第39話 終幕

ーーそして、歩く事数十分。


坂を上りきった先で、悠斗は一息つくようにして地面に顔を伏せる。



「大丈夫ですか七瀬くん? だいぶ息があがっているようですが」


「……いや、大丈夫……案外、道長かったけどここが頂上みたいだから。ほら、この先はずっと下りっぽいし」



先を見渡すと、しばらく直線が続いた後、あとはずっと下り坂が続いている。どうやら、ここが街と街を繋ぐ道のちょうど中間のようだ。


すぐ横にはガードレールが並んでおり、その下はたくさんの緑が生い茂っていた。おまけに周囲は木々に囲まれているため、山道と言っても相違ない。


今ここをパトカーが通り過ぎたら補導されてもおかしくない。そう思うくらいには、この時間にいるには違和感のある場所だった。



「それで、まどかちゃんがやりたかった事って? もしかして、ここで『バカヤロー!』って叫んだりするの?」



穂乃果がそう尋ねると、まどかは悠斗の背から離れ、静かに首を横に振る。



「いえ、違います。ーーわたしは、自らの気持ちを捨てない事を選びました。なので、ぶつかる必要があるんです。ここに来たのは、そのためにより人気がないところを選んだからです」


「ぶつかるって誰と」


「お姉さんと、ですよ」



その瞬間、周囲の音が止んだ気がした。


「えーっと……?」と言いながら、穂乃果は疑義の念を抱く。



「わたしは七瀬くんが好きです、恋愛的な意味で。この気持ちがどういうものかずっと悩んでましたが、ようやくそれに気づくことができました」


「だから私とぶつかるって事? でも、今さらそんな事をする意味ある?」


「意味ならあります。わたしはようやく、スタートラインに立てたんですーーなら、あとはお姉さんという壁を乗り越えないといけない。いまだ想像だけで済ませている本当の景色を、この目でちゃんと確かめるために」


「それって、悠くんと付き合いたいって事? ならそれは無理だよ。だって、悠くんは私の弟だからね」



謙虚な態度が一気にはがれ落ちる。


それを見て、まどかはさらに語気を強めた。



「……お姉さんはいつもそうです。自分の気持ちを優先して、周りの事なんかお構いなし。いくら打たれ弱いとは言え、七瀬くんに甘えるのも大概にしてください」


「言葉がだいぶ辛辣!? で、でも悠くんだってシスコンなの認めたし……それに、私たちは二人で一人だから……」


「七瀬くんがお姉さんを好きなのは認めます。しかしーーそれは家族としての感情に過ぎません。姉と弟は付き合えないし、結婚だってできない。それはお姉さんにもわかっているはずですよね?」


