第18話 クール美少女と繋がった(意味浅)
「〜〜〜〜」
しばらくの後に、龍樹はペンを休ませて体を伸ばした。
俺もちょうどその時に集中の糸が切れ、壁にかけられた時計に視線をやる。
「もう、6時か……」
「勉強始めてから結構経ちましたね」
窓から見える空には翳りが見えており、校門傍に立つ外灯にはもう灯りがついていた。
「そろそろ休憩するか」
「そうですね」
そう言って彼女はリュックからペットボトルの清涼飲料水を取り出す。
俺も鞄から飲み物を取り出したが、面白みのない、水の入った無地の水筒であった。
「五見さんはいつも水筒ですよね、何を飲まれているんですか?」
「よく見てるね、水だよ。空の水筒持ってきて学校で汲んでるんだ」
ずいぶん貧乏くさいことやってんなぁと自分でも思うが、余裕がなけりゃ人間、恥を捨てる覚悟も必要なのだ。
「えっと…、なんかすいません」
「そこ謝るなよっ、なんか惨めだろ」
龍樹は、この前訪れた俺のボロアパートを思い出したようだ。
テレパシーで伝わったイメージは、実物よりも誇張されてボロっちかったけど。
「まぁ、想像してることは生憎否定できないんだけどさ」
「いえっ、そんな、貶めようとしたつもりじゃないですよっ?」
冗談めかして肩をすくめると、彼女は慌てて両手をブンブンと振る。
「……でも、これも別に他意はないんですけど、普段家で何をされてるんですか?」
龍樹は湧き上がった質問をそのまま口に出した。
保険をかけてる時点で他意あるだろ、と言いそうになったが、くどくなりそうだったのでやめておく。
「そう…だなぁ。家事して、勉強して、あとは……寝る?」
家に帰ってからやることを列挙していくと、なんともつまらない生活であることがあからさまになる。
まぁ現状、打ち込める趣味も夢中になれることもない俺にとってはごく普通なことで、不満もないんだけど……、これは金銭的に貧しいと心まで貧しくなるということの現れなのだろうか。
『寝る…、寝るっ…?』
「……ま、まぁ、寝るのも立派な趣味ですよ」
無理矢理なフォローを入れてくれる……が。その前にまたピンクい妄想をするんじゃないよ。でっかいベッドに女を侍らせている俺の映像が映されたけど、お前が寝たベッドはそんな大きさじゃなかっただろ。
「俺のつまんない話はいいんだよっ…。逆に、龍樹さんの趣味は?普段から本読んでるけど、やっぱり本好きなの?」
言い難い空気から強引に舵を切って、龍樹の話題へと移す。
同時に、先ほどのテレパシーで恥ずかしくなった仕返し…ではないけど、彼女の普段の読書について切り出した。
あの破廉恥な小説についてどう説明するのかという、興味半分からかい半分だ。
「そうですね、小さい頃から読書は大好きです」
龍樹は裏表のないにこやかな笑顔でそう返事をしてきた。
事実、思考も何か妙なこともなく、至って普通である。
なんだか肩透かしを食らった気分になったが、まぁそれはそれで良いだろう。また恥ずかしい妄想を喰らわないと考えれば。
「へぇ〜、どんなジャンルが好きなの?」
「色々読みますが、最近は……恋愛もの、ですかね」
鉄面皮をやや崩して、少し恥ずかしそうに言う。
年頃の女子がそういう趣味が好きだと打ち明けるのが恥ずかしいのも、また恋愛ものを読むのが好きなのもなんら不思議ではないのだが…。
ピンクい妄想では崩れないその表情が、そんなことで崩れるのはなんだかおかしな感じだな。
「へぇ、意外だな。なんか龍樹さんってもっと硬派なのが好きかと思ってた」
「よく言われますけど、でも全然そんなことないですよ。それに一番熱中しているのが───」
口調に熱が籠り始めた矢先、龍樹はおもむろに自身の鞄を漁り始めた。
といってもやはり整然と整えられているのだろう、目的であろうものはすぐに取り出された。
「これです」
龍樹は、やや興奮気味にそれを俺に見せつけてきた。
それは、開けば両手に収まる程度のサイズの、一冊の小説であった。
「……『隣のヴァンパイア』?」
「はい、通称『なりヴァン』です」
大真面目な顔で俗っぽい名称を言うから吹き出しそうになったが、流行に疎い俺でも小耳に挟んだことのあるタイトルだった。
本屋とかコンビニでも、このタイトルのポップが大々的に飾られていたのが、うっすらと記憶に思い起こされた。
