第5話 ドギマギな帰路


 やばい。


 これまでの俺の人生、控えめに言っても平穏であったとはいえないが、その中でも最トップに君臨するくらいにはヤバいことが起きている。


 俺は今、龍樹莉央と肩を並べて───いや厳密にいえば彼女は一歩下がっているが、一緒に歩いていた。という同じ目的地に向かって。


 

 詳しい事情は聞いてないが、龍樹の両親は今日、仕事の用事で家を留守にしているらしい。先程の痴漢騒ぎもあったものだから。かなり心細いという……ここまではいいのだが、なんで俺の家に行くという結論に至るんだよ。


 危機感とかないんか。男怖〜っとかないんか。俺を男だと認識してないってか。

 そんでもって、なし崩しというか、反射的に俺も了承しちゃったしなっ。


 もし誰かに心の声が聴こえるならばかなり騒々しくなっているが、もちろんそんな俺みたいな奴はいないので、心配はない。ただ実際に声に出してしまいたいくらい、俺の感情はグラグラしていた。


 ……いや、龍樹も今、同じ状況なのかもしれない。あの時は涙で顔も心もクシャクシャで、冷静な判断ができなくなっていたのだろう。実際、彼女の心の声はパニック状態になっていた。


 比較的落ち着いた今、先程の選択を後悔しているかもしれない。それならば、言い出しっぺの彼女からより、俺の方から切り出したほうが良いだろう。



「なぁ」

「は、はぃっ」


 突然立ち止まってしまったが、ほぼ同時に龍樹も停止する。振り返って素っ頓狂な返事をした彼女の顔を見ると、まだ顔も耳も紅潮しており、目もとがぷっくり腫れている。しかし、心の声の的にはやや落ち着きが見られた。なんだか怖くて、心の声を聞き流すようにしていたが、それくらいの感じは認識できる。


「本当に俺の家来るの?やっぱりその────」


 いいかけて、やめる。


『五見くん、だったよね。優しそうな人で良かった…。あの時助けてくれなかったら…本当にどうしちゃってたんだろう。お礼、早く言わなきゃなのに、緊張しちゃって話しかけれれない…っ』


 彼女の心の声は、平素とは打って変わって、極めて純真で無垢なものだった。見た目のクールさとは裏腹に、まるで温室育ちの小動物みたいな心を聞いて、俺の不純な気持ちは一瞬にして萎み、消え去った。


 こんな声を聞いて、誰が彼女を襲おうというのだろうか。いや、もとより俺は襲う気なんてさらさらなかったんだがな?


「すいません、やはり迷惑でしたよね……」


 申し訳なさそうに目を伏せる。いや、視線を伏せっていたのは元からだろうか。先ほどから、彼女と目が合わない気がする。


「い、いや。おれは全然大丈夫だよ。一人暮らしだし……それより、龍樹さんの方こそいろいろ大丈夫なの?」


 いろいろ、ってのは本当にいろいろだ。メンタルとか親とかそういう諸々を含めて。いきなり男の家に泊まるのを許すほど、杜撰な家庭ではあるまいし。


「いえ、私の方は何も憂慮すべきことはありません。以前は諸事情で厳しい環境でしたが…、最近は比較的自由になってきたので。心配はされると思いますが…」

「そ、そうか」

 

 心の声を探って、事情を知ろうなんていう不躾なことはしなかった。高校生になって行動範囲が広がるなんて普通なことだし、それなりに自由な環境でなければ外で官能小説を読むなんて隠せるはずも許されるはずもあるまい。


「えっと、五見いつみさん…でよろしいですか?」

「え、あぁ、まぁ好きに呼んでくれればいいけど」

「では五見さん…、は、一人暮らしなのでしょうか?」

「そう、だね。込み入った事情があって。親戚…みたいな人が管理するボロいアパート借りて住んでる」


 彼女が濁したように、俺も詳細は伏せる。まだプライバシーを打ち明け合う関係性じゃないからな。まぁ、そのレベルの関係値で一緒に寝泊まりするってのも変な感じだが。


「……良いですね。少し憧れてしまいます」

「へぇ、でもそんな良いもんじゃないけどね。さっき言った管理人の人が助けてくれることもあるけど、基本一人で全部やらなきゃだし」

「それでも、です……」


 ぼやくように龍樹は言う。


 ……そういえばさっきから、彼女の表情がだいぶ柔らかくなっている気がする。以前としてポーカーフェイスのままであるのだが、それでも微笑んでいることがわかるくらいではあり、幾分かマシになっている。


 緊張と恐怖の糸がようやく切れた感じだろうか。それにしては、いつもと違うような……。



「あ、ここだよ」


 そんな適当なことを考えていると、もう目的地、つまり俺の家に到着した。


 本当にボロっちく、入居者なんかほとんどいないアパートである。俺と、何歳かもわからぬ婆さんと、ほとんど見かけたことないフリーターと思しき人のみだ。


 俺はそんなところの管理人の隣の部屋に住んでいる。

 

「…じゃ、どうぞ」

「お邪魔します」


 わっ、本当にボロい…みたいな感想の心の声が聞こえたが、まぁそう言われることと請け合いみたいなもんだったので気にしていないしするほどでもない。


 至って何も意識しないよう、俺は彼女を通した。彼女自身も、特に表情ひとつ変えていない。


 無論、表情だけだ。


 さっきから無視しようとしていた感情の暴走が、声となって脳に響いてくる。


『こ、ここここが、お、男の子の部屋…っ!!?なんか匂いとか、雰囲気とか凄く…すごいっ!!どうしようどうしよう、私ここに泊まるの…!?よく考えたら凄いことしてる気がしてきたっ!!もしかしたら、もしかしちゃうのかもしれない…っ!!?』



 ………今ここで訂正しよう。彼女は決してピュア清楚な人間ではない。脳内ピンクの外見クール美少女だ。


 

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