第7話 動転、驚天、心中騒然


 バシャバシャと水が打ちつけるような音が聞こえてくる。

 無論シャワーの音だ。

 先程まで龍樹のいたベッドに腰掛け、その悩ましい音に俺は文字通り頭を抱えていた。


 ……いや、わかってたことなんだがな。

 流石にシャワーのひとつ浴びずに寝るわけにもいくまい。


 まして例の件で彼女は一刻も早く身を清めたいと思ってるだろうし。


 この辺に風呂屋なんてないから、必然的に俺の家のシャワーを借りるのはわかりきっていたことだ。


 だが、いざその状況となると、鼓動がテンポ良く跳ねているのを実感できた。

 

 興味なんてない。だって俺からしてみりゃ猥褻人間だ。そういう展開になる可能性も、する気も微塵もない。


 ない、はずなのにっ…。

 俺もまた男であるということなのか、龍樹じゃないけど、どこかでそういう想像をしてしまっている自分がいる。


「…!」


 ガラリと音がする。

 妙に煩く響いたスライド式の開閉音が、彼女がシャワーを終えたことを告げる。


 その後程なくして、龍樹は俺の目の前に現れた。


「えっと、シャワーありがとうございました。ようやく清められました」

「ぁ、ああぁ。全然。今日は災難だったし────がっ!!」


 恐る恐る彼女の方へ視線を移すと、俺は謎の反射で舌を噛み潰した。


 仄かに紅潮した顔と湿った黒絹のような髪が、艶やかに視界を刺激する。

 男ものということもあって、オーバーサイズとなったジャージのルーズ感が、より一層可愛らしさと言うかなんというか、彼女の魅力を強調していた。


 ……いや俺は何を分析しているんだ。


 これはなんてことない。なんてことないことなんだっ…。


「そ、その着替えもありがとう、ございます」

「ぉぁ、あぁもちろん」


 いわゆる萌え袖となった手で口元を隠し、視線を流しながら龍樹は言う。

 なんでそう狙ったような行動をするんだお前は。


 そんでもって…。


『こ、これが男の子の服なんだ。男の人の…いや、五見くんの匂いが真近に感じるっ。それにサイズも…、すっごく大きいです…』


 何を言ってるんだ。

 何を言っているんだ(舌を噛み潰して)。


 妙な言い方をしながら、龍樹は頬を染める。

 こんなことされて意識しない男がいるだろうか、いやいない。断じて。



 ……そういえば、だが。

 一緒に歩いた時もそうだったけど、随分と表情が柔らかくなってるような気がする。


 学校では鉄面皮の如く動かない表情が、今はコロコロと…というには大袈裟すぎるが、それなりに柔和になっている。


「…なんか、表情豊かだね。いつもはロボットみたいに硬いイメージあったけど」

「私のことなんだと思ってるんですかっ…。まぁそれは、普段はあんまり表情に出ない方ですけど…」

 

 いや、あんまりってレベルではないと思うがな?

 エロ小説読んでウヒョってるときに眉ひとつ動かないのは、そんな範疇ではないと思うがな?


 なんて、直接言えるはずもない。


「いや、ごめん。別に悪口とかじゃなくて、なんというか普段見れない一面だなって思ったんだ」

「…そう、ですか」


 繕うようにそう言うと、また彼女は目線を横に流した。

 

『普段見せてない一面……、見せちゃいけないようなところ…、見せてないよね…!?』

 

 戸惑うように心の声が加速しているが安心してほしい。

 もう全部見せてるよ。


 

 ……なんて言ってやろうかとも思ったが、それもまた直接言えないし、その前に殴られるみたいな衝撃を喰らってまず言えるはずもなかった。


「ぶふっ───」


 口の中の空気が全部吹き出ていく。

 決して鼻血が噴き出たというようなベタな音ではない。 



 授業の時みたいな、テレパシーによって映し出されたのだ。



 その映像を説明するのは実に憚られる。


 強いて言うならば、が浮かんできた…というのが限界か。

 思考するのもはずかしい。


 って本当にそういうところじゃねぇだろっ。



「ごほっ、ごほっ、ん゛ん゛っ」



 吹き出したのを誤魔化すため、誇張して咳払いをする。


「だ、大丈夫ですか?」

「あぁ、うん。あぁ、全然全く問題ない、あぁ」


 くそ、凛とした顔でエゲツナイ妄想しやがって…っ。


 混乱と目の前に本人がいるという状況で、頭が回らない。

 いや、回りすぎたというべきか。


 気づけば俺は、ありもしないようなことを口走っていた。



「と、というかむしろ俺は普段とのギャップがある方が可愛げあって好きだけどなっ」

「……!?」


 あ、おい。しまった。

 口に出してる途中で自分のマズさに気づいた。


 気が動転して要らぬことを…。

 側から見ればいきなり口説き出したキモい奴だ。


 だが弁解もさせてほしい。あんなの見せられたら気なんて動転も動転、部屋中を転げ回るくらいにはひっくり返るぞ。


「っ、いや、その……」


 キモさに拍車をかけるように俺はドモってしまう。


 彼女の表情は無関心9割驚き1割といった雰囲気だが、実際のところは……。


『な、なんで?なんでそんなこと言うんですかっ?好きとか……可愛いとか……え、えぇ?』


 彼女の思考も、支離滅裂に。

 唯一まともな思考として紡がれたものも、困惑を隠しきれない様子だった。


『可愛いとか……え、えぇ!?も、もしかして五見くん私のこと、えぇ、えぇ…!?』


 ない。ありえない。ないはずだ。

 だから、そういうことを言語化して言うのをやめろぉ!


「そ、そのなんだ……」「あのっ」


 これはいけないと思い話題を変えようと口を開いたが、偶然にも龍樹と言葉が被る。

 結果俺は出鼻を挫かれてしまい、情けない声が口から溢れるのみとなる。


「……いえ、すみません。少し動揺しました。そんなことを五見さんが言うなんて」

「は、ははは……。いや、こっちこそごめん。変なこと言って。あんま気にしないでよ本当にさ」


 力なく無理やり笑ってみせるが、彼女の表情はいつにも増してカチコチだった。

 驚きか、緊張か、それともドン引きか。多分最後だ。


 俺は最後の自己防衛として、外にいるときみたいに、テレパシーをノイズとして処理するよう努めた。


 流してくれ、頼む…。


「あの…、五見くんって───」

「ごめん、風呂入ってくるっ」


 また声が被る…が、今回は俺が意図的に被せた。

 もはや同じ空間にいるのが恥ずかしくなったのだ。

 感じ悪く思われるだろうか。



 ……くそっ、10年付き合ってきて、まだこんな事態に陥るか。

 本当にこの能力というのはっ……。



 と、自身の体質に悪態をついたところで、そういえば風呂場は彼女が利用した直後である事を思い出した。

 また変な意識をしてしまって、洗面所の鏡に、情けない俺の姿が映ることとなった。


 


 

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