第24話 隣、胸騒ぎ


 吸血鬼というあまりにフィクションな生物が存在し、それらと人間が対立する現代世界。主人公の男子高校生は、何の因果か隣の少女がその吸血鬼であることを知ってしまい、妙な関わり合いになっていく。


 その中で彼らは、徐々にお互いを知っていき、そして惹かれ合う、合ってしまう。

 そうこれは、対立する種族による禁断のラブストーリー──。


 

 と、いうのが龍樹に勧められたこの小説『隣のヴァンパイア』のあらすじだ。


 なんともベタベタなストーリーだが、まぁそれはつまり無難に良い物語というわけで。

 もとより読書が嫌いではない俺は、すぐに読み切ってしまうことができた。


 たしかに龍樹が言っていたとおり、小説という媒体でしか表現できない部分も多かった。

 特に終盤の繊細で移ろいでいく心理描写は、実に映像や芝居で表現するのが難しいであろうと思われる。


 まぁそこは、役者達もプロだろう、なんとか上手いことやってくれると思う。


 

 フーッと息を吐きながら、俺はボロ臭いベッドに身体を沈ませる。


 久々に一冊を読み終えたが、そこそこ面白かったな。展開はまぁ読めてしまったけど、それでも及第点以上のクオリティはあった。


 体を起こして、もう一度小説の表紙を見てみる。


 この物語のヒロインである吸血鬼「ルージュ・レイオール」が描かれた表紙。


 彼女は、クライマックスで他の人間にヴァンパイアであることがバレ、吸血鬼側からも人と恋をしたということで排斥される。

 主人公と共に各地を逃げ回っていくが、最終的に吸血鬼狩りとやらに捕えられかけ、主人公諸共能力で行動停止にさせて去っていく。


 あの場面で、問答無用で全員殺せるのにそうしなかったのは、主人公との関わりで人間に情が芽生えたのか。失踪してしまって答えはもうわからない……というなんとも有耶無耶な終わりを迎える。


 

 こんないかにもフィクションであるキャラクターに、どうも龍樹が重なる。

 いや、ただ既視感というか親近感というかを感じるだけで、実際に龍樹を幻視しているのかは不明である。


 重なる理由もわからない、強いていえばギャップとかその辺りだろうか。


 人間じゃなくて実は吸血鬼でした…とかの話ではなくて、このルージュというキャラクターも、龍樹と同じように心の内外で差を抱えているのだ。

 表向きでは人当たりのいい優等生だが、後ろ向きは性悪ツンデレ小悪魔系。龍樹ほどとはいえないが、表裏の差の激しい人物である。


 あとは…、見た目か?髪色とか眼の色とかは全く違うけど、なんとなく、龍樹が吸血鬼になったらこんなだろうと想像できる。自分でも逸れた発想だと思うけど。


 思い当たるのはこれくらいだが、でも理由はこれだけではないような気がするするんだよな。

 

 まぁテスト前の龍樹の熱烈なプレゼンもあったから、どうにも結びついてしまうのかもしれないが。



---



『やっ、怜くん』


 呆けたように天井のシミを見つめていると、不意にハッキリとしたテレパシーが脳に送り届けられた。


 こんな呑気な口調に覚えがあるのは、千紘かあの人くらいしかいない。千紘がこんな休みに訪問してくるわけも、また俺の家を知るわけもないので、相対的に後者であることは確定だ。まぁ声質でわかってたけど。


