第29話 到来
「ハハハハハ!」
魔神は高らかに哄笑し、前線のアルルカに向けて殴りかかってくる。
凄まじい身体性能から繰り出せる神速の攻撃は、それ自体で十二分の脅威。
しかし、それだけにはとどまらない。
剣を寝かせて防御しようとしたアルルカは、剣の腹が
直後、ジッと目の前で髪の一房が切り裂かれる。
改めて魔神の拳を見れば、その周囲には魔力で形成された『爪』が揺らいでいた。
「勘はいいようだな。先ほどの一団はこの時点で一人戦闘不能だった。愚鈍だとは思わんか? 貴様らが助けた、あの女のことだ」
「
チセの詠唱。即座に巨大な水球が魔神の身体を包むが、すぐに水牢は沸騰し、気化し始めた。遅れて飛んできた凍結の矢を魔力の爪が叩き落とす。
「……フン。魔力効率目的の起動か」
「そうだけど。守護者スキル発動中で一秒も持たないなんて、自信無くすわね」
「しかし、魔剣解放にかけた魔力よりこれから軽減される魔力のほうが多いとでも思っているのなら、貴様も愚鈍だな」
魔神はせせら笑い、爪を振り被りつつ、地を蹴った。
「アルルカ、抑えて」
「わかってる!」
剣を大きく振って、極力、爪に近づかないように、アルルカは魔神を牽制。
そのまま打ち合いにもつれ込んだ。魔力の爪はアルルカの防御に応じてその形を変え、変幻自在の乱撃をアルルカに見舞っていく。最早八割以上まともに防げていないが、アルルカは被弾した部分を即座に回復して、魔神の前に立ちはだかる。
「フン、流石は吸血精霊。気味の悪いほどの回復力だな」
「ワタシもそう思うよ。でも、便利は便利だ」
またひとつ穴を穿たれ、修復されかかっていた傷口。アルルカはそこに指先を引っ掛け、ぐっと傷を開く。でろりと流れ出る血液。直後、人体神秘魔法、血液操作を発動。無数に連なる棘が生成され、彼我の距離を引き離す。
「こういうこともできるし」
「邪悪だな。生命の倫理に反している」
軽蔑、というよりは単に苛立たしげに、魔神は糾弾する。
「キミがそれを語るのか?」
「私だから語るのだ。何故に不死が理で、何故に我らが理の内に無いのかと!」
魔神は神速の歩法で離れた距離を詰め、拳を振り抜く。
爪の形状が変化。巨大な拳として、アルルカの顔面を打ち砕く。かに見えた。
実際には、傷ひとつできていない。
「……あ、打撃耐性は残ってるのか」
「つくづく……!」
一方的な攻勢でありながら、アルルカが倒れる気配は微塵もない。
奇妙な攻防の裏で、チセは研ぎ澄まし切った集中力で、魔法を構築する。
「冬の王よ、お気づき召されよ。御身は
静かに詠唱を紡いでいく。冷徹に、冷酷に。
その在り方を、賛美する。
「諍いも、弔いも。ものみな等しく、峻厳なる雪に抱かれる」
チセの周りで、氷結、否、それを包括する概念として色づいていく、極大の魔力。
その規模を察した魔神が、魔力の投げ槍を生成し、遠距離攻撃を働こうとする。
しかし、攻撃が止んだ瞬間を見逃さず、アルルカがその胴体に向け、横薙ぎに剣を振るった。魔神は小さく舌打ちをしつつ、その反撃を受け流す。
「その向来に私は震え、世界の涙も凍るだろう」
目前に現れた透き通る氷の剣を、チセは力強く、自らの足元に突き刺した。
瞬間、辺り一面が白に染まった。雪の嵐。
白く、険しく、侵しがたい、吹雪。
「
視界不良の激しい吹雪。気温は氷点下に急転、この場にいる全員の身体から熱を奪い、体力を明確に削いでいく。いまこの場には『冬』が降臨していた。
アルルカは一度大きく剣を振りながら前線を離脱、チセの隣で、右腕に巻き付けてあった毛皮を羽織った。思い付きだったが、雪や寒さはそれである程度凌げた。しかしそれでも、身体に降りかかる重苦しさには一向に変わりがない。
