第39話 魔剣解放

 魔剣解放。読んで字の如し、それは、魔剣の内に秘された大いなる力の封を解くための呼び声だ。その名前を呼びかけることで、旧き神秘は金属の戒めから外れ、この世界に顕れる。


 生死の境を凌辱する魔槍を受けた剣の表面には、幾重にも亀裂が走っていた。

 外なる理は、無機も有機をも問わず、因果を乱して、そのものを損なってしまう。しかし今回はそれこそが問題で、あるいは僥倖だった。


 生きている剣なら、きっと死んだはずだ。

 けれどその魔剣は最初から死んでいた。力を失い、名前を失い、神秘を失い、ただの金属の剣に成り果てていたものが、棺の蓋を破り、いま、この場に蘇る。


 亀裂から白銀がぼろぼろと剥がれ落ちていく。剥がれ落ちて、崩れ落ちて、その中から輝く光が漏れる。そして、それはすぐさま辺り一面を照らすほどの光になった。


 魔神は、眩い聖光を湛えるその剣身に目を細めた。邪竜の欠片たる魔神の、そのまた欠片の影法師は、決して思い出せないものを思い出そうとする痛ましさに、ぎしりと顔をしかめる。


「……なんだ。なんなのだ、その剣は。いや。吾は、その剣を……その、剣は」

「銘を、女神の枝オリビア。神の躯体からだから鍛えた聖剣──かつて、邪竜討伐の勇士が手にした一振りです」


 うわごとのように呻く魔神の言葉を引き継いだのは、アルルカの背後で事を見守っていた、神の残滓を称するものだった。


「まさかそれがこの場に現れようとは、思ってもみませんでしたが。アルルカ、使い方はわかりますか?」

「うん。わかるよ。なんとなく……伝わってくるから」


 手首を返して横流しに構える。からんと、小さな鐘の鳴るような金属音。

 軽い。剣だけではない。身体全体が、重力から解き放たれたように軽やかだ。

 吸血精霊として、全力の自己強化を用いたときのような?

 いいや、きっと単純に、羽が生えたみたいというほうが、簡単だし適切だ。

 誰に向けるともなく、口元に微笑がおこる。


「いくよ。今日こそ……勝ってみせる。ワタシの行く手を阻むキミを倒して、あの日は英雄に与えられた自由を、今度こそこの手で勝ち取るんだ」

「フ。フハハ……いいだろう!」


 束の間、嚇怒にも悲哀にも、困惑にも見える複雑な表情。それがふっと霧散して、冷酷無慈悲な魔神の姿が戻ってきた。さっと肘を引き槍を構え腰をぐんと落とし、きりきりと押さえつけたバネのように力が漲る。


「同じことだ。あの日と同じことだ。お前は結局、借り物の力に頼る他ないのだから、負ける道理などありはしない。あらゆる力を容易に手にできるがために、力を扱う工夫を解さぬ、愚かな娘よ。我が器よ! 滅竜の剣があったとて、お前に何が出来るという。その過ぎた代物をば、いま一度、屑鉄へと返してくれよう」


 わずかな、それでいて永劫とも思える、世界が死んだような静寂。

 踏み込むのは同時だった。速度は魔神。目にも止まらぬ速度で突貫し、半ば瞬間移動のように、彼我の距離が零まで詰まる。神速不可避。暗黒の魔力反応光を振りまき到来する外理の槍は、しかしアルルカの目前、何もない空中で何かにぶち当たって、火花を散らして静止する。

 そこにあったのは、不可視の障壁だった。光を受けて七色に変転する表層から、アルルカを中心にぐるり球状に展開されていることが、おぼろげに察せられる。

 むろんただの障壁ではない。でなければ外理の力は防げない。

 魔神はびりびりと痺れる手からもう片方に槍を持ち替え、障壁を睨みつけた。

 それこそが、女神の枝オリビアが内に宿る大魔法。


「変性障壁……!」


 要するに、それは絶えず張り直され続けている概念防御だった。

 表層が外理の浸食を受けても、すぐさま次層の防御が対応にあたり、その刹那の猶予の間に汚染された表層を棄却、再展開する。

 七層すべてが一度に侵食されない限り、その聖域が毀損されることはない。

 それは、いかに魔神といえど不可能だ。八尾の邪竜であれば、また話は別だが。


 とはいえ、無敵とは違う。要らぬ場所まで守っていては燃費が悪すぎるし、そもそも、周囲すべてを障壁で覆ったままでは、アルルカの側も満足な攻撃はできない。

 どこを守り、どこで攻めるのか。その選択がこの魔剣に要求される技だ。


 アルルカが障壁の形を変えた瞬間、魔神もその妙を察し、歯を見せてせせら笑う。

 たたん、踊るようにステップを踏み、身体の影に隠した穂先を、右下段から大きく振り上げる一撃。極所防御には成功したが、魔神とて今度は織り込み済みだ。

 身体全体で反作用をいなしながら、そればかりか次撃への推進剤として利用して、また防がれれば次へ次へ。無数の槍撃が、アルルカに向けて繰り出される。


「そらそら、一撃当たればそれで終いだ!」

「っ……!」


 その通り、防戦には限界がある。しかし、ならばこの猛攻をどのようにかいくぐり、どのように攻めればいいのだろう。焼け付くほど頭を回しながら、それでも答えは降りてこない。焦りばかり募り、手元が狂う。防御のアテがわずかに外れ、障壁の外縁を擦った槍が、アルルカの頬の隣、こぶしひとつ分の場所を貫いた。

 勢いのまま魔神が踏み込んでこようとするのを、大きな障壁で妨害。互い、一歩後ろに距離を取る。


「存外持つ。なるほど、大見得を切っただけはあるな、うん?」


 からからと笑う自分の顔が憎たらしい。

 というか、ほんとなんでワタシの顔なんだ。

 魔神の要素は二割かそこらしかないらしいが、むしろ二割はあるのだから、そのぶんだけ、ワタシから離れていてもいいはずだ。八割方ワタシという見方も、一理なくはないが。

 いや、集中しろ。考えないと。答えにたどり着けなければ、ここで死ぬ。

 そうなれば二度と現世には戻れない。むしろそれで済めば御の字か。ワタシの精神だけが死に、魔神に身体を与えて世に解き放つようなことになったら、最悪だ。

 エノクが止めてくれればいいけど。

 チセやマリーに類が及んでしまったら、死んでも死にきれない。


 ……チセなら、どうするのだろう?

 そんなことをふと考えた。

 上位冒険者として積み重ねてきた経験値は、これまで何度も垣間見た。

 彼女がアルルカの手綱を握り、思うまま動かしてくれるとしたら。

 あるいはマリーならどうするだろう。

 あの馬鹿力があれば、この局面を打破することができるだろうか。

 それかその信心があれば、聖なる剣も答えてくれるとか。いや異教か。しかし信仰に貴賤などあるまいし、やはりそれが尊いものなら違うかも。


「うん」


 集中できない。

 でも、そのくらいのほうがよかったのかもしれない。

 おかげで少し、余裕ができた。


「考えてみれば、守るのはワタシじゃなかった」


 ひとつ頷いて、アルルカは剣を構え直す。ぱん、と展開されていた障壁が拡散。

 そして、その手に握る剣の形に沿って、再度収束していく。

 剣の纏う光は障壁の中で乱反射して、一意の白光から、宝石のような虹色の光に姿を変えた。


「さあ、ワタシのやるべきことをやろう」


 怖くはない。握りしめた温かさが、暗い道でも照らしてくれる。


 

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