第27話 感動



 変にドギマギしてしまったクレープ屋の一連の出来事を経た後、俺たちは目的の劇場へとやってきていた。あの間接接触以降、妙にクレープが甘ったるく感じられたのは気のせいではあるまい。


「わりと早くに来たつもりでしたが、案外席が埋まるの早いですね」


 指定された席へ向かわんと階段を降りていると、龍樹が軽めにそう呟くいた。


 たしかに、開場から5分程度後、開演まで40分ほど余裕をもって来たというのに、7割くらいの席で既に人が座っていた。こういう場に訪れたことなど一度もないので相場がどれほどなのかはわからないけど、かなり早い段階で人が集まっているのではないだろか。


「まぁ、みんな考えてることは同じなんだと思う。席が埋まると自分の席に辿り着くのが面倒になるし」

「確かに…、そうかもしれません」


 もっともという風に彼女が頷いたちょうど、ようやく指定席に到着した。俺が奥寄りなため先導して席に着く。


 ふかふかな椅子が降ろした腰を受け止める。実に快適ではあるのだが、逆に落ち着かないな。演技中に眠ってしまわないかも心配であるが…、まぁ致し方ないだろう。


 開演までの間、彼女はパンフレットやら原作小説やらをパラパラと捲っていた。

 暇で手持ち無沙汰なのか、あるいは沈黙の気まずさゆえなのか。何か話題を切り出そうと思ったが、しかし彼女の表情と心情を読み取ってやめる。


 ずいぶんと真剣な表情であった。まるで強大な相手との戦いを目の前にして入念な準備を進める戦士みたいな様子だった。


 テレパシーからもその本気?さを読み取れる。小説のストーリーや舞台の演出を脳に巡らせて、さまざまな考えを錯綜させている。


 これが龍樹なりの作法なのか、常識的に劇を見る上で必要なことなのか俺にはしれない。だがまぁ、無駄に邪魔をする必要もあるまいし、素人は大人しく準じていようと思う。


 そういうことで、それぞれ資料や小説を読んだり捲ったりすることしばらく。


「本日はご来場いただき誠にありがとうございます。開演に先立ちまして、お客様に────」


 芯の通った、ハキハキとした男性のアナウンスが頭上から聴こえてきた。


 俺と龍樹は特に意味はなかったが互いに目配せし合って、手元のモノをしまっていく。

 そして間も無くして、少しずつ会場内の灯りがポツポツと消え始める。

 

 客席に静かな緊張が漂う。現実とフィクションが混在する瞬間である。こういう時こそテレパシーが消えてほしいと思うのだが、まぁ我慢しておこう。

 

 真っ暗闇の中、舞台に小さな光が宿るとやがて、緞帳が上がり、物語の始まりを告げた。



---


 

 別にこれは、自分を特別な存在だと思っているわけではない……いや、テレパシーというヘンテコな能力がある以上言い切ると嘘になってしまうのだが、まぁソレを誇ったり高尚なものだと思ったりしているというわけではないことを念頭に置いておいてほしい。


 俺はあまりというようなことがない。ここでいう感動するというのは、感銘を受けたりエモーショナルな気分になったりすることの限りではない。悲しいとか驚きとか、そういうのを含めて感情を動かされることである。


 昔は人一倍に感情豊かだった覚えがあるのだが、まぁ人間いろいろあるというもので、いつ頃からか……まぁ大体アタリはつくけれど、その時を境に相当なこと以外では大きく心を揺れ動かされることはなくなった。


 人の感情には敏感なのに自分の感情は薄いだなんて、とんだ皮肉なものだな。


 ……まぁ、だからなんだという話ではあるのだが、つまりは、俺はこの舞台に「あぁ面白かったな」とか「ここ凄かったな」とか、誰でも言えるような感想しか抱くことができないと思っていのだ。


 

 演劇は、クライマックスに差し掛かろうとしていた。この物語で最も盛り上がるであろう場面、そして龍樹が最も楽しみにしていて、同時に不安も抱えていたであろうシーンだ。

 

