第12話 会合

休日。穂乃果がリビングでくつろいでいると、ピンポーンというチャイムの音が家中に響き渡った。


それに応えるようにして、穂乃果は玄関扉を勢いよく開ける。



「ども、邪魔しに来たよ穂乃果」



外に立っていた彩が、軽い挨拶とともに片手を上げる。


Tシャツ短パン姿というラフな格好。一見すると無味乾燥に近い身なりだが、それは一般的な感想に過ぎない。


むしろ彩の場合、すらりと伸びた足と均一の取れた体躯が、それを一際、人目の引くファッションへと格上げしていた。



「いらっしゃい彩ちゃん。遠慮なく上がって? まぁ、今家に誰もいないから、本当に遠慮なんかしなくていいけど」



彩を家の中に招き入れ、階段を上がっていく。


そうして、二階の廊下を進む最中。『悠斗』のネームプレートがかけられた部屋を見て、彩が気になったようにふと呟いた。



「……穂乃果ってさ、弟くんいない時に部屋侵入したりすんの?」


「しないよ、たまにしか」


「たまにならするんだ……それって、部屋の匂いかいだりとか?」


「ううん、ベッドにもぐりこんでお昼寝したりとか。悠くんが嫌がるから、あまりしないようにガマンしてるけど」



あっけらかんと言う穂乃果に、彩は「そう……」と答えるしかなかった。


程なくして、廊下突き当たりの穂乃果の部屋にたどり着く。


穂乃果は先んじて部屋の中に入ると、座布団を用意し、そこに座るよう彩に促した。



「今日はごめんね、彩ちゃん。いきなり家に呼んじゃったりして」


「いいよ別に。てか、穂乃果の家に来るの初めてだし。ちょっとワクワクしてる自分がいる」


「そういえばそうだっけ?」


「うん、そう。穂乃果とは小さい頃から一緒なイメージだけど、あたし達まだ知り合って一年くらいしか経ってないんだよ。自分で言っててビックリだけどさ」



そう言って、彩が小さく笑う。穂乃果もそれに反応するようにして、同じように笑った。


そんな雰囲気に心地よさを感じながら、穂乃果は意を決したように彩に問いかける。



「……実はね……私、少しやらかしたかもしれないの」


「穏やかじゃないっぽいね、言い方的に。けど、それはいつもの事じゃないの?」


「どうだろ。私、自分をあまり客観視できないから、よくわかんないけど」



首を傾げる穂乃果。


こういう時、数年来の友人なら、先んじて答えを言い当てる事ができたのかもしれない。


だが二人の付き合いは、せいぜい一年程度。ゆえに彩は待つことしかできない。二人の間に、しばし沈黙が訪れる。



「……あのね、一つ聞いてもいい?」



やがて、穂乃果が遠慮がちに口を開いた。



「なに?」


「彩ちゃんに、もし好きな人がいるとして。その人が前とは違う物を好きになっちゃったら、彩ちゃんはどうする?」


「それならそれでいいんじゃない。なにをどう好きになろうが、それは個人の自由だし」



彩はあっけらかんと答える。



「そっかぁ。まぁ、彩ちゃんはそうだよね……メンタルが大根だもん……」


「図太いって言いたいのはわかったけど、他に例え方なかったの。てかその話って、穂乃果が今まさに直面してる内容の事だよね」


「そうでいて、そうじゃないような……。これはなんというか、わたしのこれまでの行動全てに関係する事なんだよね」


「どういう事?」


「……悠くんの食べ物の好みが変わっちゃった気がして」



穂乃果はそう言って、自らの頬に片手を当てる。その表情は、まるで子育てに奮闘する母親のようにも見えて。



「え、ちょっと待って。これって、好きな人が別の相手を好きになったって話じゃないの?」


「違う物を好きになっちゃったら、って言ったじゃない。誰かを好きとは一言も言ってないよ」


「たしかに言われみれば……。いや、かと言って、それがやらかした云々とどう繋がるの?」


「……私、悠くんを少し甘やかしすぎてたんじゃないかって」



その一言に、彩は盛大にずっこけた。



「えっ、どうしたの彩ちゃん!? もしかして、足つっちゃったとか?」


「違う……まさか、そんな言葉を今更聞く事になるとは思わなかったってだけ。一体どんなきっかけがあれば、そんな結論にたどり着くの?」


「最近の悠くんを見てて思ったの。あと、まどかちゃんにも言われたから」


「なんて」


「『お姉さんは七瀬くんを甘やかしすぎだと思います』って」


