないじゃない。私の頭にあったのは、一刻も早くあの場から離れることだけだったんだから」
「だとしても、ずっと歩いてるわけにもいかないでしょ。でも、僕もこの辺よく知らないからなぁ」
「そうだね。こっちの方は、昔一度来ただけだし……ずっと坂が続いてるって事くらいしか覚えてないや」
先の道を見ても、上り坂は一向に終わりが見えない。
ゆるやかな傾斜と、急な傾斜が繰り返される丘にも似た通道。
ここまでは平気だったが、このまま負担が続くといつか疲れ切ってしまうのは目に見えている。
「……この辺は元々、人通りもあまり多くありません。病院から離れるにしても、ここまで来ればもう大丈夫だと思います」
「でも、なるべく離れた方がいいのも確かだね。六笠さんが病室を抜け出した事が、いつバレるのかもわからないし……」
「別に消息を絶つつもりはありませんから。あまり遠くにいくと、それはそれで困った事態になり得るので」
そう言って、まどかは悠斗の背中から体を離す。
それは地面に降りる事を告げるための合図。驚く悠斗だったが、まどかの気持ちが固いことを察すると、やむを得ずその要望に応じた。
ざらりとした地面の感触。痛痒い感覚が足裏に伝わり、今自分がここに立っているという事実を否応にも突きつける。
「せめて、僕の靴履きなよ。ケガでもしたら大変だし」
「ありがとうございます七瀬くん。でも……このままで構いません。そうしておきたいんです、今ここにいる事を忘れないためにも」
大事な物を抱きとめるように、自らの胸に両手を当てる。
車通りの極端に少ない、坂上の世界。その場所に降り立ち、まどかは自らの気持ちをあらためて語り始めた。
「……さっきは聞けずじまいでしたが、これだけはどうしても知っておきたいです。なぜわたしが病院にいるとわかったのですか?」
「最初から病院にいるって確信があったわけじゃないんだ。六笠さんに連絡がつかないから、家を訪ねてみたけど留守だった。だからその後、色々と聞いて回って……」
「聞いて回った?」
「六笠さんを知ってる人にだよ。昔とか今とか関係なく、ね」
その言葉に、まどかはどこか引っ掛かりのようなものを感じた。
当事者だからこそ気づける違和感。まどかはそれを言葉に変換し、
「しかし、わたしの交友関係は今も昔も狭いはずですが……」
と言って、訝しげな視線を悠斗に向ける。
「僕も思い当たる相手が何人もいたわけじゃないんだ。ーーでも何人かはいた。だから、それだけで十分だった」
「……彩先輩ですか?」
「うん、それも正解」
隠す事なく、悠斗は真実を明かす。
「あとは四宮くんもだけど、なぜか熱中症の対策を聞かされたんだよね。不良っぽく見えるけど、やっぱり四宮くんって優しいんだね」
「それは否定しませんが、今回に限っては情報を間違えていたようですね」
「でも勘違いしてたとはいえ、六笠さんを心配してたのは事実だから。また今度、お礼をしないと……って、僕がそんな事してもきっと拒絶するだろうけど」
「大丈夫です、彼は少し不器用なだけなので。もしお礼をするなら、コンビニでアイスを買うのがいいと思います。それを食べながら話をすれば、きっと今以上に仲良くなれるはずですから」
そんな、実体験を踏まえたアドバイスを投げかける。
すると、沈黙を保っていた穂乃果が、急に独り言のように言った。
「……私が言うのも変だけど……勝くんはすごく優しい子だよ。勝くんが告白してこなかったら、私は今も現実を受け止められないままだっただろうし」
「しかし、そのきっかけはわたしの話とは関係ありません。という事は、あの病院の場所を教えたのは……」
「彩ちゃんだね。正確に言うと、彩ちゃん伝いで知り合ったファンの子かな」
「ファンとは?」
「言葉の通り、彩ちゃんのファンだよ。そして、まどかちゃんの元クラスメイトだった子」
まどかは小首を傾げる。
だがそれも当然だ。まどかにとって、クラスメイトというのはただ目の前を過ぎ去っていく風景に過ぎない。
今の今まで見えていたのに、気づけばすでに見えなくなっている。そんな昼夜の移り変わりのような存在が、どうしてここに来て話の中核に据えられるのだろうか。
「その子がね、話してくれたの。ーー中学の時、まどかちゃんの落とし物を拾って、それを渡すことができなかった。でも、その事を彼女はすごく後悔してるって」
「たしかに、そんな事もあったかもしれません。しかし、今となっては、それはすでに過ぎ去ってしまった過去の一つに過ぎません」
「でも、あの子はそう思ってなかった。今も後悔してるし、あの頃だってまどかちゃんにそれを伝えようとして、帰りに後を追ったりもした。でも、途中で見失って……」
「……なるほど。つまり、その見失った場所に一番近い場所があの病院だったと。でも、それってあまりに博打が過ぎませんか?」
「うん、だからこうも時間がかかったの」
今の話に特におかしな点はない。
そして、道理にかなっている。穂乃果たちが誰彼構わず話を聞いて回ってたのなら、それはそれで苦言の一つも出ていたのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。たとえ偶然であったとしても、結果が出てしまった後では、なにを言っても負け惜しみになってしまう。
一体なにを勝負しているのか、自分でもよくわからなかったが。
「ただ普通にその話を聞いてたら、私達ももっと慎重になったかもしれない。ううん、実際そうなってたーーけど、そうしないと、まどかちゃんと二度と会えない。そう思ったら、自然と体が動いちゃって」
「だとしても、夜になって急に家を飛び出すのは僕はどうかと思うけど」
泰然と語る穂乃果に、悠斗が諭すように言った。
「まぁ、お姉さんに常識は通用しませんからね。携帯を持ってこなかったのはわたしが悪いですが、お姉さんと病院の外で会ったのは別に驚く事でもなかったのかもしれません」
「いや、普通に驚く事だと思うよ!? それに、あれは直前になって悠くんがヘタれちゃって、私が先陣を切っただけだから!」
「どちらにせよ、あの時間に面会するのは無理だと思いますが……。とにかく、事情はわかりました。その上で、もう一つ知っておきたい事があります」
まどかは真剣みを帯びた表情で、
「どうして、私に会いに来たのですか?」
と言って、悠斗と穂乃果の顔を交互に見る。
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