第4話 四宮勝
「ていうか、どうして今は普通に話しかけてきたの? 勘違いじゃなければここ数日、六笠さん僕の事避けてなかった?」
「いえ、別に避けていたわけではないです。ただ、ここしばらくは七瀬くんに話しかける人が多かったので、少し様子を見ていたと言いますか」
「そうなんだ……六笠さんは誰かに話しかけられたりとかなかったの?」
「わたしは普段、影が薄いので」
「今のやり取りの後だと、とても信じられない言葉だ……」
だが、ひとまず疑問は解消された。
話を聞きに来る相手がこっちに集中していたのは、単に消去法だったという話。
影が薄いと自称する相手よりも、人はごく平凡のクラスメイトの方を選ぶ。その方が話を聞くのに都合がいいからだ。
「でも、どうして急に七瀬くんに声をかける人が多くなったのでしょう。それにわたしも、心なしか色んな人に見られている気がしますし」
「それは六笠さん自身の胸に聞いてみればわかると思うよ」
「……? 七瀬くんを前にして、ドキドキが抑えられない自分の心臓の音しか聞こえませんが?」
「本気かどうかわかりづらい天然そこで発揮しないで」
ともかく、ハッキリしたことがある。少なくとも今の状況を続けていれば、話に尾ひれがつくことはないという事。
出所は全て自分なのだから、あとは他の人達が興味を無くすのを待つしかない。
今朝に続いて、悠斗はそんな希望的観測を抱いた。
「おい七瀬」
そして。その希望は、またもや無残に打ち砕かれた。
「へ? どうしたの
「実は、お前に聞きたい事があるんだ。……今時間あるか?」
「うん、あるけど……」
急に話に混ざってきたクラスメイトに、悠斗は動揺を隠せない。
毎回、穂乃果が教室にやってくるたびに、彼はその被害に合っている。だが、こうしてちゃんと話すのは実は初めてだったりもした。
「……ところで、お前はこの場を退いたりしないのか?」
勝が怪訝そうな表情で、まどかの方を見る。
「はい。わたしはこの後、七瀬くんとお昼を共にするつもりなので」
「そうか……なら、そんなに時間は取ってられないな」
そう納得した後、勝は悠斗の方に向き直り、
「……もしかして、七瀬先輩……今は体調が悪かったりするのか?」
「七瀬先輩……それって、お姉ちゃんの事?」
「そうだ。ここ最近、教室に来る様子がないから、少し心配だった。いや、かなりだ」
まるで胸に圧迫感を覚えているかのように、苦しそうな表情でこっちを睨みつけてくる。
「とりあえず、今朝はいつもと変わらない元気さだったけど……ていうか、四宮くんがそんな事言うなんて驚いたよ」
「どうしてだ?」
「いつも、うちのお姉ちゃんに迷惑かけられてるし。伝言役として使われる事に、いい加減うんざりしてるのかなって」
「してるに決まってるだろ。七瀬先輩をいなすお前という存在にな」
急に攻撃の矛先がこちらに向いた。
あまりに突然すぎて、悠斗は意味を理解しかねる。
「なるほど。つまり、四宮くんはお姉さんの事が好きなんですね」
「はぁ? なに言ってんだ、そんな事ねーよ。ウサギ小屋に寝転がすぞお前」
まどか相手に、勝が意味不明の脅しをかける。
「そっか。四宮くんがたまに言ってた『殴りたい』っていうのは、お姉ちゃんじゃなくて僕の事だったんだね。安心したよ」
「そうじゃなくても普通、女を殴ろうなんて思うわけないだろ」
「まぁ、好きなら尚更、そうは思わないよね。ごめん四宮くん」
「マジで殴るぞお前?」
勝が自らの拳をポキポキと鳴らす。制服を着崩しているのもあってか、その見た目は完全に不良のそれだった。
「まぁ、四宮くんが気持ちを隠そうとするのもわかります。好きという気持ちは、自分で抑えないと際限なく溢れ出てしまうものですからね」
「六笠さんの場合は、完全に振り切っちゃってる気がするけど」
あるいは、気持ちが表面上に現れすぎているとも言える。
だが、その気持ちを一心に受けている身としてはそれ以上、話に踏み込むことはできない。……が、今はそれよりも、怒髪が天を衝きかけている彼の方を気にするべきだ。
悠斗は失言した自身を戒めると、あらためて勝との会話に臨んだ。
「なんにしろ、俺はただ許せないだけだ。七瀬先輩というものがありながら、別の女とイイ関係になるお前の不誠実さがな」
「いや、それは誤解だよ。僕、別に六笠さんと付き合ってるわけじゃないし」
「なら、この前のアレはなんだったんだ?」
「あれはなんというか……色々とタイミングが悪かっただけで」
「いいんだ、言い訳は聞きたくない。とにかく、俺はこれからもお前をキライでい続ける。お前が七瀬先輩の弟であるかぎり、ずっとな」
最後に舌打ちを残して、勝は離れていく。どうやら嫌われているのは間違いないようだった。
しかし、どうしてか。悠斗は彼の事を、心の底から怖いとは思えなかった。
「……良くも悪くも、恋は人を変えるんだなぁ……」
「それはつまり、ようやくわたしと付き合う覚悟を決めたという事……」
「ではないです」
「あ、そうですか」
▽