「……穂乃果。それ、相手の子に一杯食わされてるよ」


「ええっ、そうなの!?」



驚いた様子で目を見開く。


本当になにもわかってないようなそのしぐさに、彩は深く嘆息した。



「大体、甘やかしたくらいで味の好みは変わらないでしょ。しかも、こんな急に」


「そうなのかなぁ……。でも、好みが変わったのは本当なの。前は肉じゃがなんてそんな優先して食べたりしなかったのに、今では味わうようにして食べてるし」


「それは……わかんないけど、そういう時もあるって事じゃない? 相手の子の策略だよ、それが甘やかしてるって結論につながるのは。もしかして、今日ってその話で呼び出したの?」


「それもあるけど、単に彩ちゃんと会いたかったからっていうのもあるかな」


「もう、仕方ないなぁ穂乃果は」



態度が180度切り替わる彩だった。



「ほら最近、色々と状況変わったでしょ? まどかちゃんと悠くんを交えてお昼食べるようになったし。だから私も、前以上に色々考えるようになっちゃって」


「それをうまい事、利用されてたら意味ないと思うけど……まぁ、あたしに相談しただけマシか。手遅れになる前でよかったよ、ホント」



そう言って、彩は悩ましそうに腕を組む。


正直なところ、不安が拭えない部分はある。穂乃果のマイペースさもそうだったが、なにより六笠まどかという子の抜け目のなさに。



「でも基本、まどかちゃんは良い子だよ。私にそう言ったのも、私と悠くんのためを思っての事だと思うし」



それだけの事をされても、穂乃果がまどかに対する印象を変える事はなかった。


甘やかすというのは、愛情とイコールの意味合いを持つ。その上でまどかは、そんな事を言った。それを改善した方がいいと遠回しに伝えてきた。


その事に気づいてないのは、きっと穂乃果くらいのものだろう。その事実を加味した上で、彩はあらためて穂乃果に問う。



「……あのさ、穂乃果は弟くんとどうなりたいの?」


「ずっと姉弟の関係でいたい。あとフォザコン」


「だよね。なら、今さらそんな言葉で考えが揺らいじゃダメだと思う。穂乃果らしくないよ、そんなの」


「私らしくない……」



そう言って、穂乃果が押し黙る。


平静さを見せながらも、その内には様々な感情が渦巻いていた。自分の事、それに身の回りの事。


その様子を見かねた彩は、



「……まぁ、別に状況が切迫してるわけでもないし。揺らいだところで、これからいくらでも挽回できると思うけど」



先ほどの力強い言葉とは真逆の、そんな気遣いだらけのフォローを入れる。



「そうだね。夏休みを含めたら、まだあと一か月以上は余裕あるし」


「逆に言えば、すでに半分近く過ぎてるって事になるけど」


「彩ちゃんは私を赤ちゃんにさせたいの?」


「あ、それギャン泣きの前振り? ごめん、今やられるとわりと本気でどうしていいかわからないから先に謝っとく」



「よろしい」と上から目線ぎみに言うと、穂乃果は部屋を出ていく。


しばらくして、ジュースの入ったコップとお菓子をたずさえた穂乃果が部屋の扉を叩いた。


それを迎え入れると同時、彩は再び話を切り出す。



「……てかさ、一つ気になってたんだけど」


「うん、なに?(バリバリ」


「持ってきて早々、めちゃくちゃお菓子食べるね。急がなくていいから、それ飲み込んでから返事してもらっていい?」


「ごくんっ。……はい、飲み込んだよ。それで気になった事って?」


「穂乃果の口の周りにお菓子のカスがついてる事かな」


「え、本当? もう、恥ずかしいなぁ」



そう言って顔を赤くさせると、穂乃果はティッシュで自らの口を拭いた。



「……穂乃果ってさ、やっぱり誰かが近くにいないとダメだよね」


「そうだよ、私は一人だとダメダメなの。だから、悠くんと一緒じゃなきゃいけない。お姉ちゃんっていう、頼れる存在でいるためにはね」


「それに付き合わされる弟くんも相当、難儀だけど……まぁいいや。で、さっきの話の続きだけど」



彩は机の上のコップを手に取ると、



「ーー弟くんは……どういう経緯で、あの子と昼の約束をするようになったんだろ」



底の深いガラスに広がるオレンジ色の海に口をつけ、そんな些細な疑問を口にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る