 おさらいをしておくと、『隣のヴァンパイア』における吸血鬼と人間は、古くからの対立関係にある。ゆえに、その対立を超えて恋に落ちてしまった主人公とヒロインことルージュを、世界は許すはずもなかった。


 日本中、世界中を飛び回り、それでも気休めにならない逃亡劇を繰り広げるのだが、人間である主人公は怪我やストレスによって次第に衰弱していってしまう。


「もう……、貴方が弱るところを見たくないっ……」

「僕は…、俺はっ、君を独りになんかさせない…。あの日そう誓っただろう?」


 貴方を連れて行くことはできないというルージュ、死んでも君と添い遂げると言う主人公。お互い涙でぐちゃぐちゃになりながら口論する、作中屈指の名シーン。どこからかも、啜り泣くような声さえが聞こえてくる。


「おい、いたぞッ!ここだッ!」


 そしてその感動に水を差すかのようにやってくるのが、吸血鬼狩りという連中だ。

 演劇特有の誇張した登場をした彼らは、主人公らの隠れ家をたちまち占拠してしまう。


 ルージュを狙う特攻隊の間に、衰弱しているのにも関わらず、心許ない拳銃を握って立ち塞がる主人公。ここもまた名場面だが、その次が物語の最高潮。


 ヒロインは主人公を眷属化し、命令で意識を失わさせる。そしてその命令には、自分のことを忘れるというものも。消えゆく意識の中、必死にルージュの名を呼ぶもののの、次第に遠のいていき。


 優雅に飛び去って行く彼女を眼に収めたのを最後、場面は暗転する。最愛の人に、身を切らせてまで助けられ、遂には記憶をも失ってしまうという悲しい終わり。

 そこからはエピローグの後日談であるため、詳細は省こう。


 

 このシーンが演じられる頃には、涙で湿度が上がっているのではないかというくらいに、観客のほとんどが目に雫を浮かべ溢れさせていた。


 俺もまた、感情を悲しいというようなもので埋め尽くしていた。別に感情が皆無ではないということだ。……が、それを感動というのかは甚だ疑問ではあった。どこかでフィクションだと一線を引いているからかなんなのか、涙として感情を呈するほど心は動いていなかった。



 では彼女は、龍樹はどうだっただろうか。


 相応なクオリティではあったと思うので、がっかりしている…ということはないだろうが。少しはあのポーカーフェイスも緩むくらいの感動はあったのか。


 舞台上で主人公の語りがなされる中、俺は彼女の方を見やる。

 視界に、龍樹が映る。俺は強烈な変化にすぐに気づいた。


 一本一本が上質な糸のような髪は、変わっていなかった。


 私服の袖から伸びる純白な四肢は、何も変わっていなかった。


 神様の思し召しかと思われるほどの美形顔も。周囲に醸し出すオーラも。


 何ら変わりはしていなかった。



 ただ変わっていたのは、彼女のだったのだ。



 ここ少しの関わりで、彼女が冷徹な脳内ピンクマシーンではないことはわかっていた。人並みに笑うし、人並みに喜ぶし、人並みに悲しむし、ただそれが極端に表情に出にくいというだけであることも、わかっていた。


 だけど、今の龍樹を見て、俺は硬直してしまった。こういうのを、「息を呑む」というのだろうか。


 ボロボロと涙を溢れさせ、あの研ぎ澄まされたような目つきは慈愛と悲哀と同情でしなやかに優しげになっている彼女を。


 俺は見入ってしまっていた。


 恋に落ちるとか、そういうチンケな表現はしたくない。だが、感情を読めるくせに、この感情を表すのに最適な言葉を俺は導き出すことができなかった。



 だから、唯一ハッキリと言えるのは、俺はしていたのだった。


 

 そしてこの物語の結末が、いかになるかということも同時に悟ってしまうのであった。

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