少し考えて、思い至る。
これは単に物理的な操作ではなく、概念的な干渉なのだ。
あらゆる生命の活動を妨害する、冬の吹雪。その性質こそがこの魔法の効果。
すなわち、いまこの場では、あらゆる能動的行動に対して強い圧力がかかっているのだった。
「これで、どうかしら?」
ふぅ、と白い息を吐きだしたチセの周囲からは、ごっそりと魔力が抜け落ちている。精霊ひとりぶんに匹敵したあの魔力をすら消し飛ばすほどの消費量。ただ、効果に見合う代償ではあった。まさしく大魔法。
魔神は苦々しい顔つきでチセを睨み。
「先の言葉を撤回しよう、相すまぬ、とでも言えばいいのか? 人間風情が、自然を知った気になるなよ。反吐が出る。私は、かつてお前たちが放逐した『自然』だぞ」
なおも気高く、吐き捨てる。
しかしその身体は、明らかに雪に埋もれ、凍り付いていた。
アルルカはチセの腕を叩いて言う。
「……強がってるけど、効いてるぞ」
「強がってなどいない」
「強がってるだろ! めちゃくちゃ凍てついてるもの!」
「ええ、めちゃくちゃ凍てついてるわね」
チセが乗ってきたのは意外だったが、アルルカはその顔を見上げて察する。
よく言えば清々しい、悪く言えば諦めたような微笑。
多分、これで駄目なら、もう打つ手はないのだ。
「黙れ。──ならば見せてやろう。貴様らが忘れ去った『自然』というものを」
魔神がゆっくりと左手を上げ、二人に手のひらを向ける。
アルルカたちはその何かに備え身構えたが、数秒待っても魔神はそれ以上の行動を起こさなかった。
「……チッ。やはりこの環境の上、王が不在ではそもそも駄目か。仕方あるまい」
「なんだ、カレ。ぶつぶつ言って」
「何を見せてくれるのかしらね」
「煽るなァ! 業腹だ、
ぎり、とその拳が握られると同時、魔神の内側から燃え上がるようにして魔力が噴出する。宿る属性は、呪毒。ヘドロにも似た濃い黒緑色として視覚化される。
推察される魔力は、現在のアルルカのそれよりも。
それどころか、在りし日の吸血精霊の魔力と比べても、遥かに多い。
チセはため息と共に弓に矢を番える。
「はぁ。アルルカ。気合を入れ直して。まだ動くわよ」
「まだ? まだ動く? これから、だ。人間ども。秩序面した愚鈍どもがァ……!」
「残念だけど、私はもうあんまり役には立たない。援護はするけど、期待しないで。いざというときは……」
「いやだ。もうすぐ来るはずなんだ。粘るよ」
「私は。我らこそは! この世界を統べる『龍』!」
一触即発の空気が、吹雪の縛りから解き放たれようとしている、まさにそのとき。
アルルカたちの背後の空間に、穴が開いた。
のっそりと現れた巨漢の姿。束の間、三者の思考が止まる。
初めに、闖入者の男が小さく頷いた。
「──理解した」
その背中に吊られた二振りの大剣を両手に握り、アルルカの前に躍り出る。
アルルカはほっと息をついた。
類聚の匣が開けられたとき、この男はそれを察知する。
「キミ、瞬間移動できるだろうが。もう少し早く来てくれ」
「違う。空間接続だ。瞬間移動ではない」
「何が違うの? ……いや、とにかく、その。助けてくれないか?」
「二度言わせるな。理解した」
そして彼は、アルルカの知る限り。
世界で唯一、魔神を討滅できる存在だ。
「これは、俺の役割だ。
英雄、ベルガトリオが、その剣を抜いた。
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