第3話 帰宅の電車にアクシデント


 午後の授業では、テレパシーの調子が良かった。いや、はたらいていないという点では調子が悪いというのが正しいのかもしれないが、どちらにせよ俺に取って都合が良かった。


 おかげで、午前のように卑猥物陳列映像を流されることはなくなり、充実した学習を享受することができた。得意な数学だったからどっちでも良かったんだけど…というのは飲み込んでおこう。


 まぁそんなこんなで学生の本分を終えた俺は、早々に帰宅しようとしていた。唯一気の置けない友人である千紘は部活だし、俺に放課後の用事があるわけでもないので、競歩選手かの如く速さで帰路に着いていた。


 ……が、駅に到着したその時に、また新たな厄介ごとが起こってしまう。


「げっ…、ここでかよ」


 改札を前にして、俺はほろりと愚痴をこぼす。



『はぁ…、仕事めんどくせぇ』

『もう全部だるい…』

『帰りたい…』

『うわ、あの子可愛いな、ヤリてぇ』

『んだあのおっさん…、くたばれやッ』

『キッモ、割り込んでくんな』



 テレパシーが復活した。途端に流れ込んでくる声。調子の波が激しく、聞こえたり聞こえなかったりするもんだが、どうしてこんなところで戻ってきちゃうんだ。


 駅っていうのは、基本的に人の負の感情に満たされている。まぁ考えてみれば当然なことで、誰も通勤通学を晴れやかな気持ちでいるヤツなんていないだろう。今はそんな時間ではないけども、どっちにしろ平日夕方にウキウキな気分で電車に乗る人なんてそうそう居ない。


 加えて、人の多いところはその分フラストレーションも溜まりやすいらしく、普段よりも心の声がいっそうに乱れる。多種多様な人間が入り乱れるのだから仕方ないっちゃ仕方ないが、その声が全部流れ込んでくるもんだから、しんどいったらありゃしない。だからこの体質は嫌いなんだ。



 ……どうしたもんかなぁ。夕方とはいえ、もう帰宅ラッシュの時間に突入しようとしている。今はまだ空き気味かもしれないが、途中の駅からは箱詰め状態になりそうだ。そしたらその分だけ心の声も大ボリュームになるわけで。心労が大変なことになるかもしれない。


 だがこのテレパシーが収まるのを待つってのも馬鹿らしい。十余年ほど付き合ってきたこの能力だが、何時も自由に扱えたことなんてない。いつ収まるかなんてわかったものではないし、なんだかこの嫌いな能力に振り回されているみたいで気に食わない。


 特段、帰る急ぐ理由もないが……まぁここは普通に帰ろうか。


 定期をかざして、改札を通り抜ける。直後に人が入り乱れて、何人かと軽く衝突しそうになる。その度に心の中で悪態を吐かれたが、俺も心の中で吐き返してやった。もちろん相手に聞こえちゃいない。やっぱりこの能力は不公平だ。


---



「げっ…」


 今日何回このセリフを声に出しただろうか。また新たな面倒ごとが俺に降りかかった。結論から言ってしまえば、


 ドア横に寄りかかり、いつものアンニュイな表情でまだ停止している窓の向こうを眺めていたのである。そして俺は、その近くの座席前の位置。それなりに人が多かったせいで、かなりの近距離に位置してしまった。


 同じ路線、同じ方面なのはもとより知っていたが、なんやかんや今まで鉢合わせるようなことはなかった。見かけたとしても意識的に別の車両に乗っていたので、当然といえば当然だ。


 だが今回はテレパシーに気を取られたせいか、彼女の存在にギリギリまで気が付かなかった。結果として彼女の乗る車両に乗り込んでしまったというわけだ。


 まったく、今日はついていない。


 まぁ、幸いというべきか混雑しているので、彼女の心の声は大して聞こえてこない。逆にいえばなんかのライブ会場の中心にいるみたいに騒がしいので、心休まるわけでもないが。


 とりあえず、彼女の存在は無視しよう。どこで降りるのかわからないが、数十分くらいの辛抱だ。


 意識を散漫させ、周囲の心の声を紛らすことに努めながら、俺は電車に揺られていた。



 だからか、俺が異変に気づくのには少しの時間を要してしまった。具体的にいえば、誰かの悲鳴ともいうべき、そのテレパシーに気づかなかった。


 なんだと思い、いつのまにか箱詰めみたいになった車内を見回す。押せ押されの状況下では、あまり視界の可動域は広くない。だがそれでも明らかにおかしいと取れるものが目に入った。


 龍樹莉央の顔が、いつもと違う。依然として硬いのはそうなのだが、なんというか、もっと強張ったような表情になっている。

 

 何かあったのかと観察を続けてみれば、すぐに原因に気づいた。


 彼女のすぐ後ろにいる、中年と思しき男。その手が彼女の背中を舐めるように這っていた。ようするにそれは───。


『た……すけ……』


 嗚咽にも似たくらいにわずかなSOS。それも心の中で。誰かに聴こえるはずもないその声を、俺の奇妙な体質が捉えた。



「おいおっさん」


 その次の刹那、俺は龍樹の後ろに立ちはだかる男の手を掴み、精一杯のドスを効かせた声を発していた。

 

 

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