第29話 感想戦、志
「───で、ですよ。ルージュがツンデレを発揮するシーン。あそこの、彼女の純情さというか、ままならさというか……、そういう魅力を完っ璧に再現していましたよねっ」
「………あぁ、絶妙な表情があのシーンにピッタリだったし」
「ですよねっ?役者様も、本当に熱心に研究なされたのだと…、節々から感じましたよ」
飲み物を受け取って席につくと早々、龍樹は劇の感想を熱烈に語り出していた。先ほどよりは落ち着いてはいるが、それでも言葉の端々から興奮が溢れ出ている。
頭は良いからなのか回転が早いからなのか、はたまた原作勢特有の洞察力を持つからなのか、劇中表現の機微や力の入れどころを見事に語る龍樹。ここまで熱弁されると、もはや数日前原作を読み始めた程度の俺がついていけるレベルではない。
……だから、俺は少しだけ卑怯な真似をしてみることにした。
『─────』
「えぇっと…、それでいえば、主人公とルージュが一度だけ衝突する時とか、……両者のお互いへの想いをよく表現できてたと思う」
「っ、私もそう思いましたっ。彼の聡明さと彼女の純真さ、そして衝突の悲しみを声の震えなんかがリアルでしたよねっ」
俺の発言に対して、彼女は満足そうに同調してみせる。おおかた予想通りの反応を見せてくれた。
人間というのは、感想が合致すると妙に仲間意識というかそういうものを抱きがちになるらしい。意気投合、というのがまさにそれを表しているか。
だから俺は、テレパシーを使って龍樹の発言を先読みし、あたかも同じ感想を抱いたかのように見せかけたのである。おかげで彼女も満足感を得て、俺も妙な風当たりを気にしなくて済んでWINWIN。
これが十余年間に習得した俺の処世術なのだが……、今回ばかりは少し、いやかなり罪悪感が生まれてしまう。
純粋に感想を言い合える相手として、彼女は俺を選んだはずだから。それをまるで騙すみたいに誤魔化すのは、少なからず申し訳なさを感じる。
……今まではそんな気持ち、抱いたことすらなかったのだが。ただ、容易に相手に気に入られることができてラッキー、としか思っていなかったのだが…。
……龍樹には、いろいろと狂わされてしまう。
「…あ、すいません。少し喋り過ぎてしまいましたね」
しばらく彼女の話に相槌を打っていると、不意にバツの悪そうな顔をして肩をすくめた。ふと興奮が冷め始めて、我に帰ったのだろうか。
「…う、ん?い、いやそんなこと」
慌ててフォローしてみせる。
すると彼女は、眉を垂らしたままにへらと口角をあげる。
慌てる俺はさぞ滑稽だったことだろう。笑みの原因はそれによるものではなかったようだが、変に不安がる俺の姿はまるで道化のようだったに違いない。
龍樹は気を取り直したかのように手元のドリンクを口に運んだ。
俺もそれで気づいたかのように、同じく口に粘性の強いそれを流し込む。
苺の甘酸っぱさとショコラのビターな味わい、それをクリームで包み込んだという商品なようだったが、今の俺には妙に酸っぱくて妙に苦くて妙に甘ったるいモノとしか感じられなかった。
沈殿してしまったのかと思い、マドラーでよくかき混ぜる。まさか感情が味に表れるだなんて、俺はまだ知らなかったのだ。
「なんだか、楽しくなってしまって……。好きなものを共有できるのって、やっぱりとても嬉しいものですから。五見さんが居てくれて有り難いです」
彼女はそう言って、照れ臭そうに笑った。今まで見た表情の中で、一番柔らかく、豊かに思われた。
「…」
かき混ぜる手を止め、渦が刻まれたホイップを変に見つめる。
彼女の発言に対して俺は、口を噤むことしかできなかった。心臓が妙に揺れるのと共に、まるで冷たい鉄心でも打ちつけられたみたいに、罪悪感という冷たさが全身を襲った。
君の目の前にいるのは姑息な手を持つ異常者なのだと。誰か、彼女に伝えてやってはくれないだろうか。
---
