第14話 いつもと違う朝
来ないでくれといくら願っても、明日というものは来てしまう。
龍樹の匂いはもうすっかり上書きされたベッドから起き上がり、締め切ったカーテンを開ける。
温かな陽の光が部屋に差し込んで心地よいが、それと同時に俺にはまた別の何かが入ってきた。
『へいへ〜い、怜く〜ん。開〜けて』
小躍りするみたいな思考が聞こえてくる。
なんとも胡散臭くて人を小馬鹿にする感じだが、それは俺にバイアスがかかっているだけなのか。
は〜っと肺の空気を吐き出しながら、玄関へ向かう。
重々しく感じられるトビラを開くと、そこにはボロッボロなキャミワンピースにサングラスという、およそ朝っぱらの
「……大家さん、なんつー格好してんすか」
『流行の先取りダッ!』
流行ったらいよいよ世間も終わりな気がするファッションに身を包むこの人物は、このアパートの大家兼、実質的な俺の保護者である。
当然、俺の能力についても認知している。
というかむしろ、俺よりも熟知しているのではないだろうか。
「お邪魔するよ〜。さ〜て、金目のモノはどこか〜っと」
「しがない学生から何獲ろうとしてんすか」
こうして週に一度部屋にやってきては、俺の状況の確認を名目に、特にこれといった用もなく居座ってくる。
「相変わらずシケた部屋だね〜、華がない!」
「…金がないもんで」
どっかりと腰を落とすと、ガハハというような笑いをみせる。
華がないのはどっちだよ。
「ま、こんなボロアパートに住んでる時点でよな」
「管理主がそれ言わないでくださいよ」
「大家なんて名ばかりよ。入居者、怜くんとジャガさんしか居ないし」
そんな格好だから入居者居ないんだよ、なんて言いたくなったが、流石に失礼すぎるかと思い、やめる。
こんなでも、俺の恩人なのだ。
昔のことは言わずもがな、今だって半無料でこの部屋を貸し出してくれている。
頼まれているからではあるんだろうけど、それでも有難いことには変わりない。
ちなみに、もうひとりの入居者だが、ジャガさんというのはもちろん本名ではない。
いつもじゃがいもを蒸しているような匂いが部屋から香るので、そう呼んでいる。一応、表札で名字は知っているのだが。
「改装したらどうですか?2階への階段の段、抜けてたじゃないですか」
「まぁどうせ人入ってこないし?お金も無いし?良いかな〜って」
その楽観さは元来のものなのか、それとも酒によるものか。
「……お酒分足せばだいぶ資金貯まりそうですけど、ってか今日ももう飲んでますよね」
「あ、バレてた?」
「バレバレですよ、匂いも、思考も酒臭いですもん」
酔っ払いの思考はなんというか、ボヤーっとしていて、今の大家さんはまさにソレである。
それも結構強めの方で。
「いや〜、飲まなきゃやってらんないよなぁ」
「何もベロベロになるまで飲まなくてもいいでしょうに」
「それは甘いよ、甘い。ぶっ飛ぶくらい飲むのが良いんだから」
まだ酒のことはよくわからないけど、これが悪い例であることは確信できる。
将来への不安はわかるし、俺も抱えているが、酒で忘れるのは一番悪手な気がしてならない。
「ってか、もう良いですよね。確認終わりで」
「えぇ〜、まだ居させてくれよぉ」
「僕ももう行かなきゃなんでっ!」
ベッドに縋り付いている大家を引き剥がし、ずるずると引っ張る。
肉なんてないみたいに軽いから、俺でも引っ張れる。
「それでは、また来週」
「あぁ〜んもう……」
玄関まで引っ張ったら、いそいそと靴を履き始める。
酒で朦朧としているのか、モタモタしているが、まぁそれを急かすほど俺も鬼じゃない。
「あ、そうそう怜くん」
「はい?」
扉に手をかけた時、ふと我に帰ったのかというくらいに素面のテンションの声が聞こえてくる。
馬鹿みたいな返事をしてみせると、彼女は振り返って。
「学校で、お友達できた?」
酔っ払ってる時のように、瞳孔がぐるぐるとしていない。
「ぼちぼち…っすかね」
「……良かった」
そう言ってそのまま、彼女は部屋から出て行った。
……ちゃらんぽらんに見えてたまに芯を食うようなことを言うから、彼女は本当によくわからない。
---
あれから程なくして家を出発し、何事もなく学校に到着した俺は、教室の扉の前で立ち悩んでいた。
昨日の、龍樹彼氏疑惑について、もしかして噂が流れているんじゃないか、と。
もしそうだった場合、男どもはいきり立っているんじゃないか、と。
そんなことが脳裏に浮かんできて、離れないのだ。
これが被害妄想の域ではないのが、龍樹である。
