第33話 耳鳴りと岐路



「えっと───」

「奇遇、ではないよ。じゃなきゃわざわざこんな鬱蒼としたところなんて来ない」


 何か言おうと思ったが、すぐさま被せられた。

 言ってることはもっともで、わざわざ用を足すために少し離れたこんなところには来ないだろう。


 と、なれば目的はひとつに収束するわけで。


「俺に、なんか用…?」

「まぁ、そういうことだねぇ」


 碌なことではないだろう、目一杯に警戒心を見せる…が、木更は満足そうに頷いていた。


 いつも怪しいけれど、今はより一層に胡乱な存在に感じられる。いったい何が目的だと言うのか。


「ちょっと話したいことがあってさ。なんていうの?恋敵として」


 そう言いながら一歩を踏み出してくるが、俺も同時に一歩後退る。感じた不信感に従い、何も話すことなどはないという雰囲気を全面に出した。


 それを見て一瞬怪訝な顔をしたが、すぐにいつも通りの不適な笑みを浮かべて、いつもの調子で続ける。


「まぁ、それなら私が勝手に話すけど…、いやちょくちょく答えてもらいたくは思うけどね」


 そう前置いて、木更は話を始めた。


 鼻につくような言動と、大袈裟な身振り手振りでくだらなく思われたが、しかしどこかで、聞き逃してはならないよう雰囲気を醸し出していた。


「君ってさぁ、莉央ちゃんとずいぶん仲が良いよね。ホント嫉妬しちゃうくらいには」


 出鼻から、妙に刺々しい内容である。


 近くに龍樹はおろか人もいないからといって、そこまで攻撃的になる必要があるだろうか。


「実は私と莉央ちゃん、小学校からの同級生なんだよね。あれ聞いてるでしょ?お嬢様な学校に通ってたってこと」


 急な新情報が飛び出してきた。コイツ、龍樹と小学校からの仲だったのか。


 他と比べて龍樹への粘着性が高いとは思ってたけど…旧知であるならば納得できるやもしれん。


 だが、そんな昔話をし出して、いったい何が目的なのか。


「その頃から、莉央ちゃんは人見知りでね。私がよく話しかけてたんだ……。でもね、彼女が君に見せたような表情を、私は一度たりとも見たことなんてなかったよ」


 じゃあその頃から相手にされていなかった…ということだろう。それは実に悲壮感漂うけども、同情する気にはとてもじゃないがなれなかった。


 ただ、ひたすらに怪しいオーラと冗長な語り口に対して、俺は苛立ちを隠さなかった。たぶん、木更は気づきもしていなかっただろうが。


「思えば…、彼女から自発的に何かしてもらえたことなんて何もなかった」


 余裕な笑みが崩れ、表情に陰りが生まれる。


「遊びだったり、ご飯だったり…誘うのはいつも私の方で。当たり前になりすぎてしまったかと思って待ちの姿勢を見せてみれば、君の方へと靡くという結果さ」


 自嘲げに笑みを浮かべたかと思えば、普段から低い声がより一層に重くなり、まるで切れ味のいいナイフかのように俺の耳に入り込んでくる。


 だが、それは当てつけに過ぎないだろう。なぜ俺が好まれたのかわからないが、お前が好まれなかった理由もまたわからないのだ。結局そこを理解していないのだから、好かれようなんて烏滸がましい話である。



「君がいなければ、あの時、にいたのは私だったのに」


 「だからそれは、俺には関係ないだろ」、そう一言言おうと思ったのだが。


 …。


 …うん?


