第23話 難儀、二人再び


 テレパシーによって悩ましい思いをすることはこれまで幾度と経験したし、これからもそうなのだろうが、殊更ことさらこの能力を恨みたくなるのは今のような状況だろう。


『あれ、drinkの過去形って a だっけ…?いや u か…?』

『やべぇ、全っ然わかんねぇ…』

『(2)の答えはアだな』

『よし、(2)はウか』


 ……うるせぇ、うるさすぎる。


 私語やら雑音やらは限りなく排除され、この教室はただ筆記用具が躍動する音だけが響くものであるはずなのに、俺からしてみればスクランブル交差点のど真ん中に立っているような気分であった。英語のリスニングなんて聴けたもんじゃない。


 無視しようにも問題関連の思考が全てであるために、どうしても脳がキャッチしてしまう。末に様々な選択、答えを提示してくるものだから、いちいちかく乱されてたまらない。


 そんな思考の渦にもがきながら問題と格闘することしばらく。


『ふぅ、終わりか』

『終わったけど…、文法ちょっと怖いな。見直ししよ』


 妨害はありながらも、皆が解き終わろうかというタイミングで俺も答えを書き切ることができた。「解き」切るではなく「書き」切るなのは、まだ怪しい部分があるのもそうだが、ほぼ他の人のものも……あったからだ。


 実に釈然としない。


 テレパシーに邪魔されてはいるものの、これのおかげでニアミス、ケアレスミスで落とすはずだった問題を掬うことができたわけだ。


 カンニングを平気でできる精神はしてないが、要因はどうあれ気づいたミスをそのまま放置できるわけでもない。


 不可抗力のアンフェア。

 恩恵を受ける側ではあるが、まったく、気分が悪くなるものである。



 なるべく精神を研ぎ澄ませながら見直しに努めていると、不意にまた、テレパシーが気にかかる。


 しかし、問題に直接関わるようなものではなかった。

 その内容は


『こ、これってpen is……だ、よね。でで、でもこれ……peni───』


 深く考えなくても、このテレパシーがであることは瞬時に見当がついた。


 なにやら、ナニやらについて考えているらしい。


 成績を決定づけるテストで、このような桃色思考をできることは甚だ天晴れであるとと言いたいところだが…。


 しかしあながち、大それた思考でないことにも気づいた。


 問題用紙に目を落としたところちょうどに、誤植があったのだ。


[This penis bought by him]


 …うん、まぁ。

 これは俺がテレパシーという雑音で注意が鈍くなっていたからかもしれないけど…。


 ずいぶんと洞察力がよろしいようで。



---



 他人の思考によるかく乱はあったものの、俺だって伊達に10余年間このテレパシーという能力と付き合ってきたわけではない。

 

 3時程4日間という長丁場のテストをなんとかこなすことができた。


 三日目からテレパシーの調子が良かった……つまりは機能停止してくれたおかげで、後半はだいぶ気楽な気持ちで臨めたのも幸いだ。


 手応えも上々であるため、これといって特筆して語るべきこともなかった。



「それは良かったじゃないですか」


 は人形の頭が傾くみたいに頷いた。


「ま、実際どうなるかはわからないけどね」


 背中をソファ質の背もたれに沈ませ、何の気無しに答える。



 俺たちがいるのは、1週間、勉強会を行ってきた図書室である。


 全てのテストが終わった四日目に。何故かまだ、俺たちはこうして放課後に落ち合っていた。

 

 もちろん、俺が率先して提案したわけではない。発端は龍樹からだった。


 今朝、実に珍しく俺のスマホが着信を報せると、ホーム画面には彼女からのメッセージを受信したことが記されていた。


 若干警戒しながら開いて見ると、内容は「放課後、図書館に来てもらえませんか」という、目的も何も説明がないお願いであった。


 木更の件もあって身の振り方に気をつけようと思った矢先で実に悩ましくはあった。


 ……が、断った時彼女がどう反応するか。気にしないなら気にしないでそれでいいが、もし凹んだりなんだりした場合、小判鮫のごとく龍樹に付き従う木更は、敏感にそれを察知するだろう。

 そうした場合、真っ先に疑われるのは俺に違いない。彼女の中で、俺と龍樹が親しいという認定がある模様だし。


 ゆえに無碍にすることもできず、こうしてまた図書館にやってきているというわけだ。


「それで、今日はどういったご用件があって?」


 しかし未だ、この会合の趣旨が不明な現状。


 沈黙を見計らって、俺は切り出した。合流してやや早々ではあるが、無闇に長居する意味もない。


「そうですね、本題に入りましょうか」


 そういうと龍樹は、おもむろに自身の鞄から何かを取り出す。

 そしてそれを、まるで丁寧な所作で俺に差し出してきた。


「……これは」

「はい、『なりヴァン』です」


 彼女の好きな小説『隣のヴァンパイア』であった。


 前回見た時よりも、紙やら表紙がしなやかさを増していた。

 この短い期間でもまた、柔らかくなるくらい読み込んでいたということだろうか…。


「確か、劇場の方は…来週あたりだったよね」

「そうですね、来週の土日です」


 舞台は、ちょうど明日からの採点期間という名の休みの期間に開演される。


 龍樹とは、この小説の舞台を観る約束をしていたし、ちょくちょく舞台についての連絡も取っていた。


 が、リアルでは直接会話する機会がほとんどないため、こうして話すのはあれ以来だ。


「それにあたって…、ぜひ、原作を読んでいただきたいのです」

「…原作を」


 実にもっともな提案だ。

 観る前に原作を読むことで、舞台の理解が深まるだろうことはなんとなく予想できる。


「この作品、言葉の選びやら表現が独特なんです。舞で表現しきれていなかった時の補完が必要かな、と」

「なるほど……、たしかにそれは一理ある」

「はい、なのでぜひ」


 龍樹はずいっと、やや身をこちらに乗り出して、机に置いた小説もまたこちらに近づけさせる。

 顔が近くにきて少しギョッとするが、持ち直して机上の『なりヴァン』を手に取った。


「…いつ返せば」

「では…、舞台上映の当日にしましょう」


 本当にギリギリまで。


 まぁ実際に会うから丁度いいというのもあろうが…、その上でこの作品を知ってもらいたいという気概が感じられる。



 手に取った、この小説の表紙。

 赤目、白髪、鋭利な牙を持つという、おそらくこの少女がヴァンパイアなのだろうが…。


 外見は似ても似つかないのに、その美しさはどこかを彷彿とさせていた。

 

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