第19話 不都合なこと
光陰矢の如しとはよく言ったものだ、あれから一週間が経ち、すでにテストは明日にまで迫っていた。
みな様々な心持ちをしているが、案の定と言うべきだろうか、あの日勉強会を企てていた連中のほとんどは、今になって頭をもたげるかのように焦燥に駆られていた。
まぁこういう奴らは大抵、テストが終われば「まじ終わったーw」と言いながらカラオケにでも行くようなタイプだ。
そして次のテストで同じ惨劇を繰り返すのだろう。
甚だ、喉元過ぎれば熱さ忘れる、を地でいく連中だ。
まぁどんな行く末を辿ろうと俺の知ったことではない。
そういえば、勉強会というものが俺と龍樹の間に開かれ、男たちのジェラシーに新たな燃料が投下されたかと思われたが、存外、より厳しく目をつけられるようなことはなかった。
依然と龍樹とは友人関係が保たれているので、それへの嫉妬が止むことはなかったが、二人で勉強することなどについての言及はほとんど聞かなかった。
それとなく龍樹に聞いてみると、「まだ五見さんとのことは誰にも言ってません」とのことである。
無論俺が言いふらすはずもないし、このことは流出しなかったわけだ。
そのおかげというべきか、俺への厳しい目も徐々に緩和されつつすらあった。
……が、プラスの面もあればマイナスの面もあるらしく────。
「すいません、お待たせしました…」
「っ、全然だよ」
あの日と変わらぬ、図書室の一席で勉強していると、不意に───いや、テレパシーですでに存在を知覚していたが──、隣に人が現れた。
「調子、はどうですか?」
「ん、まぁぼちぼちかな。龍樹さんは………ちょっとアレかな」
俺を訪ねてくるような奴は、千紘か彼女──龍樹しか居ない。
彼女との勉強会は日曜日以外の一週間、毎日開催された。
薄々あの一日だけではないだろう、と思っていたが、案の定である。
しかしまぁ、勉強自体は捗ったし、先ほども言ったように男子からドヤされるようなこともなかったので、結果的には悪いことは特になかった。
俺については。
「…はい、人を払うのって難しいんですね」
「まぁ〜…、そうだろね」
滅入ったような顔と言葉を漏らす彼女に対して、大して人を払いたくなるほどの場面はないくせに、共感を示してみせる。
「やっぱり、まだ男性は慣れないです…。15年間関わってこれなかったツケです…」
「あんなに集まってくる男が悪いと思うけどね」
「でも、お友達になろうというのはよくわかりますし、私も良好な関係を築きたく思うんですけどね…」
ここ一週間で、龍樹は男たちに猛烈なアピールを喰らっていた。
不都合なことにどうやら、俺のようなよくわからぬ冴えない奴と仲良さそうなのを見て、「意外と俺でもイケんじゃね?ってか俺の方が良いんじゃねっ!?」などという考えに至ったらしく、クラスの男が代わる代わる彼女に自己顕示し始めたのである。
小中と女子校だった彼女には、それらへの対応は相当の心労なようで、ゲンナリした表情を浮かべるのが多くなった。
……まぁ、いつもの鉄面皮が少々険しくなったくらいで、男らはそれに気づかずアタックを繰り返していたのだが。
「少々疲れましたけど……でも明日からテストですからねっ。弱音は言っていられません」
「……そっか、」
原因に俺がいると考えると少し申し訳なく思えてくる。
だがこんなことやめろ、なんて俺が言い出せばまたジェラシー爆撃を喰らいそうだし、その上で身を呈すことができるほど俺はお人好しではなかった。
「まぁ、あんまり気を張らずにやろう。疲れてるなら無理は良くない。明日がテストだからこそ、根を詰め過ぎないようにしないと」
「…ですねっ」
勉強道具を出しながら、龍樹はにへらという風に笑った。
『気遣ってくださって嬉しい…』
彼女の心の声が確に聞こえてくる。
『……五見さんとなら全然緊張しない。むしろ、とっても居心地がいい…これって─────』
