第8話 一夜を共にして(語弊)
気づけば朝になっていた。
朝チュンという奴だ。いや何を言ってるんだ。
賢者にでもなったのか。いやそれも何を言ってるんだ。
一夜を共にして……あぁもう、選ぶ言葉が全部ピンクに聞こえてくる。
寝てる間も龍樹の思考を延々と流され続けて、俺まで脳内が桃色に染め上げられてしまったのだろうか。
まぁ、そんなことは置いておいて、ひとまず俺は途方もなく長く思われた夜を乗り越えた。
寝れたもんじゃないし、心は疲弊するしで、安らぎなんて全く得られなかったが。
……経緯について話そうか。
滝行する僧の如く、無心でシャワーを浴びた後、俺たちは早々に床に着くことにした。
といっても、午後9時は回っていて、高校生にしては早い程度の時間だった。
こんな狭い家だと、どうやって寝るかの問題が発生する。よって案の定ともいうべきか、どちらがベッドを使うか、という不毛な言い争いが勃発した。
俺は当然床…というか畳で寝ると断ったが、龍樹は頑なにそれを認めなかった。
普段の表向きの生活を見ればわかるが、彼女は一般に優等生なのだ。
人の家に転がり込んで、堂々とベッドで眠れるほどの非常識さは持ち合わせていない。
しかし結局俺が、女子を差し置いてベッドで寝るなんてできない、なんて普段の俺からすれば考えにくいセリフを吐くと、大人しく引き下がってくれた。
その前の俺の問題発言も相まって、またどうにも言い難い空気が流れたが、まぁそれは良しとしよう。
問題は、彼女の心の声だ。
ベッドを貸したのは悪手だったか、彼女は俺の残滓が残った布団の中で、妙に心を浮つかせていた。そして勿論とも言うべき、情事に関する妄想が怒涛に流れ込んだ。
聞いているこっちが恥ずかしくなるようなセリフ、シチュエーションが次々に脳に流れ込み、もはや安眠とは程遠い領域であった。
これなんてエロゲだよと、これなんてプレイだよと、何度脳内で繰り返したかわからない。
……一応、彼女の名誉のため、というか俺の尊厳のために言うが、彼女は別に俺を使って妄想していたわけではないだろう。多分。
男という存在を色濃く感じて妄想が捗ったと見るのが俺の精神面からしても正しそうだ。というかそうであってくれという願望が強い。
まぁそれとしてもともかく、俺は俺がされたわけでもないのに、悶々とした思いを抱いてしまった。
彼女が眠りに落ち、テレパシーも曖昧なものになった頃にもそのムラつきともいえる感情は鳴りを潜めず…。
俺の夜は無情にも更けていき…、で、今があるというわけだ。
鏡を見なくても隈が顔に出来てることがわかるくらい、寝不足である。
ギンギラに輝く日光が窓から差してくるが、それもどうも暖かくて眠ってしまいそうになる。
「おはよう、ございます」
寝ぼけ眼で頭を押さえている俺に、龍樹が話しかけてきた。
もうすっかり目の覚めた、いつもの凛とした雰囲気だった。
服装も俺の貸したジャージから制服に着替えられている。
部屋の隅に丁寧に畳まれたジャージが視界に映る。彼女の妙に律儀な性格がまた垣間見えた。
「あー……はい。おはよう……」
まだ頭も完全には回っていないまま、挨拶を返す。
「すいません……。あの、ベッド使ってしまって…やっぱり眠れなかった、ですよね…」
俺が眠れなかったことを悟ったのだろうか、彼女は少し申し訳なさそうにそう言う。
「あぁ、いや…。それより龍樹さんの方はよく眠れた?その、一応最近洗ってはいるけど、臭かったりしたらごめんと思って」
「そ、そんなっ、滅相もないですっ。おかげさまでよく眠れました」
自虐的に俺が言うと、龍樹は慌てて声のボリュームを上げる。
……臭いに言及した途端、ちょっと心の声がピンクピンクし始めたけど、そこはもはや目を瞑ろう。
「それなら良かった。…でこの後どうする?朝ご飯とか、諸々」
そういえば昨日の夜も食べていない。
色々慌ただしかったし、俺も速攻で眠りに入りたかったから仕方がない。
まぁ入れなかったんだが。
…しかし、そのせいで彼女を空腹にさせてしてしまっていたら申し訳ないな。
「もう出発しようと思うので、朝ご飯は遠慮させていただきます。私に振る舞うよりも、五見さんのために食材とお金を使ってください」
情けないが、実にありがたかった。
いやまぁ、彼女ひとりくらいなら余裕はあったが、それでも少しだけである。
そもそも俺に料理センスなんて皆無だ。一人暮らしを始めてこの方数ヶ月だが、自炊はまだ一度もしたことがない。だから貧乏なんだ、というのはNG。
故に、彼女の申し出はありがたい以外の何物でもなかった。
「そうか、お気遣いありがとう」
「いえ、お世話になったのは私の方ですから……」
律儀に龍樹はそう言ってくれる。
……そして、なぜか少し照れている。
昨日の出来事を回想して?───っと、いやいやいや。
待て待て気にするなよ。
まさかそんなわけがあるまいね。
まだまどろみの中にあった脳がぴょんと跳ねるみたいに覚醒する。
どうにも信じ難い、いや信じられなくもないのが悲しいところだが、妙な推察をしてしまった。
ここで、今はテレパシーが機能していないことに気がついたが、どうしてこうも欲しい時に発動してくれないんだとヘンテコなこの体質を呪う。
俺のそんな思考を余所に、彼女は言葉を続ける。
「……では、私はお先に失礼します。後ほど、学校で」
「あ、あぁあぁ。うん、じゃあまた」
短い挨拶を交わし、彼女が出ていくのを見送った。
その後もしばらく、俺の脳内はぐるぐるとしていたままだった。
くそっ、最後の最後で混乱を振り撒いてきやがった…。
でもまぁ、とりあえず一旦距離と取れたというのは精神的に平穏が訪れたような感覚がする。
そのせいかなんなのか、彼女がいなくなると、途端に部屋が広くなったように感じた。
心持ちひとつで部屋の雰囲気も変わるもんだと実感する。
そしてひとしきり頭を回したあとで、そろそろ学校に行く支度をせねばと思い立つ。
軽い朝食を食べた後、制服に着替え、俺は先ほど彼女の捻ったドアノブに手をかけた。
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