 …にしても、そういえば今週はまだだったっけか。


 のっそりとナマケモノのごときモーションでベッドから降り、玄関の扉へと向かう。


「…何も、こんな夕方に来なくたって」

「まあまあ、君にちょっと用事ができたもんでね」


 いつもの薄っぺらい調子で大家は家に上がり込んだ。もう陽は落ちきっているというのに、赤縁のサングラスをかけて。


 一応生活の確認係だけあってか、キョロキョロと部屋中を見て回る。


「ん〜?キッチンが全然使われてないようだけど、ご飯ちゃんと食べてる?」

「食べてますよ。………コンビニとかで」

「かぁ〜〜っ、いかんなぁ。食べ盛りの若者がそんな偏ったもんばかり食っちゃあ」


 わざとらしく額の辺りをペチペチしてみせる大家。ぐうの音もでない正論なので何も言い返せない。

 ただ仕方ないだろう、料理道具なんてものはこの家にないのだから。


「あ、なんならアタシが料理してあげようか」

「絶対やめてください。部屋が滅びます」


 彼女の突飛な提案を即刻で却下する。

 大家の料理のウデは、どうしてそうなるのか疑問に思うくらい破滅的だ。火を使えば文字通りにダークマターができるし、茹でてみれば王水的な何かが多分できあがる。


「ちぇっ、つれないな」


 大家は残念そうに口を尖らせて、どっかりとベッドに座る。それでもベッドはあまり軋まない。酒豪なくせに、彼女は少しガリガリ過ぎるような気がする。


「で、俺に用事ってなんですか」


 俺も椅子に座って、本題を切り出した。


「お、もう聞いちゃう?知りたがりだね」


 ニヤリと口角が上がる。

 …が、黒いグラスの奥にある眼は、笑っていない。どころか険しさすら覚える。


「今、テレパシーは機能してるよね?」

「?、まぁ」


 何の目的かこのヘンテコ能力が動いているかを再確認すると、大家はおもむろに立ち上がって、こちらに何かを渡してきた。


「…」『これを見てよ』

「っ、」


 口頭で喋らない。俺のテレパシーに語りかけてきた。

 差し出してきたのは一通の茶封筒。もう彼女が中身を見たのか、封は閉じられていない。


 ただならぬものを感じて、俺も正体を聞かずに黙ってそれを受け取る。


 中身に入った手紙らしきものを開くと、そこには。



[追手が向かった。日時は不明。到着してるかも不明。能力持ちアリ。潜入可能性あり]


 

 デジタルで打ち込まれたと思われる、端的な文章が書かれていた。



 額に汗が滲む。

 予想よりだいぶ早い。そんなに大人気だっただろうか、俺は。


「だから…、喋らないんですね」

『バレたら大変だ。誰かに聞かれるかもしれない』

「ここに居て聞かれるのはジャガさんくらいですよ」

「それもそうかも」


 くだらぬ冗談を言ってみせるが、正直笑えない。

 これだと、プランがだいぶ早まる。


「じゃあもう口で聞くけど、怜くん、最近何か変わりはない?」

「変わり…」

「何か少しでも異変があったら、もう準備が必要だ」


 先ほどまでのあっけらかんとした雰囲気が吹き飛び、昔に戻ったかのようなオーラを漂わせる大家。

 少し気圧されながらも、ここ最近を回想する。


 …が、回想するまでもなく、最近、変わりはありまくりだ。

 クラスメイトに悪目立ちすることも、目の敵にされることも。


 そしてそれらは、すべて龍樹に起因する。


 だとするとその異変というのは、「龍樹と関わった」ということ?


 ……しかし、俺はどうにもそう思えない。俺にテレパシーというものが無ければ、あのクールミステリアスな雰囲気に呑まれて疑っていたかもしれないが、ある以上、彼女を連中の人間だと思うことはできない。


 まさかわざとピンクい妄想をして、油断させるようなことはするまい。


 ……結局何の根拠も無いのだが。


「……いいえ、特には」


 しかしそれでも、俺は異変の存在を否定した。彼女に……絆されたというわけではない、だろうに。


「そうか…、じゃあとりあえず警戒はしておいて。これからやってくるかもしれない。いつでも逃げれるよう準備はしておくから」


 大家は物憂げな顔でそう言う。つられて部屋の空気もどこかどんよりとし始める。

 ただ、明るくしろと言うのも無理な話だ。


 

 居た堪れなくなって、机の方に向き合う。

 

 机上に目を落とすと、ルージュの紅い眼と視線がかち合ったような気がした。

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