第36話 同じ
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抵抗もせず黙って俺に抱きしめられていた彼女は、暫くして手の甲で涙を拭い顔を上げた。
「少し、昔話をしてもいいですか・・・」
言われて『え?俺の告白スルー!?』と一瞬思ったけれど、彼女の思い詰めた表情に気付いて黙って頷く。
「・・・私、どうしても恋人より仕事を優先してしまうんです」
一言目、そう言った彼女。
それだけで、彼女が過去の恋人とどういう別れ方をしてきたのか容易に想像がついた。
でも社会人だし、ましてや彼女の仕事には患者の命が掛かってるんだし、それは普通の事なんじゃねえの?
つーか俺の仕事には人の命とか掛かってないけど、仕事と恋人どっちって言われたら当然仕事を優先するけど。
大人なんだしさ。
でも、彼女が言ってるのはきっとそういう事じゃないんだろう。
「私達医師っていうのは、一応はちゃんとシフトがあって勤務時間も決められているんです。
でも当然ですけど患者さんがその時間に合わせて具合が悪くなるなんて事は無いし、退勤時間だからと言って担当した処置途中の患者さんを放って帰れるわけも無い」
そりゃそうだ。
時間だからって治療の最中に他の医者に交代とか、そんな医者信用出来ない。こっちから願い下げだな。
「うん」
「・・・ここまでは、大抵納得してくれるんです」
「・・・」
そりゃそうか。
ここまでは『見える』もんな。
「でも医師っていうのは実は書く仕事も多いし、会社員でいう会議も沢山ありますし待機時間も。
おまけに、病院の近くにいると呼び出される事も頻繁。
どんなに役職が上がった人でも・・・というか上の人ほどそうして、私みたいな若輩を一人前に育てようと率先して技術を見せてくれて、教えてくれます。
私にはそれが普通で、なりたかった医師の姿で、・・・けど」
「・・・まあ、普通の会社員には辛いかもね」
俺は医師じゃないけど、気持ちは分からないでもない。
『あなたが忙しいのは知ってるけど、もう少し私との時間を作る事は出来ない?』
こんな台詞を残していった昔の彼女達。
「・・・まあでも、しょうがないよね」
これは、彼女に言っているようで俺自身に言ってるようなもの。
「どうしたって、そうなるよね?」
これも。
「それでも、大事に思ってると伝えることくらいは出来たと思うんです。
相手が、限界を迎える前に。
でも、私は短い言葉を伝える時間の余裕さえ無くして、相手を傷つける」
ダメなんです。
・・・君がそう言うなら、俺も同じなんだよ。
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