「もちろん、わかってるよ。けど、そんなの知らない。私はどんな事があっても、自分の好きを貫くつもりだから」



矛盾した事を言いつつ、穂乃果が大きく胸を張る。


一触即発ーー否、すでに爆発している感情のぶつけ合いは、場の空気をさらに熱くさせていく。



「……やはり、お姉さんとは意見が合いませんね。なら、ここはハッキリさせましょう」


「ハッキリって?」


「わたしとお姉さんで、七瀬くんのステキなところを言い合っていくんです。それで、なにも言えなくなった方の負けということでどうですか?」



まさかの提案。



「……あの〜……なんか変な方に話進んでるけど、それ別のやり方とか無いかな?」



静観を貫いていた悠斗が、思わず介入する。


しかし、それに耳を貸す者は誰一人としていなかった。悠斗は諦めたように肩を落として、彼方に視線を向ける。



「うん、わかった。なら、ここは私からいかせてもらうねーーまず、なにより優しいところ!」


「手垢のついた内容ですね。しかし、実に的を得ていると思います」


「でしょ? いくら当たり前の事だって言っても、そこは外しちゃダメだと思って。そういうまどかちゃんはどんなところを挙げるの?」


「優しくて……それに、約束をちゃんと守ってくれるところですかね」



まどかがうっとりした目で言う。



「最初の部分、いきなり私と被ってるんだけど!?」


「念を押して、もう一度言っただけです。それに、後半部分はわたし個人を対象にしたものですから。一人の女の子として見てほしいという約束は、姉弟だとできませんよね?」


「いきなり抱きついても突き放されないなら、それは意味合いとしては同じだよっ」


「いえ、それはむしろ女の子として見られていないという事だと思いますが」



こちらが返せばあちらが返し、逆も然り。二人のぶつかり合いは、一向に終わる気配を見せない。


いつか砂浜でボールを打ち合っていた時のように。今度は誰の応援も力添えもなく、二人はどこまでも火花を散らす。



「どうしてまどかちゃんは、そんなにぶつかろうとするの? 私はただ、まどかちゃんと悠くんの両方がいる、そんな日常を望んでるだけなのに」


「本音というのは、互いにぶつかり合ってこそ生まれる感情です。七瀬くんを好きだと認めた時点で、わたし達はそうなる運命だったんですよ」


「……そう。なら、私ももう遠慮しないよ。まどかちゃんがそれを望むなら、それを受け止めた上で、私もまどかちゃんに全力でぶつかっていくから」



心を決めたように、穂乃果は深く息を吸い込みーーそして。



「私は、悠くんが好き。優しくて、いつもおいしそうにご飯を食べてくれて、なにもかも受け止めてくれる悠くんが大好き。でも、それと同じくらい……不器用で、大人っぽいのに子供っぽいまどかちゃんの事が、だいだいだーーーーーい好きっ!!!」



遠景の街に響くような大声で、自らの思いの丈をぶつけた。


それを聞いたまどかは、



「はい。わたしも、お姉さんが好きです。そして、それと同じくらい七瀬くんがーー悠斗くんの事が好きです。だから、お姉さんの気持ちを受け取ったうえで、わたしはこれからも悠斗くんに思いを伝える事を諦めません」



湧き上がる気持ちを抑えるように。これまで知らなかった、知る必要のなかった情動が、まどかの心中をかき乱す。


それは涙となって、彼女の頬を伝い、地面に浅い染みを作っていく。



「ま、まどかちゃん? もしかして泣いてる? 私、なにかヒドい事言っちゃったかな?」


「……ええ、ヒドいです。まさか、わたしの初めての涙をお姉さんに捧げることになるなんて。彩先輩にも初お風呂を奪われましたし、お二人は本当に余計な事しかしませんね」



それは照れ隠しではなく、間違いなくまどかの本心だった。


だが、不快とは違う感情。その繊細な乙女心に気づくことなく、穂乃果は縮こまるようにして押し黙る。


その一部始終を見ていた悠斗は、



「……なんか、いつの間にか話の主題変わってるけど……これで六笠さんのやりたい事は済んだってことでいい?」



小さくなる穂乃果を軽く一瞥した後、まどかにそう確認を取る。



「はい、これで心残りはなくなりました。あとは病院に戻るだけです……と言いたいところですが、それが一番難しそうですね」


「今すぐにしろ時間が経ってからにしろ、戻るリスクは同じだし。どちらにしろ、僕は六笠さんの意思を尊重するよ」


「……悠斗くんならそう答えると思っていました。でも、わたしの答えはハッキリしています」



墨を落としたように広がる夜の情景。街中より幾分、涼しい夜風が、彼女の言葉をさらっていく。


躍動する心臓。痛みはなく、あるのは袋に空気を送り込んでいるかのような無機物さ。


ただ惰性に過ぎていく日々。生きている実感もなく、なにもない真っ白な世界がいつもまぶたの裏から離れなかった。


しかし、今この瞬間。あらためて彼女は、この場所にいたいと切に願った。好きな人達に囲まれて、優しい人達が近くにいる。


そんな身近にあって、気づく事ができなかった景色きもち




そして。まどかにとっての“最初で最後の高校の夏“はーー夜空に上がる花火のような、そんな色鮮やかな思い出で締めくくられたのだった。

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