第28話 感無量
「良かった…、本当に良かったです…」
演劇が終わり、緞帳が降りて灯りがポツポツとつき始めても、龍樹の目尻にはまだ雫が溜まっていた。
先ほどの劇を反芻するかのように、噛み締めるかのように、溜め息にも似た簡素な感想を漏らしている。
「そうだね……。結末は知っていたのに、それでも泣かされてしまったよ」
「……はい、そうなんです。結末を知ってても感動できてしまうんですっ…」
彼女はハンカチで目元を拭いながら、俺の感想にしみじみと相槌を打つ。良い作品を共有できた時、多分人間は誰しもこうなるのではないだろうか。
ようやく落ち着いたのか、ふぅと一息ついてからこちらに顔を向ける。
「ちょっと言葉を選び直したいですね。あまりにも良い劇だったのでつい語彙力が低下してしまいましたが……そのですね……そうです、とても良かったんです。演技も、演出も、構成も───」
それでもまだ興奮冷めやらぬ思いなのか、語彙は小学生でももっとマシなレベルになっている。
が、それでも充分気持ちは伝わった。
「あぁ、本当に」
テレパシーで彼女の感情を適切に代弁してやる手もあったけれど、それはやらない。
思考が錯綜しているのもそうだが、この作品の推定大ファンな彼女の感想なんて、素人の俺が代弁できるわけもないのだ。それに代わりに言葉にするというのはなんだか彼女の、作品への姿勢を邪魔するような気がしてしまう。
そういう思考を経て発された俺の言葉に、彼女は口角を柔らかく上げた。感動を共有するというのは、大層に説明なんかしないでも、これくらいで良いのだと俺は知った。
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「良かったら、もう少し話しませんか?」
まぁそれはそれとして、人間にはもっと具体的にこの感動を語りたいという感情もあるみたいだ。劇場を出て、しばらく沈黙の中で歩いていると、不意に龍樹はそのような提案をした。
前を歩く俺の右腕袖を掴み、もじもじとでも擬音が飛んでいそうな雰囲気を纏う彼女。何度も言いたくなるが、こんな仕草を取られて断る男がこの世にいるのだろうか。
「もとより、そのつもりで誘ってくれたのかと」
さも当然と言うふうな表情と口調で答えると、彼女は一瞬目を丸くした後、少しだけ恥ずかしそうに頬を朱に染めながら、困ったように笑った。
「ふふ、バレてましたか」
「君の思考は単純だからね」
「……む。実は、私もわかってましたよ。貴方なら絶対行ってくれるだろうなって」
「ふぅん?」
どこで張り合ってるんだソレは。
と。まぁ、そんなふうに軽口を叩き合いながら、俺たちはとりあえず、駅近くへと向かった。
都会なだけあって、必要な施設というのは大概揃っている。カラオケ、ゲームセンター、ボウリング場から本屋や映画館に喫茶店。果ては小洒落たカフェやバーなんてのも。
もちろん俺たち高校生が利用できるくらいの安さで、かつゆっくりとお喋りできる場所というのは、それなりに絞られてくるのだが。
「どこかちょうど良いカフェか何かは…」
何かしらあるだろうとやってきた駅近くの大型商業施設にて、俺は辺りを見回しながら呟く。なんだか田舎者っぽく思われそうだが、施設案内図が見当たらないので仕方がない。
「……で、ではあそことかはどうでしょうか」
袖をくいっと引っ張る彼女が指差す方向へ、俺も視線を向ける。
そこには意外にも、世のJKからスタバと略称されるカフェチェーンがあった。「意外にも」というのは、別にスタバの存在が珍しいとか思ったわけではなく、彼女自らあのチェーン店を提案したことについてである。
なんとなく俗世離れした雰囲気を纏っているので、少しだけゆくりないと思ったのだ。いやまぁ、あくまで雰囲気だけであり、実情は煩悩まみれで俗世にドップリ浸かっているのだが。
「えっと、嫌ですか?」
彼女は俺が何も言わないことに不安を覚えたのか、眉尻を下げる。根っこは本当に綺麗そうだな、こいつ。
「いいや。どこにでもあるけど、そんなに入ったことないなって」
「そうなんですか?実は私もあんまり、というか全くで…」
少しだけ居心地悪そうに肩を竦める龍樹。まぁ行かない人はとことん行かないような場所な気もするので、不思議ではないけども。
「皆さんにお誘いいただくこともありましたが…、あまり心安らげる気になれず、かといって一人で入るのも…という感じだったんです」
……なるほど?世の高校生が何が楽しくてあのカフェに行っているのかわからないけど、馴染めていない友人と行くにはハードルが高いのだろうか。
まぁ仲良くないなら、どこ行ってもそうかもしれないけど。
「じゃあ、行ってみようか。俺もだいぶ久しぶりだし」
店内はそれほど混んではいなかった。ずっと誰かしらによって席が埋められてる印象だったけど、案外そういうわけでもないのか。
店の端っこにある二人席を確保してから、奥のカウンターに並ぶ。
「こういう店って、本当に人を悩ましくさせるのが得意だな」
朝のクレープ屋もそうだけど、メニューがめちゃくちゃ多いし商品名もやたら冗長だ。こんなの決めるにも決め切れないだろ。
「五見さんが優柔不断なだけなのでは…?」
図星な発言を、俺は無視する。
もっとも、本当に無視したと思われたら困るので、あからさまに口をへの字に曲げてみせた。こういうのが関係に齟齬を生むのを防ぐと俺は思っている。まぁ、今更そんな配慮したところで…ではあるが。
「……では、私とおんなじ、これにしませんか?」
彼女がメニューの中で差したのは。
「クリームストロベリーショコラ?」
どこかで聞き覚えのある名前だ。まぁ単語自体はいくらでも聞けるものなのだが、この並びには覚えがあった。
「たしか、新作なんだっけ?」
「そうですね、……まぁ話題は過ぎてしまいましたが」
テスト前だったかいつだったか、女子が話しているのを聞いた気がする。
なんか、甘ったるい感じのやつ。
「うんいいよ、それで」
特に飲みたいものもなかったので俺は彼女の提案にそのまま乗っかる。龍樹はふんわりと嬉しそうに笑った。
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