第25話 まるで


 連中の魔の手が迫らんとしていることがわかったとて、俺にできることはそれほど多くない。逃亡の手立てとか情報収集とか、いろいろやるべきことはあるものの、そういう類のことは俺よりも大家の方が得意だ。


 そもそも踏んできた場数が違うだろうしな。逃亡する場数を多く踏んできたという言い方はなんだか怪しい感じがするけれど…まぁ実際そうだから仕方がない。


 まぁ、そういうことだから、今の俺のマスト事項なのは最低限の準備と、やるべきことを消化するということだけだ。


 そして今日はその、やるべきことのひとつを行う日である。


「おはようございます、五見さんっ」


 駅の歩行者用デッキから、行き交う自動車たちを意味もなく見つめていると、横から龍樹の声が聞こえてきた。


 相変わらず平坦で感情がないかのようなトーンだが、よーく聞けばわかる。言うなれば意気揚々という感情が、その声には乗っていた。


「おはよう、今日はご機嫌だね」

「当たり前じゃないですか、ようやく待ち侘びたこの日ですよ?」


 そりゃそうだろ!というささやかな抗議と共に、今日という日をどれだけ楽しみにしていたかわかる目の輝きを見せた。


「『なりヴァン』の新たな境地をしかと目に焼き付けなければっ」

「ははっ、そうだね」


 使命感にも似た何かを醸し出す彼女に、少しだけ笑みをこぼした。



 今日は、彼女の好きななりヴァンもとい『隣のヴァンパイア』舞台の初回上演日である。

 わざわざこうして行き慣れない都会の駅に居るのも、高いチケットを取ったのも、全てはそのためだ。


「龍樹さんは、舞台とかよく観るの?」

「そうですね……。小さい頃、親に連れられて観に行ったことはありますが…、ここ数年は全くですね」


 ところどころお嬢様気質なところがあるので、舞台を観に行ったことくらいあるだろうと思ったがやっぱりか。

 

「なので原作との比較という視点以外にも、純粋に舞台を楽しもうと思ってます」

「俺も、あんまり観たことないしそうしようかな」

「そうですね。……ふふっ、慣れないもの同士、いろいろ分かち合いたいです」


 龍樹は、にこやかに表情を柔らかくする。普通の人がこんな一面を見てしまったら、たぶん100人中100人が恋に落ちてしまうのでなかろうか。


「……劇場に行くには、まだ時間がありますね、少し辺りを散策しませんか?」


 言われてスマホの時計を確認してみるが、たしかに開場時間より1時間半ほど早い。何が起きてもいいように余裕を持たせたのだが、少し早すぎただろうか。


「そうだね……っていっても、俺、この辺のことあんまり知らないな」

「私もですよ、こういうのは知らないからこそ楽しいんです、多分」


 多分…ってのは、これもやはり経験のないことだからだろう。でも確かに、何も知らないからこそ得られる発見の喜びというのは、あるのかもしれない。


「そういうことなら…、とりあえずぶらぶらしてみようか」

「はいっ」


 俺がそう提案すると、龍樹は待ってましたと言わんばかりに嬉しそうに頷く。


 今は一応、平日の真昼間。忙しなく改札に吸い込まれていく人々を横目に駅を出て、周辺を散策することにした。



---



「やっぱり、人が多いですね」

「まぁ平日ったって、都会だしね」


 龍樹のいう通り、右も左も前も後ろも人、人、人。隣に並んで歩いているが、油断したらすぐにハグれてしまうのではなかろうか。

 劇場に向かう時は、少し余裕を持って行った方がいいかもしれない。


「五見さん……、う、腕を借りても良いですか?」

「腕?良いけど」


 どういう意味なのかを瞬時に理解できないまま了承してしまう。そしてその意味を理解できた頃には、理解できぬ状況に陥っていた。


「えっと……龍樹さん?」

「は、はぐれてしまったら大変ですのでっ…」


 状況をそのまま説明すると、龍樹は俺の右腕に抱きついていた。


 呼びかけると間髪入れずに理由を捲し立てたが、百歩譲ってそれなら手を繋ぐだけで良いんじゃないか。とツッコミたくなる。

 それに、視線もキョロキョロと泳ぎまくっている。どう見ても冷静ではなく、表の龍樹らしくない行動だが。


『す、すごく近い…っ、体温を感じますっ……』


 心の中はやはり冷静ではなかった。ピンク、というか純粋に恥ずかしいような気持ちのようだ。

 じゃあなんでそんな行動に出たのかなんてことは、触れないでおこう。どっちみち、俺には応えられない話だ。


「あ〜…うん、じゃあ、このまま行こうか」

「っ、はい…」


 人混みの中で立ち止まり続けるわけにも行かず、抱きつかれたまま歩みを進める。龍樹も、一瞬だけびくりと体を震わせたが、応じてそのまま歩き始めた。


 人の多い通りを歩くんだから当然だが、ぴったりくっつかれているのと感情の制御やら何やらで、歩きにくいことこの上ない。いやまぁ別に何か支障が出るほどじゃないのでいいのだけども。


「こ、こうして歩いていると……カ、カップルみたいですね……」

「龍樹さん?聞こえてるからね?」

「えっ、えと、冗談ですよ…っ」


 ポーカーフェイスが崩れている。にへらという風に笑みを浮かべているが、耳の先端が火を通したみたいに真っ赤になっている。


 前言撤回しよう。全然支障出るなこれ。表に出してないし、薄いのも自覚しているけども、俺にだって気持ちのひとつやふたつ抱えている。


 こういった、龍樹の少し熱っぽい呟きが聞こえてしまうし、熱烈なテレパシーも届いてしまうし、本当にやりづらいったらありゃしない。


 

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