第3話 寝覚めが悪いから


「ああ、晩御飯が・・」


電話を切ってすぐ彼女が気にしたのは足元に落ちた弁当。

それを拾い、立ち上がるとすっと俺に向き合った。


「あの、もしかして何かご無礼したかも知れませんが、急ぐので今日はすみません」


言いながら扉の『閉』ボタンと地下へのボタンを押す。

すぐに動き出したエレベーターが向かうのは俺の部屋のある階。

俺は、はあっと大きく息を吐き、普段なら絶対にしない事を彼女に申し出た。


「ちょっとここで待ってて」


「は?そんな時間ありません」


彼女の返事なんて想定済みだ。

一刻を争ってるんだから当然だろう。

でも、さっきの彼女を見ているだけに俺だって引き下がれない。


「病院まで送ってあげます。

医者なんでしょ?

エレベーターで寝るくらい疲れてんのに運転するとか、病院に着く前に事故るよ?

あんたは俺に送られて、病院に着くまでにその弁当食って少しでも体力回復したほうが懸命だと思うけど」


一瞬で失神するみたいに寝ちまった人が運転するとか無茶にも程があるだろ。

さっきの電話が遊びの誘いだったら事故っても自業自得とか思っただろうけど。

他人とはいえ命が掛かってると知ってしまった以上、無視は出来なかった。


「・・・いいんですか」

「いいから言ってます。鍵取って来るから、このまま待ってて」


エレベーターが止まり扉が開いた瞬間に走る。

持っていたバッグを玄関に放り出し、免許証が入った財布と車のキーだけを持って踵を返した。


「あの・・・ありがとうございます。

皐月さんもお疲れなのに・・」


下に向かうエレベーターの中、彼女が言った。

視線を合わせたのは数秒だったのにやっぱり気付かれてたらしい。


「ああ、別に気にしないで下さい。

これで患者さんに万一の事があったら俺の寝覚めが悪いって自分勝手な理由なんで」


今度はノンストップで地下駐車場まで下りたエレベーターの『開』ボタンを連打し、降りると同時に足を速めた。


「こっち、悪いけど後ろ乗って。病院はどこ?」


カーナビをオンにし、彼女が言った総合病院を行き先に設定する。


「ほら、とっとと弁当食べて。時間無いよ」

「本当に、ありがとうございます」


彼女はバックミラー越しに視線を合わせて言うと、ガサガサと袋を開け始めた。


「ちゃんと食って、患者さん助けてやって」


「はい。必ず」


食欲をそそる匂いの中、力強い彼女の言葉にひとり満足している俺がいた。



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