いつもと同じ時間に帰宅し、悠斗は凝った肩をほぐしながら居間へと向かう。
そして、ドアを開けた瞬間。
「おかえり悠くーーーーん!!!!」
叫び声とともに、穂乃果がこちら目掛けて突進してくる。
それをヒラリとかわして、悠斗はソファの上にカバンを置いた。
次いで冷蔵庫からお茶を取り出すと、それをコップに注ぎ、一気に喉奥に流し込む。
「……ひどいよ悠くん。一体いつから、そんな冷たい子になっちゃったの?」
「いや、喉乾いてたから」
両手で顔を覆う穂乃果。
まるで悲劇のヒロインにでもなったかのようだったが、完全に被害者はこっちだった。
「? 悠くん、なんだか疲れてない? 学校でなにかあった?」
そう言うと、穂乃果は心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
「ありすぎて困るくらい。ていうか、これって半分くらいはお姉ちゃんのせいなんだけど」
「うん、それはよく自覚してる」
手のひらを合わせて、反省するようにその場に縮こまる。
「さすがのお姉ちゃんも、そこまでニブくはなかったみたいだね。なんだか安心したよ」
「私も、まさかこんな大事になるとは思わなくて……。こうなった時、一番被害を受けるのは悠くんの方なのに」
「そっちは学校でなにか言われたりはしてないの?」
「うん、上手くごまかしといたから。あれは姉弟同士のただのじゃれあいだよーって」
「そのじゃれあいに、赤の他人が混ざってる時点で不自然さ100パーセントじゃない?」
どう考えても、あえて聞かないようにしているだけだ。周囲の大人の対応っぷりに、軽くうらやましさすら覚える。
「いや、それも問題だけど、一番の問題点はそこじゃないってば!」
「じゃあ、どこが問題なの」
「私が学校で悠くんと話せない事」
「さっきまでの申し訳なさそうな表情は、すぐはがせるお面かなにかだったの?」
「悠くんって、たまに難しい言葉使うよね」
「いや、素直に呆れてるだけだよ」
ソファに腰かけると、当たり前のように穂乃果が隣に座ってくる。
距離を空けようとするが、その前に体を密着されてしまう。肩越しに伝わる熱。どこか懐かしさを覚えるその暖かみに、うっとおしさと共に心が軽くなっていくのを感じた。
「やっぱり悠くんの近くは落ち着くな~。今は自重してるから学校でこういう事できないけど、ここだと誰にも文句言われないもんね」
「そうだね」
とはいえ、由美と茂がいる前では、さすがにこうも密着したりはしない。今では本当の家族のようだが、その辺は色々と思うところがある。
むしろ、思わない穂乃果の方がおかしいのだ。
「あ、そうだ、大事なこと訊き忘れてた。結局、あの子とはどうなったの?」
そう言ってクッションを抱きしめると、まるで宣材写真を撮るモデルのように、穂乃果はこちらに向けて小首を傾げる。
「あの子って、六笠さんの事?」
「そうそう。あの日以来、そっちの教室いかないようにしてるから、一体どうなってるんだろうって。結局、あの子の真意もわからずじまいだし」
「それは……あの時、六笠さんが言った通りだよ」
「言った通りって?」
「六笠さん、僕の事好きみたいなんだ」
穂乃果が沈黙する。
やがて、人差しを立てると、
「つまり、友達としてって事ね」
そんな見当違いな事を言ってきた。
「いや、恋愛的な意味だよ。ていうか、お姉ちゃんも実際、本人から言われたよね?」
「うん、言われたよ。友達として、悠くんの全てを独占したいって」
「微妙に言葉付け加えられてない?」
「……だって、認めたくないから」
穂乃果が、すねるようにボソッと呟く。
「認めたくないって……でも、もう告白もされちゃったし」
「なにそれ、私その話知らないよ!?」
「だって、言ってなかったから。というか、あの時の六笠さんの態度で、なんとなく察してくれてると思って」
クッションを力強く抱きしめ、穂乃果が顔をうつむかせる。
訪れる沈黙。聴こえてくるのは、BGMとして機能しているテレビの音だけ。
そして、番組がCMに入ったと同時ーー。
「……デートをします」
「へ? お姉ちゃん、今なにか言った?」
「だーかーらー。……今度の休日、悠くんは私とデートをします。これは決定事項です。反論は許されません」
「姉弟で出かけるのって、普通デートとは言わなくない?」
「ならお出かけです。二人でお出かけして、楽しい時間を過ごします。買い物とか映画観たりして」
「でも僕、あまりお金ないよ」
「あー、もう! 私がそうしたいからいいの! お金の問題なんて二の次なの!」
「あ、うん」
そうして、なぜか休日に穂乃果と出かける事になってしまった。まだなにも解決していないのに、こんな呑気にしていていいのだろうか。
そう思う悠斗だったが、ここで否定するとさらに面倒な事になりそうだったので、素直に提案を受け入れる。
ーー弟というのは、いつだって姉のわがままを聞く生き物なのだから。
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