そこで俺は、テレパシーに意識を傾けるのをやめた。
たぶん続く言葉は、俺にとっても彼女にとっても、不都合なものに思われたから。
---
気を取り直して勉強を進め、教え教えられを繰り返すことしばらく。
一区切りがついた時には、時計はまた6時を示していた。
いつもならここで多少の休憩を挟み、あと1時間程度残っているのだが、先ほども彼女に対して言ったように、今日はテスト前日だ。
あまり長いこと勉強するのも逆効果だろう。
「今日はここら辺で終わりにしようか」
「…っ。ですね。明日からが本番ですから、ちゃんと休息を取りましょう」
俺の声で彼女も時計を見た後、同意する。
今取り掛かっていたであろう問題に区切りをつけて、彼女は帰りの支度を始めた。
俺も応じて、ノートやら筆記用具を鞄に詰める。
「じゃあ行こうか」
「そう、ですね」
『今日はもうちょっと話してみたかったなぁ……』
そんな心の声から背中を封じるように、カバンを背負って図書館出入り口へと向かう。
「明日は大丈夫そうですか?」
「ん、そうだなぁ。英語と古文はなんとかなりそうだな。生物がちょっとアレだけど…」
「生物は私が教えたのですから、高い点数を取ってもらわないと困りますからね」
相変わらずの厳しいポーカーフェイスで龍樹はそう言うが、たぶんこれは冗談である。
共に勉強をするうちに彼女の中でも打ち解けてきた部分があるらしく、軽い冗談を言うようになった。
そんな風に仲を深めることが、俺にとって
「わかってるって……、龍樹さんはどうなのさ。明日に限らずとも」
「私は特に心配ありません、この前までは数学が不安点でしたが、五見さんが手取り足取り教えてくださいましたから」
龍樹はそう言って目を細める。
まぁ実際、彼女は数学以外ほぼ完璧だった。その数学だって、ただ経験不足だっただけで数をこなしていったら、満点を取っても不思議ではないレベルにまで到達していた。
龍樹は頭が良いという話は、事実だったようである。
となると、この勉強会が彼女にとって意味のあるものだったのか疑問になってくるが。
「龍樹さんなら、俺がいなくても数学も余裕そうだったけどなぁ」
「そんなことないですよ。もしそうだったとしても、今の状態まで到達できていたかわかりませんし」
「そうかなぁ」
「そうですよ。それに……五見さんと一緒だったから、頑張れたん、ですから」
彼女はそう言って、また悪戯っぽく口角を上げた。
「また妙な冗談を言うようになったもんだね」と、もし今テレパシーが無かったらそう言っていた、あるいは思っていたかも知れない。
「……そっか」
でも今の俺は心の声が聞こえてしまうから、そんな風に適当な相槌を打つことしかできなかった。
龍樹もそれを受けて、少し口をつぐみながら「はい」と肯定することしかしなかったので、俺たちの歩く薄暗い廊下にはまた、妙な空気が漂った。
そしてそのまま、校舎の玄関に辿り着いた。
専用の下駄箱を開いて靴に履き替える。
出席番号の関係で、斜め後ろで同じく履き替えている龍樹の存在を、妙に濃く感じながら、俺はひと足先に昇降口をくぐる。
最近は暗くなるのも遅くなり始めたが、それでも空は仄暗く染まっていた。
「行きましょうか」
黒いローファに履き替えた龍樹の言葉に「うん」と控えめな首肯をする。
昇降口の屋根から抜け出して、暮色というには暗過ぎる空の下に足を踏み出した。
その刹那────。
「っ、うん?」
頭上に、冷たい感触が走った。
そして、じんわりと頭皮にその感覚が広がっていく。
弾かれるように上を見上げると、まさにそれを待っていたかのように。
なんてタイムリーで、不都合なことだろう。
無数の水の粒が、暗がりより降り注いだ。
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