第37話 やみとひかり

「……はっ!?」


 アルルカは跳ね起きる。ベッドの上。チセの家の、もはや見慣れた目覚めの景色。

 頬を伝う涙を不思議に思いながら、ベッドから足を降ろして、立ち上がる。


「目覚めましたか、アルルカ」

「……誰だ?」


 聞いたことのない声だが、よく似た声は聞いたことがある気がする。

 その正体は、思い悩むよりも、振り返った先を一度見てしまえばすべてわかった。

 はためくカーテンを背に立つ人影。それは、見間違えようもない。

 アルルカだった。アルルカが、アルルカの目の前に立っている。

 しかし、そんなわけがない。アルルカは自分よりもやや穏やか、あるいは達観した表情を浮かべている、もうひとりのアルルカに問いかける。


「キミは、誰?」

「誰、と問われて答えるべき名前は、もう持ちあわせません。強いて答えるなら、アルルカ・ドルスになりますね」

「嘘では、ないのかもしれないが。ワタシが聞きたいのは……」

「かつて龍との戦いに散った、神の残滓。南西の龍の破片の封印に使われていた、鎮護の石。あるいは、アナタという精霊の構成に巻き込まれた不純物。そんなの、どうだっていいじゃないですか。ワタシが何者であれ、アナタにはもっと他に知るべきこと、やるべきことがある。さあ、思い出して」


 無名の神が、アルルカの額をとん、と指先でつつく。

 するとそこから広がるように頭痛が走り、アルルカの最期の記憶が蘇ってきた。

 エノクとの戦い。その顛末。


「そうだ。吸血したはいいけど、吸い込んだ力が巨大すぎて、そのまま……ワタシは、死んだんだ」


 口に出すと同時、重々しい実感がアルルカの背を丸めさせる。

 神はその答えに、痒いところに手が届かないみたいな曖昧な肯定を返した。


「まあ、そう。死んだといえば死んだんですけども」

「じゃあ、ここは……天国?」

「吸血鬼に天国なんてあるわけないじゃないですか」

「あ、ハイ」

「そもそもですね、しっかりと思い出せていますか? 曲がりなりにも、アナタは外理浸食の使い手。世界の深くを蝕むアナタの魂は、常なる手段では祓うことなどできません。概念の過積載で弾け飛んだのは精神だけですよ」


 言われてみればそうだった。が、アルルカの心中には、確かに「自分」が破裂したあの嫌な感覚が残っている。しかもその上で、いまアルルカの精神は至って平常だ。

 これを説明してしまうには、すべての枷から解き放たれた次の世界に頼るくらいしなくては上手くいかなかった。

 いまいちそれに代わる真実が思いつかないでいるアルルカを見かねて、神は言葉を続ける。


「アナタの精神構造は特殊でしたから。本来のアナタ、それにワタシと、龍の複写体。三つの精神が絡まって、アルルカ・ドルスの精神を構成していた。それが今回はよい方向に働きました。最初から精神に分け目があったことで、綺麗にそこをなぞる形で精神が破裂したのです」

「なんとなく……わかったような。わからないような」

「いいえ、わかっていませんね。本当に理解しているのなら、アナタは焦るべきです。いま、アルルカ・ドルスは三つの精神に分裂しているんですよ。アナタ、ワタシ、さて、あともうひとつは?」


 龍の……複写体? 西の魔神が口走った……魔神のコピーとしての、ワタシ。


「ど、どうしよう! あれは、確実に良くないものだ!」

「はい、その通り。このまま逃がしてしまうと、最悪、原初の海に溶け込んで、今後とんでもない被害を生むかもしれませんね。その前に捕まえて、三者の精神を元通りに統合します」

「……わかった。手伝ってくれる?」

「もちろん。それがワタシのお役目ですから。行きましょう」


 神が指し示した、本来は階段、そして一階へと続いていく扉。

 アルルカがドアノブをひねり、その木の扉をそっと押し開けると……そこは、暗闇だった。一寸先も見えない闇。思わずたたらを踏みかけるが、ぐっとこらえて先に進む。

 すぐさま、嫌な湿気が肌にじっとりと吸い付き、血と泥のにおいが鼻腔を刺激する。これも、間違うはずがない。これはパテル神穴最奥部。アルルカがこの世に生まれ落ちた場所であり、南西の魔神が封印されていた場所に他ならなかった。

 壁に手を当てながら、昔の記憶をたどり、魔神が鎮座していた大広間に向かう。

 分かたれた第三のアルルカが、南西の魔神のコピーだというのなら……きっと、そこにいるはずだ。

 右に折れ、直進。十字路をまた右へ、次は左。

 魔物は影も形も見えない。かつてアルルカは地上に出て自由を手にするため、それを阻む魔神を倒すために、見かけるすべての魔物を食らっていた。

 ああ、思えば、この間会った西の魔神は、同じことをしようとしていたのか。

 仄暗い嫌悪感を噛み潰し、右に折れる。このまま直進すれば大広間だ。

 そこで、アルルカの後に続くだけだった無名の神が、ふと口を開く。


「おそらく、アレはためらわずに使うでしょう。いえ、すでに展開しているかもしれません。世界を否定し、理を殺す魔法、外理浸食ワールドエンド。それに真っ向から対抗する手段を、いまのアナタは持ち得ません。なので、真っ向勝負は避けてください。しかし、あまり長引かせても駄目です。この精神世界が破壊されるおそれがありますから。そうなればアレは最後の枷からも解き放たれ、先ほどの最悪の予言が実現することになります」

「どうしようもないじゃないか……」

「倒す以外の手段が要る、ということです」

「だから、どうしろっていうんだ」

「それはアナタが考えてくれないと。さあ、行きますよ」


 つかつかと進んでいく神を駆け足で追い、腰の剣を引き抜く。

 そして、広間の中央に、ソレはいた。

 赤黒く染まった魔力。爛々と輝く深紅の瞳。

 アルルカであり、アルルカではないナニカ。


「待ちくたびれたぞ。何事か話し合っていたようじゃが、のう、アルルカ。お主は知っておるはずだ。ワタシがお主を放ってこの精神の檻を壊してしまうことなどない。それは道理にもとるのでな」


 くつくつと煮えたぎるような笑みを喉の奥に鳴らしながら、魔神はゆっくりと立ち上がり、その手に影の槍を携えた。


「さあ、おさらいじゃ。強き者こそ、この世の理。これぞこのワタシの信ずる、唯一の道理。お主が勝つのなら、自由を与えよう。そして吾が勝つのなら、吾が自由になるべきだ。さあ、来るがいい」

「っ、わ、ワタシは……勝つ……!」

「やってみい」


 アルルカは雄叫びを上げ、震える脚を一歩先へと踏み出した。

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