もし俺が誤解を受ければ、どうなることやら…。
なんて考えていると。
「ワッ」
「うぉ!?」
突然背中の触覚がくすぐられ、ダサい声を漏らす。
急いで振り返ると。
「五見なにしてんの」
案の定千紘がそこにはいた。
今日も今日とて、眩しいオーラを全身から漂わせている。
「や、ちょっと…な」
「ちょっとなんだよ、まぁなんでもいいけどさ。入ろうぜ」
「おぉ、う」
煮え切らない返事をする俺を、千紘はバシバシとひっぱり、教室の扉を開いた。
「お、壱護おはよ〜」
「ちっひーオッス」
「っはよ〜」
扉を開くと、すぐにクラスメートからの挨拶が飛んできた。
無論、俺への挨拶はひとつもない。
別にそれに傷ついたりとかは、別にしない。
もう慣れているし、必要性も感じない。
ただ、これだけの人脈をすでに構築している千紘には、素直に凄いと思う。
「お〜っす、みんなおはよー」
適当な挨拶を返す千紘。
ちょうどいい地点でそんな眩しい友人とわかれ、自分の席へ向かう。
俺が離れるとすぐに、彼の周りに人が集まっていた。
そして、例の話を始める。
「なぁ、龍樹の彼氏って知ってるか?」
「っんだそれ、知らんけど」
「実は2年の先輩がよぉ、龍樹が男と居るところを見たんだってさ」
「マジ許せねェッ!!龍樹は絶対不可侵領域なのにッ!」
案の定、彼女の噂はすでに広まっていた。
そして彼らの反応も案の定と言うべきものだった。
情報の伝播速度にビックリするが、まぁ、とりあえず俺に火種が飛んでくることはなさそうか。
聞けば、あの現場を目撃したのは2年の先輩。
同学年はおろか、同じクラスにも顔が知られていない俺が特定されるはずもなかった。
まぁ他にも目撃者が居る可能性はあるが、前述の通りなので心配する必要はない。教室扉前の思案は杞憂だったな。
ひとまず安心と、ひとり息をつく。
そしてその時。
「あ、龍樹ちゃんおはよー!!」
「莉央ちゃんおっはー!」
「今日もビューティだねぇ〜!」
ガラッと扉が開いた瞬間、矢継ぎ早に挨拶が飛び交った。
もちろんその先は、龍樹莉央である。
依然とスンッと澄ました顔で、彼女は応答───いや、声も出さないで、頭をコクコクしている。
「た、龍樹さ、さん。ぉおはよぉ」
「お、俺も!おはよぉお!」
男子どもも、続いて妙な挨拶をする。
変わらず、龍樹は頭をユラユラ揺らすだけ。
しかしそれでも。
『やべぇぇえ!コクコクされたぁあ』
『かわいいいぃい』
なんともお花畑な思考が繰り広げられていた。
もし会話なんかした日には、絶頂して死んでしまうのではないだろうか。
一通りの挨拶をくぐり抜けて、龍樹は自分の席、つまり、俺の隣へと向かってきた。
『はぁ…、コミュ障にはしんどいな…この挨拶返し』
疲れたように思考を漏らす彼女。
あの塩対応は……コミュ障だから、なのか…?
そして一応あれは挨拶の返しだったんだな…。
テレパシーに感想を抱いていると、不意に、彼女と視線がかち合う。
すぐに逸らそうとしたが───。
「五見さん、おはようございます。昨日は大丈夫でしたか…?」
心臓が飛び出ると言う表現を、ここで使わずしていつ使うのか。
「……えっ!?お、ぇ、いや。まぁ、うん。大丈夫だっ…た。」
「気持ち悪くなったらいつでも言ってくださいねっ。いつでも助けになりますから」
その心遣いが今、俺の学校での立場を揺すっているのを、彼女は理解しているのだろうか。
「ま、また肩、貸してあげてもいいですからっ」
『な、なんて…』
その冗談が今、俺の学校での立場を完全に崩落させたのを、彼女は理解しているのだろうかッッ。
「あ………、うん」
「そ、それでは私は少しお手洗いに…」
さささっとその場を立ち去っていく龍樹。
その姿は俺にとって、どんな大型台風よりも大きいな旋風に見えた。
視線というのは、こんなにも突き刺さっている実感ができるものだったのだと、俺は今初めて知った。
千紘の方を見やると、彼の周りの男子たちがハイライトのない目でこちらを見ているのがわかった。
心の声については、もはや言うまでもないだろう。
まるで怨嗟にも似た何かが漏れ出ていた。
千紘本人はというと……、まるで、というか確実に楽しんでいる様子でニヤニヤしている。
助けろよ、なんて思うが、どうやって助けられるのかわからない。
まぁ概して言えば、俺の高校生活は今粉塵のように消え失せたと言うわけだ。
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