頃合いを見てどちらからともなく席を立ち、俺たちは店を出た。その頃にはもう日は落ち始めて空が朱く染まっており、都会の雑踏にはおそらく家へと帰ろうとする者が多く見られた。
俺たちもそれに漏れなく、帰路に着こうとしていた。
電車内はやはり混んでいたものの、乗り換えた後は伽藍堂であったため、座席に座りながら悠々と目的地への到着を待つことができた。
「今日はありがとうございました」
シートの背もたれに身を預けながら、彼女は口元を緩ませた。
この車両に乗ってるのは、俺たちと奥の方に見えるのが数人程度。だからか、龍樹の声量にはやや遠慮がなかった。それでも、まるで鳥のさえずりみたいに小さく儚いのだが。
「いいや、こちらこそ。また機会があれば誘ってよ」
社交辞令ではあるのだが、それでも半分は本心で返事をした。
「もちろんですよ」
龍樹もまた、小さく顎を引いて肯定してみせた。夕陽の朱が彼女を照らしていて、一層に美しく輝かしく見えた。これが感情のバイアスがかかっているだけなのか、客観的に見てもそうなのか、今の俺では判断できない。
「……やっぱり、演劇というものは良いですね」
少しの沈黙の後、彼女はしみじみと言った。
「…やっぱり?」
「はい、たしかお話しましたよね。子供の頃はよく観に行っていた──って」
今朝のことを忘れるほど、俺の脳はまだ衰えていない。
「両親の仕事が忙しくなって、私も小学生頃にはめっきり行かなくなってしまいましたけど……、私、多分演劇が大好きだったんです」
彼女の眼差しは、向かいの窓へと伸びていた。ただそれは景色を見ていたのではなく、過去を追憶しているのだと俺は悟る。
「それで、今日を経て……思いました」
姿勢と眼差しが、隣の俺の方へと向かう。
「もし、私が演劇をやりたいだなんて言ったら、笑いますか?」
一瞬、質問の意図を掴みあぐねたが、すぐに察知した。
彼女の眼は、どこまでも真っ直ぐである。何か冗談めかした言動を求めているわけではないだろうことは明らかである。
人間がこのような眼差しを見せる時、大なり小なり何かを決意しているのだということを、俺は知っている。
「…龍樹さんならできるよ」
そんな人間への対応もまた、俺は知っていた。だが、これは単なる処世術の一環で言ったわけじゃない。
いつも鉄面皮で、とても感情なんて表現できなさそうだけど。箱入りで、脳内ピンクで、秀才で両道で美人で、一般的な感性はあまり持っていないかもしれないけれど。
それでも俺は思った。
「今日見た君は、誰よりも感情豊かだったしね」
もしテレパシーなんか無くても、たぶんわかるほどに、彼女は情緒に溢れていた。好きなものに対して、あれほど感情を爆発できる人間は、そういない気がする。
「……、そう言ってくださると思っていましたよ」
口角が上がった。何度も見てきた彼女の笑み。
もはやもう、『感情の凍りついた女王』だなんて呼べないだろう。
「……五見さん」
「…うん」
「莉央って呼んでくれませんか?」
しばらくの間を置いて、彼女はそう言った。あまりの突然の提案に、俺は目を丸める
「なんだか、今日はとても気分が良いんです。それに、」
彼女は言葉を継ぎ足した。
「下の名前で呼び合った方が、より……、より近くなれる気がします」
彼女は視線を外して、少しだけ頬を染めた。
近く、と表現したのは単なる言葉選びではないことを俺はわかっている。しかし、その本来の意図を、俺は受け止めるべきなのかどうか、判断を瞬時につけることはできなかった。
だけど、今はただ、俺自身もそうしていたかった。
「……まぁ、俺のことは自由に呼んでいいよ。莉央さん」
「っ!……はいっ」
満開に花を咲かせるように、彼女は笑みを表情に湛えた。
少し前の俺が見たら、悪手だなんでと言っていたかもしれないが……今は少しだけ、現実に目を瞑っていようと思う。
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