「私、この小説が本当に好きで。最初はただの恋愛ものだと思って読み始めたんですけど、いつの間にかハマってしまっていて」
「へぇ〜、そんなに面白いんだ?」
「それはもうっ!」
龍樹は食い気味に肯定した。
いつもの状態でこんなに感情的な彼女の姿は、初めて見たかもしれない。
「あ…、す、すいません」
「いや、すごい好きなのは伝わったよ」
また恥ずかしそうに顔を伏せる龍樹。
「たしかそのタイトルって、実写化か何かされてなかったっけ。最近は話題になっていたような」
「そう…ですね…。ちょうどテスト開けくらいに、舞台化されるんです…」
聞いたことあるなと思ったら、舞台化か。
この手の小説ではなかなか珍しい気もする……が、その一方で、龍樹の表情はやや曇っていた。
「なんか残念そうだけど」
「…その、小説が好きすぎるあまり……この感動をしっかりと表現してくれるないと許せない、という気持ちがありまして…」
まぁ、気持ちはわからないでもない。
小説には小説だからこその魅力というものがあるわけで、それは実写や映像では再現できないものもある。
舞台となると、深く物語を体感することができるだろうが、反面、失望した時の落胆も大きいのだろう。
「好きなので絶対観に行きたいのですが、いかんせん不安は拭えなく…」
「…まぁ、そればかりはどうしようもないね」
「うぅ、そうですよねぇ…」
がくりと肩を落とす龍樹。
彼女がここまで感情を表現するのはなかなか珍しい。本当にこの作品が好きなのだろう。
『あ、そうだ───』
パッとこちらを向いて、そしてどこか期待の混じった眼差しと、心の声。
その言葉の先に、また俺は驚かされてしまう。
「五見さん。なりヴァンの舞台、一緒に観に行ってくれませんか?」
「…え?」
そんなまともな言葉ですらないモノしか出てこない俺に対して、龍樹は畳み掛けるように言葉を紡いでいく。
「不安通りのよくない舞台だったら、すごいモヤモヤが溜まると思うんです。もし五見さんが居てくれれば、そのモヤモヤを吐き出せるかもしれないのでっ…」
「いや、でも…」
混乱して煮え切らない言葉しか思い浮かばない俺を知ってか知らずか、彼女はまた一押し。
「それに、こんなこと頼めるの、五見さんしか…いないので……」
絶対そんなことはないだろう。
彼女の頼みであれば、まるで鶴の一声のように、人が集まってくるはずだ。
……いやだからこそ、誰の話題にもならないような俺が最適なのか?
「あ、すいません。もちろん嫌であれば全く───」
「いや、いいよ。どうせテスト終わっても暇だしね」
また視線が下がり始める彼女を打ち消すように、俺は返事をした。
「ほんとですかっ?」
「あぁ…、もちろん」
「ありがとうございますっ」
龍樹は目を爛々と輝かせる。
そこまで喜ぶことなのか?とも思ったが、彼女にとっては一大事らしい。
『やった……』なんて心の声まで弾んでいるし。
「あ、では、連絡先を交換しましょうか」
「……へ?」
彼女の発言に、俺はまたダサい声を漏らす。
「予定だとかを決める時に必要ではありませんか?一応まだ一週間以上ありますし、顔も合わせますけど、何かと連絡しあえたほうが便利なので」
彼女の述べた理由は至って当然であり、むしろ遊ぶ約束で連絡取らない方が珍しいというものだが、それでも俺はその『連絡先を交換する』ということに驚きと混乱を隠せない。
「そう、だね。もっともだ」
不思議そうに俺を見る龍樹から視線を外し、ポケットから何世代も前の古いスマホを取り出した。
大家さんと千紘以外に登録されていないという、寂しいラインを開いて、QRコードを表示させた。
「えっと、では、失礼して…」
彼女はいかにも慣れない手つきで、その最新なスマホをそれにかざす。
…と、直後に俺のスマホから、『ピコン』と通知音が鳴った。
「これで問題ないですね」
確かめるように画面を眺めてから、彼女は頷く。
「…そういえば、五見さんが初めて連絡先を交換した男の子かもしれません」
「あ、はは。俺もかも」
はにかむように笑みを浮かべる彼女と、引きつるように笑みを浮かべることしかできない俺。
もしこれがクラスにバレたら、俺は本当に生きていけなくなるかもしれない…。
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