「…龍樹、さんが話したのか」


 相合傘の件が出てきたので、俺は率直にそう質問していた。


 おそらく、見られてはいなかった‥と思う。

 テスト期間で部活の生徒も少ない。夜になろうとしている時間帯で、さらに大雨ということもあって人通りは限りなくゼロに近かった。


 そういうわけだから、誰かに聞いたであろうと断定して、そう確認した。


「ん?あぁ、いいや。違うよ」


 だが…、俺の急な発言にキョトンとした顔を見せるものも、すぐに元通り……余裕そうなトーンの声でそう言った。


「彼女も伊達にいろんな人に注目されてきたわけではないんだ。彼女が及ぼす周りへの影響くらい、知ってると思うよ。それが、君にどんな結果をもたらすなんてことも予測済みなはずさ」


 ……じゃあ、なんでそれを知ってるんだよ。


 なんだか、喉が詰まったかのように声が出ないな。

 それを口に出す前に、木更は畳み掛けた。





「だからこそ、それでも莉央ちゃんは君と居ようとしたのは本当に驚いた。まさか、自らなんてね」



 ……は?


 いや、ちょっと待てよ。


 思いもよらない発言に、俺の脳内は漂白されていく。


「それほどまで君のことを好ましく思ってたのかなぁ。莉央ちゃん、今まで本当に男の子に興味なんてなさそうだったのに……」


 額に、ジトリと嫌な汗が滲む。

 口を開こうにも、喉がカラっカラに乾いて張り付き、発声がされない。


「もしかして、あの日君の家に、催眠術でもかけたのかい?」


 そして木更の衝撃的告白は止まることをしらない。


 緊張と焦燥に瞳孔が揺れて、目の前の木更ブレて…そして悍ましいもののように見えてくる。


 どうして、なぜ。

 お前がそれを知っている。


「な、…んで」


 今にも飛びかかって問いただしてやりたくなったけれど、体が動かない。挙句ようやく搾り出したのは、そんな掠れた声だった。


「え、あぁ…。そうだったね」


 あちゃーっと右手を額に添えて、わざとらしい表情を見せる木更だが、今はもはや気まぐれな悪魔のようにしか思えない。


「実は、ずっとからね」


 おどけたように笑みを浮かべ、目元に輪っかを作って、意地の悪い眼差しを通して見せてくる木更。


 …そこで、大家さんが言っていたことを…、あの封筒の内容を思い出した。

 


[追手が向かった。日時は不明。到着してるかも不明。


 能力。能力だ。


 いわば、俺のテレパシーのように超常的能力を持ちうるということだ。


 もしかして、もしかしたら。


 コイツ。コイツッ。


 木更芽里……、お前は────っ。



「まぁ、安心してよ。君をどうにかしてやろうなんて、思ってない」


 全くもって安心できない。

 むしろ増すことにしかならない。


 そんな俺の胸中を知ってか知らずか……、いやおそらくわかりきっていただろう。彼女は笑みを浮かべながら、そのまま話を続ける。


「……私はさ、龍樹ちゃんが幸せならなんでもいいんだよ」


 カツーンカツーンと足音を響かせながら、こちらに歩み寄ってくる。

 

 しかし俺は、後退りも身を引くこともできない。まるで蛇に睨まれているカエルみたいに、ガクガクと体を震わすことしかできなかった。


「でもずっと莉央ちゃんを、君を見てて…、相応しくないと思った」


 もはや目と鼻の先という至近距離まで彼女は近づいた。


 獲物を品定めするように、いかに仕留めようかと悩んでいるかのように、じっとりとした悍ましい視線で俺のシルエットを見る。


「ねぇ、五見くん。ここは岐路だよ。これからどうしていくのか、というね」


 岐路。


 なんの?


 いやなんでもいい。たしかに、岐路だ。


 ここの選択で、俺はもはやこの世から消えてしまうかもしれない。

 もしコイツが、連中の人間だったならば。



「あ、警察とか言わないでよ頼むから。面倒なことにはなりたくない。あとそれに─────」


 後半部分はもう、聞き取ることはできなかった。


 砂嵐のようなノイズが脳みそを取り巻いて、もはや聴覚は壊れてしまったかと思うくらいには働いていなかった。


「────」


 口をパクパクとさせて、去っていく木更の姿が、二重三重にブレて見えた。


 足音と、嫌なノイズが脳内を反響する。


 情報と感情が混濁する頭を抱え、いつまでそうしていたのか俺にはわからなかった。

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